第23話 最凶の剣士
少し暖かくなった風が吹き込んでくる。
窓に寄り掛かりながら、この学校に入学する新入生たちを眺めている金髪の女性の顔に寂しげな表情を浮かべていた。
2年近く前に、オオネスカとアスカはシリウス騎士団に入団し、この学校を中途で退学していた。
すでにあの「リクエスト」、「天の恵み」回収作戦に参加していた学生の姿はほとんどなかった。
アルクネメが2年間の冒険者生活がなければ、今年が最終学年の6年生だった。
逆に言えば、自分の元の級友たちはまだこの学校に在籍しているのだが、アルクメネに親しげに声を変える人間は誰もいなかった。
3か月前にこの学校に復学した時に、自分に対しての噂を耳にした。
それはマリオネット先輩を殺害したことと、バンス卿との戦闘が、ねじ曲がって伝えられているようだった。
「同胞殺し」
いつの間にか、自分がそう呼ばれていることを知った。
まさか、そのように疎んじられているとは思わなかった。
確かに自分は、この学校のマリオネット先輩をこの手にかけた。
ただ、その事実は完全に伏せられているはずである。
いくらなんでもオオネスカやアスカが、その事を吹聴するようなことはしないだろう。
この件に関して、もしその事実が流れれば、ヒトの「魔物」化という事も噂であれ、流布する危険性がある。
これはいかなる手段を講じても、「バベルの塔」が抑える案件のはずだった。
実際には、生き残っているはずの、しかも最年少の学生が、学校にも戻らず、だからと言って国の重要機関や騎士団に就いたという事でもない。
これは逃亡したに違いない。
ではなぜ逃げたのか?
それは、仲間を殺したからだ。
そんな訳の分からない事実無根の話が、さも真実のように語られていた。
復学当初、明らかに態度が悪そうで、しかも実技に自信のある男がそんな噂を信じて決闘を吹っかけてきた。
基本的に私闘は禁じられている。
この国の、そしてこの星の重要な担い手たる「特例魔導士」を、私憤により失うわけにはいかないからだが、それで不満を貯めさせることもデメリットが多い。
そう判断した「バベルの塔」の住人たちは、教官の監督の下、決闘を認めていた。
模擬刀を使い、「魔導力」を封じる特殊な防具での実戦に模した試合という形式である。
この時の粗暴な男、ライオネル・ビルクンドは素行不良ではあったが、剣技の能力は群を抜いていた。
「魔導」でも剣技でも、この学年で常に1位を取るほどである。
また気にくわないものには学年を越え、決闘を行い、常に勝利していた。
その戦い方は粗暴でありながら、非常に勘が鋭く、相手に攻撃する隙を全く与えず、叩きのめしていた。
ライオネルは余裕で剣を構え、教官の始まりの合図を聞いたときも、アルクネメの動きを見るためにすぐには動かなかった。
それを確認したアルクネメは一瞬でライオネルとの距離を縮め、右腕、胴、側頭部に模擬刀を叩き込んだ。
ライオネルに躱す時間を与えず、一気に3か所を打ち込んだのである。
瞬殺である。
ライオネルはそのことに納得がいかなかった。
そして、アルクネメの試合での圧倒的な強さは、さらに人を遠ざける結果になった。
ただ一人、ライオネルはその結果に納得していなかった。
「特例魔導士」としてクワイヨン高等養成教育学校に入学する前には、ライオネルは王都で暗躍していた半グレ集団のトップを倒し、強盗・強姦・対立するグループの幹部の殺人などを行い、そのグループに君臨していた。
この犯罪集団は王都の警察や騎士団犯罪対策部門が内定を行っている矢先に、「特例魔導士」の判定があった。
ライオネルは高等養成教育学校内にいながら、グループには指示を出しており、犯罪そのものは続いていた。
そのボスである自分が女如きに負けるなどあってはならないことだった。
アルクメネが寄宿舎に帰る途中、女子生徒が襲われ、連れ去られるのを目撃した。
アクパからの警告はあったが、アルクは一目散にその者たちを追った。
すぐに追いついたが、そこは学校から少し外れた暗がりの地区であった。
人通りはほとんどいない。
そこに10人以上の体格のしっかりした男たちがいた。
連れ去った男たちに比べても、明らかに戦闘になれた者たちであった。
そこに女子生徒を引き摺りながらその集団に加わろうとしたとき、アルクネメの身体が瞬時にその女子生徒のもとを駆け抜けた。
その集団から離れた場所に、女子生徒を抱えたアルクネメがいた。
その男のもとには当然、女子生徒はいなかった。
さらに女子生徒を抑えていた右手もなくなっていた。
男の悲鳴が夜空に広がる中、ひときわ体格のいい男が、アルクネメと女子生徒の前に出てきた。
ライオネル・ビルクンドであった。
その右手には巨大な肉厚の刃を持つ剣を握り、肩に担いでいた。
「これだけの男たちが、綺麗な嬢ちゃんに突っ込みたがってるんだよ。相手しちゃくれないかな、先輩。」
下卑た笑いと共に、ライオネルが高圧的に告げた。
周りの男たちも、目の前の女性2人を舌なめずりをしながら好色そうな目を向ける。
右手を抑え、痛みのため転がりまわる男を、ライオネルはその大剣であっさりと首を刎ね、その刃についた血を舐める。
いくらその大剣でも、いともあっさり人間の首を刎ねたことは、その力量を克明に物語っている。
人間の首、特に骨は結構硬いものである。
一瞬で切断するにはそれなりの力量がいるものなのだ。
苦悶の表情のまま、アルクネメの足元にその首が転がってきた。
その様子に、男たちが大声をあげて笑っていた。
「ふん!」
その首を足で蹴り飛ばし、冷酷な目を男たちに向けた。
蹴られた生首は弧を描き、ライオネルの横の男にぶつかった。
「ビビってんだろう?別に殺しはしないよ、アルクネメ先輩。いや、「同胞殺し」でしたっけ?そんな二つ名を持ってるんですよね。怖い女だ。」
そう言いながら、そう見ても怖がるというよりも、笑いを噛みしめるような表情だ。
ついこの前、完膚なきまでの敗北をした女性に対する態度ではない。
先の決闘が何かの間違いだと思っているし、「魔導力」を使えなかったからであり、この男はアルクネメに負けたとはこれっぽっちも思っていないのである。
「少し我慢してりゃあ、朝にはちゃんと帰れるぜ。それだけの体力があればな。」
ライオネルの言葉に周りの男が笑いだす。
「俺たちが満足するまでやらしてもらうからな。いい薬もあるんだぜ、嬢ちゃんたち。すんげえ、気持ちよくなるぜ。」
周りからそんな言葉が聞こえてくる。
男の右手をあっさり切り落とした、自分の剣を軽く振り、ついていた血を飛ばした。
自分に縋りついている女子生徒の耳元に口を寄せた。
「ちょっと離れてもらうよ。」
そう言うと、その女子生徒を自分の後方に突き飛ばす。
瞬時に、そのままアルクネメが前に出た。
「ハン、この数を相手に出来るのかよ!」
大剣を構え、突進するアルクネメに対応する。
他の男たちもそれぞれ剣を構えた。
突き飛ばされた女子生徒が樹木の根元に手をついて、その場にしゃがみこんだ。
怖さから足が震え、動きが取れない。
ライオネルの周りの男たちのうちの二人がその女子生徒に向かおうとした瞬間、半透明の幕がアルクネメと男たちを包んだ。
アルクネメが結界を張ったのである。
当面、女子生徒には誰も手を出せなくなった。
半透明の結界は、通常の防護障壁と異なり、完全に外界との接触を遮断した。
単純に言えば、この中で何が起ころうとも、外界には流出しないし、逃げることも出来ない。
さらに空気も水蒸気もまったく通さないため、この人数が数十分ほどの酸素しかないことになる。
アルクネメに突き飛ばされた女子生徒は、クワイヨン高等養成教育学校1年次のカオリ・モル・アシーダンルという名前を持つ子爵家の三女の15歳になる令嬢であった。
今まで剣技や格闘技などを行ったことは無く、家にある広大な花壇の世話が好きな、貴族ではよくいる少女だった。
だが、幼少の身から確かに「魔導力」は大きく、家の花壇への水やりは、その力で小規模な雨を降らせるほどだった。
学校に入学したのち、座学はまだしも、剣技、格闘技、運動全般では全くの劣等生だった。
そして、人知れず体力増強のための走り込みをしている最中に、ライオネルたちの標的になった。
だが、ライオネル自身、教官たちが自分よりはるかに強いという事は知っている。
今ここに残っている教官たちのほとんどが2年前の「天の恵み」回収作戦に関わっていた。
その壮絶な戦いを生き残った者たちは、それまでより、数段強くなったともっぱらの噂であった。
今回、標的にカオリを選んだのは、たまったフラストレーションの発散が目的ではなかった。
ちょうどアルクネメが寄宿舎に帰るために遠回りするコースであることを知っていた。
その途上で誰でもいい、女性を拉致すれば、この罠、多くの「魔導力」に自信を持つ、自分のグループの構成員を配置して、アルクネメを屈服させることが出来る。
本気でそう思っていたのだ。
ライオネルは様々な間違いを犯したが、その中でも最たるものが、今回のアルクネメへの人目のないところに誘い込んだうえでの襲撃だった。
世間には完全に秘匿にされている、アルクネメの能力。
だが、その一端を噂が伝えていた。
「同胞殺し」
その意味をライオネルはよく考えるべきだった。
アルクネメたちが参加した「天の恵み」回収作戦に関しての詳細は開示されてはいない。
だが関わった国軍兵、騎士団員、冒険者たち、そしてクワイヨン高等養成教育学校の学生。
その2割にも及ぶ人が帰らぬ者となった。
そして生き残った7割のものが負傷した。
参加した学生の4割が戦闘不能に陥っていたのである。
アルクネメはその過酷な作戦を生き残り、さらに同胞殺しと揶揄されるように、実際に人を殺している。
その人、マリオネットは人為的な「魔物」化により強化された状態であったことは知られていないが、誰かを殺したという噂には耳を傾けるべきだったのだ。
ライオネルとその配下の半グレの男たちは、アルクネメの結界の意味を誤解していた。
アルクネメ自身と少女を守るための結界が恐怖のあまりずれたのだと。
真の意味は、彼らをアルクネメという名の非常に獰猛な獣の檻に入れられたという事をまるで考えなかった。
アルクネメの距離の詰め方は、一度経験している筈なのにも関わらず、ライオネルは甘く見ていた。
自分たちのグループが連携を取った時に勝てる相手がいるはずないと、高を括っていたのだ。
アルクネメの結界の中を暴風が吹き荒れた。
外から見ていたはずの「特例魔導士」の才を持つ少女、カオリには何が起こっているのか、全く認識できなかった。
アルクネメはライオネル達との距離を詰めた瞬間、剣を持つライオネルの右腕を切り落とし、鳩尾に膝を叩き込んだ。
ライオネルの腹部は強固な筋肉で固められていたが、アルクネメの蹴りはそんな筋肉をものともせず、筋肉の中の内臓を直接潰した。
さらにライオネルの斜め後方にいた5人の太ももをロングソード現象で簡単に貫き、さらに横の4人に細かい光弾を叩き込んでいた。
反対側にいた3人には結界の内側に電気ショックを走らせ、感電させて意識を絶ち切った。
そして、全ての暴漢の股間を潰した。
アルクネメが結界を解いたときには、立っていたのは既に刃の血が「魔導力」の浄化により綺麗になった、愛する人の鍛え上げた剣を持つ、アルクネメの姿であった。
その後、アルクネメが「リング」を通じて発した内容を確認した「サルトル」が騎士団から人を現場に向かわせた。
その要請に応じたのは、今ではシリウス騎士団団長となったキリングル・ミノルフであった。
腰を抜かしていた唯一の目撃者、カオリ・モル・アシーダンルはしかし、要領を得ない話しかできなかった。
「久しぶりだな、アルク。元気そうで何より。というよりも、あの時より格段に強くなったようだな。」
「お久しぶりです、ミノルフ卿。今ではシリウス騎士団の団長になられたと伺っています。おめでとうございます。」
「めでたくはないさ。上層部の不祥事のしりぬぐいをしているだけだ。「サルトル」様から復学したとは聞いていたが、君に必要なのか、学校は?」
凛々しい「魔導士」として立つその姿は、2年前に別れた時よりもはるかに美しい女性になっていた。
ただ、バンス家より聞いている話が、ミノルフの心を締め付けた。
「必要だと思って復学しました。ただ、もう私の居場所はないとも思っていたのですが……。」
そう言って、木に寄り掛かったまま動けない少女と、騎士団員が倒れている男たちに応急の処置をしている光景を見ていた。
「学校に、こういった不埒な奴が蔓延っているとは思いませんでした。」
「ああ、そうか。あの「天の恵み」回収作戦の後、人的被害が大きくてな。高等養成教育学校でも、多少のことには目をつぶったんだよ。必要最低限の人員の確保を優先して。そのライオネルってやつの犯罪行為はうちの犯罪対策部門と、国の警察機関が内定を続けていて、奴のグループだけではなく、犯罪組織の一掃を計画していた段階で、あいつが「特例魔導士」と判定、この学校に逃げ込んだって訳だ。」
「「サルトル」様や、バンス卿との約束もあります。それと、こういった輩も害にしかなりません。目を光らせるつもりです。」
アルクネメの言葉にミノルフは軽く笑った。
「一応、こいつは「特例魔導士」として、将来的にはかなりの戦力とみられていたんだが、アルクにかかっちゃひとたまりもねえな。」
「歩んだ修羅場の違いでしょう。では、この後処理、お願いします。」
「ああ、解ったよ。」
アルクネメの言葉にそう答えた。
ふと、気になることを思い出す。
「アルク!ブルにはもうあったのか?」
「彼には、ブルックスとはもう二度と、会うことはありません。私のような女は彼にふさわしくない。」
ミノルフの瞳に、意地の悪い光が見えた。
気のせいだろうか?
「じゃ、またな、アルク、アクパ。」
(どうやら起きてたのが解ってしまったみたいだな、ミノルフ卿。また会えることを期待しているよ)
「おお、是非手合わせを願いたい。」
(それはアルクの仕事だ、私ではない)
「という事だそうだ、アルク。元気でな。」
「ええ、ミノルフ卿も。」
そう言って、アルクネメはミノルフと別れた。
そして、あの時の意地の悪い光る眼の意味が分かったのは、新入生が入学式を迎える日。
その前日に、まずこの国で見ることのないバイクらしきものが、男子学生の寄宿舎「テクネ寮」の脇に紫の靄に覆われているのを見かけた時だった。
アルクネメは女子学生の寄宿舎の一つ「エピュテーメー寮」で暮らしている。
ただ復学という事もあり、5階建ての建物の屋上に新設されたペントハウスが、アルクネメの部屋であった。
「最凶の剣士」と噂されるアルクネメに、誰も近づこうとしていないこともあり、この部屋に訪れるものは、「バベルの塔」関係者や、ミノルフのような上級騎士、そして「デザートストーム」のメンバーであった。
特にバンスはリーノのことが気になるようで、入学一月前からよくこの「クワイヨン国高等養成教育学校」についてのことを聞きたがっていた。
そんな屋上から、「テクネ寮」のわきの紫の靄はよく見えたのだ。
そのバイクは最愛の人を連想させた。
だが、ただの偶然だと思っていた。
ブルックスは今年もう17歳になっている。
「特例魔導士」に認定される上限は15歳であると、アルクネメは思い込んでいたのだから。
「クワイヨン国高等養成教育学校」の正門から新入生が入ってくるのを校舎の最上階の窓からアルクネメは見ていた。
既に5年前、14であの門をくぐった時のことを思い出す。
入学後、すぐにこの剣の腕を見込まれ、オオネスカに声を掛けられたのだ。
いつか、また、オオネスカと笑い合いたい、と切に思った。
今、この窓から見える新入生たちの列。
そこには明るい笑いを讃えたバンス一家の人たちが見えた。
だが、それ以上の衝撃が、アルクネメを襲った。
2年前より伸びた身長が少し猫背っぽい黒髪の少年。
自分が愛した男だった。




