第19話 報告
マーネットは既に眠気は完全に吹っ飛んでいた。
横からお気に入りのアップルグレイの紅茶が香る。
その紅茶の入ったカップのそばには、王家御用達の焼き菓子専門店「マリーのお家」の特製アップルストロベリータルトが乗った小皿が置いてあるはずだった。
侍女のメルナ・ビスハインドがティーテーブルの後ろに待機して、王宮内にある情報室との回線を開いている主を見守っていた。
「先の緊急報告は既に司政官ユミル・ザラトウストと、「バベルの塔」の臨時代表・賢者「スサノオ」に提出した。今までのことからもハルラント伯爵家の内偵は行っておったが…。ここまでことが公になってしまうと、な。特に「バベルの塔」直轄の「クワイヨン国高等養成教育学校」敷地内でやらかすとは。マーネットにももう少しその新入生の件、伝えておくべきだったよ。」
マーネットの私室、リビングからキッチンの奥にある寝室のさらに奥、秘匿通信室を兼ねた執務室で「覚石版」に浮かぶ親戚で直接の上司に当たるソルージェ・エド・ラーシェンの引きつった顔をマーネットは見ていた。
「本当にそうですよ、叔父様。彼の持っていたバイクとやらの機械もですが、賢者と個人的な知り合いってどういうことですか?そりゃあ、17歳で新入生だから「バベルの塔」が関わってることくらいは解ってましたが、そこまで深く関わりがあるなんて、誰も想像できません!メルナも言ってましたが、彼、ブルックス・ガウス・ハスケルという少年は、「魔導力」の流れや「テレム」を視覚的に捉えることが出来るって、いくらなんでも異常すぎます!」
「ブルックスという少年、こちらではコードネームで呼んでいるが、今後は「LOA」と呼称してくれ。」
「なんでLOAなんですか?」
「Lover of A の略だよ。意味はないさ。」
「そう、なんですか?重要監視対象Aの恋人、何ですか?」
「深くは詮索しないことだ。いくら君が王家の人間でもな。奴らにとって便利だから我々王族を残している。不要ならすぐにでも潰す。前国王ティンタジェル・アル・クワイヨン様も塔の奴らがやったんじゃないかと言ってる奴もいる。」
「なんですか、それ?ティンタジェル様を殺害したのはアインという反逆者だったのでは?」
「それは叛乱の指導者だ。直接殺害したのが誰かは解っていない。大体あの時点で前国王を越しても、奴等には全く利はない。どころか不利になるだけだった。だから塔の奴が混じっていて、殺したのではないかっていう話だ。」
「でも、国王は「バベルの塔」に対して従順でしたよ。殺される理由がないのではないかと…。」
「等に対しては一切逆らっていない。そう、従順だった。すべて国民の幸福を一番に考える人だったからな。だが、殺す理由は敵対心の有無ではなく状況だ。」
「意味が分かりません。」
マーネットの拒絶のような言葉に、彼女の上司であるソルージェは少し困った顔をした。
「こちらも本当にそう思ってるわけではない。犯罪が起きた時に一番に疑われるものが誰かは解るか?」
「一番利益を得る者です。」
「そうだな。で、前国王の殺害で利益を得るのは叛乱者たちではない。」
「ですが、叔父様。「バベルの塔」も利益を得るとは…。」
「あの時点で叛乱軍が国王を殺害した、という事実が流れたら?」
その問いかけにマーネットはハッとした。
「叛乱軍を国民の敵とみなす、という事ですか?」
「叛乱を起こすには、その後叛乱軍に与する者が出ないと、叛乱自体が瓦解する。反乱軍の公言する内容に共感する者もいたと思う。その想いを砕いた方が、鎮圧が容易に進む。」
「確かにそう言う考えもありますが…。それでは、我々の存在というモノは…。」
「だから言っただろう。塔にとって、我々王家など取るに足りないものだと。目的のためならば、消失しても構わないと思っている。ただ前国王殺害については、ただの推測だ。証拠はどこにもない。」
「分かりました。重要監視対象Aについても、そしてコードネーム「LOA」についても詮索はしません。では、もう一度現在の状況について。」
「学校側はどうすると?」
「バイオルム校長が既に「バベルの塔」の命に従う決済をしました。よって本日5:00をもって、ヒングル・サージ・ハルラント、オルリング・ジャネッタント、サーバルト・ララスムは退学処分となりました。」
「こちらも、こういう状況になった以上司政官を通して「バベルの塔」に報告した。ついでに、ヒングルがかかわったと思われる事件を分かる限り報告しておいた。それとハルラント伯爵家関連の内偵の報告書も添えてな。こちらでは裏が取れていないものも含めて、だ。3人は「特例魔導士」だからな。実際には「バベルの塔」が処置するはずだ。それと警備兵の巡回時間やその場所をリークしていた兵も拘束した。どうもハルラント伯爵家が関わってるようでな。あそこの一派は王宮に深く根付いているのは仕方ないとしても、政府上層部、国軍、3大騎士団にかなり根を張っているようだ。オルリングという者の「特例魔導士」の2年間の遅延という案件はどうやったのかが、こちらでも不鮮明だ。「バベルの塔」が拘わらなければそんなことはできないはずなんだがな。」
「まさかとは思いますが、「バベルの塔」にも伝手がある、という事ですか?」
「その件についてはこちらでも分からん。あそこはこの世界にとって「触れてはいけない」モノだ。仮にこのことが事実だとしたら、全く違う事情という奴が出てくる可能性が出てくるがな。」
「違う事情?」
「知らんよ、そんなことは。それで、「ロア」については?」
強引に話を変えてきたことはマーネットにもわかったが、この話には先がないと思えた。
そのままブルックスの戦い方について、報告することにした。
「その、コードネーム「ロア」ですが…。かなり機械的なものを持ち込んでます。緊急報告書に軽く触れましたが、バイクという3輪の移動手段を持ち込みました。これが今回の事件の発端です。ヒングル達は靄にかかっていたそのモノに興味を持ちました。紫色という毒々しいものに他の者は近づかなかったのですが、逆に興味を引いたようです。私もこの紫色の靄、結界について注意を促しましたが、彼らの興味を削ぐ効果はなかったようです。」
「なんでも、その敷地内で君がそのバイクに乗ったという話だが。」
すでにその話がソルージェに漏れている。
メルナが伝えはしないだろうが、ここの監視は多くいる。
王宮の代表は自分だが、もう一つの男子用寄宿舎「テクネ寮」の管理者、ウーバング・サトラは国軍の少佐だ。
女子の「ロゴス寮」管理者、リラ・クー・ソンは教育庁出身とあるが今は内務省管理室に所属する情報局員だし、もう一つの女子寮「エピュテーメー寮」管理者、パメルリア・サントスはアクエリアス騎士団団長ザーナルバウス・ジークフリンドの右腕と言われた女性だ。
基本的に寄宿舎の管理者は女性が務めている。
ただその配下には、誰がついているかは公にはされていないが、管理長たるマーネットや校長のサンザルト・ア・バイオルムには正確な人名・所属が開示されてはいる。
その人物が管理者に何かあれば代理で動いたり、警護に当たる。
ただ、それ以上の人員については解らない。
ただ、この寄宿舎に自由に出入りできるものは許可された者だけだ。
それが「リング」によって規制が掛かっているので、一応信頼できるシステムである。
ただし、「バベルの塔」が介入した場合はその限りではなくなるのだが。
「その通りですわ、叔父様。あれを見られたからヒングルたちが邪な気持ちを持ったのでしょうけれども。」
「君が乗る乗らないに関わらず、大きな代物ならばれるのも時間の問題だとは思う。問題はその機械を覆っていた紫の靄、結界を機械的に制御していたという事。それ以外にも。」
「分かってますわ、叔父様。」
言葉を続けようとするソルージェを遮り、マーネットが言った。
「ブルックスは「テレム」が見えます。そのことから「テレム」関連の研究を実家で続けていた。その実績として「テレム」を制御できる機械を開発し、そして実装までしています。どうも2年前の「天の恵み」回収作戦で「バベルの塔」と関係を持ったようです。そして今回、彼には研究室用ともいえるもう一つの部屋が提供されました。これは「バベルの塔」からの正式な要請です。これだけを持っても、充分彼は特別な存在の様なんですよ、「バベルの塔」にとって。」
「その報告は受けていたが、「天の恵み」回収作戦でのことは全くこちらに情報は来ていない。あの作戦に王家の者は全くタッチしていなかった。悔やまれるところだ。だから、叛乱事件の同じ時期で起こった化け物とのことがほとんど把握できていないんだ。対象Aのことも、な。」
「サーバルト・ララスムは身体を麻痺されていましたが、あのときに起こった戦闘は一部見ていたようです。その中で、確実に「魔導力」では上位者であったオルリングにブルックスが」
「ロア、だ。」
「ああ、はい、コードネーム「ロア」は両手に何か円形の物を握っていて、それでオルリングの「魔導力」を無効にしていたと言ってます。正確には「「テレム」を分解した」とロアが言っていたと。」
「塔の奴らは「テレム」を分解する装置を持っているとは聞いている。「天の恵み」回収作戦でのツインネック・モンストラム撃退時にその装置で動きを取れなくしたとは聞いているんだが…、そんな小さいものではなかったはず。」
「詳細は分かりません。ただ、この一つをとっても、彼が「テレム」に精通していることが分かります。「テレム」が見えるという事、そして「テレム」のことを知っている。それだけでこんな機械を作れるとも思いません。「魔導力」は必ずしも戦闘の身に使われるものではありません。もしかしたら彼の能力はこの17歳で「特例魔導士」に認定されるよりも以前に大きく発現していたのではないでしょうか?」
「何が言いたい?」
「かなり以前に「特例魔導士」に認定される力は有していた。でもこの「クワイヨン国高等養成教育学校」に入学させられない事情があった。でも、状況が変化して、今までの事例を捻じ曲げても入学させる必要が生じた。」
「誰が、と聞くのも愚問か。」
「当然「バベルの塔」の事情でしょう。いえ、もしかしたらこの世界の状況が私たちの知らないところで変わったのかもしれません。」
「一つの推測として聞いておくよ、マーネット。引き続き学生の管理を頼む。今回のような不良「特例魔導士」を見つけるのも仕事だ。力の強い奴が反社会的行動を取られることは国力低下の一因だからな。」
「了解しました。ソルージェ・エド・ラーシェン王宮情報室室長。」
目の前の「覚石板」から彫りの深い皺の目立つ壮齢の男性の顔が消えた。
「なんか、とんでもないことに巻き込まれたみたいよ、メルナ。」
もうすでに冷え切った紅茶を口に含み、乾いた口の中を潤す。
叔父、父の長兄に当たるソルージェは昔から何かに怒っているようなきつい顔で自分たち姉妹を見る。
その恐ろしい顔が嫌いだったが、既にその下に配属されて慣れた。
というより、明らかに疲れたように老いてきてることをその顔が如実に物語っていた。
確か今のポストについて25年以上は立っているのではないだろうか。
マーネットが物心ついたときにはその職に就いていたのではないだろうか?
それを知ったのは自分がこの職に就いてから知ったことではあるのだが。
王宮情報室。
この部署は開示されている王宮の組織図には一切かかれていない。
情報を扱う部署はどこもそうなのだが…。
この国において王宮はそれほど発言権は大きくない。
ただの象徴というほどではないが、政治的発言は非常に狭い範囲のみであった。
基本的には議会がこの国の運営を行っているが、司政官にその権力の殆どが集中しているのが実情だ。
そう、だからこそ。
この情報室は王宮の生命線である。
いつ、「バベルの塔」から消去されるか分からない実情で、立ち回らなくてはならない。
情報こそ、その最大の防御であり、攻撃手段なのだ。
にしては自分は間抜けであるとは、マーネットは自分を評価している。
ちょっと間の抜けた親しみやすい寮母さん。
そのキャラクターを演じている筈が、実際にブルックス、コードネーム「ロア」の出現でいらぬことを言いすぎている。
しかもメルナの存在までばれている。
対応策は出来ているが、重要監視対象Aも自分の管轄にいる。
決して小さくないため息をつき、テーブルにあったタルトを行儀悪く素手で口元に運んだ。
そんなマーネットの耳に、自分ではないため息が聞こえてきた。
ただ、そのため息の主であるメルナもあえて注意はしなかった。
食べ物を胃に入れ、少しはこの痛みが軽くなった気がした。
この奥の部屋にも、明るくなり始めた外の光が入ってきた。
「もう、夜明けなのね。」
満足に寝られなかったことを考えて、今日の予定を思い起こし頭痛がしてきたようだ。
さらに睡眠不足による肌のあれも気になる。
もう結婚して子供の二人もいていい年ごろなのに。
消えた「覚石板」に自分の不機嫌な顔を見てそう思った。
「クワイヨン国高等養成教育学校」入学式。
その後、今年の新入生をこの寄宿舎に向かえての歓迎会が控えていた。
昨夜の事件も加えて、厳重な注意が必要だ。
頭痛薬だけでなく、校医で冒険者「医療回復士」でもあるショウキレツ・カメルーンに回復の魔導をかけてもらうしかないと、心の中で決めていた。




