第18話 月夜の闘い
闇に紛れるための全身黒づくめの夜装服を着ているが、ここはその戦闘方法を教えている「クワイヨン国高等養成教育学校」の寄宿舎だ。
こういった侵入者に対応する術は整っている。
とは言っても、寄宿舎で生活しているものの行動を、そこまで監視はしていないのだろう。
だからこそ、今この時点で警備兵の姿はないというわけだ。
また寄宿舎内で問題行動を起こせばすぐにその存在がわかるようになっているとみて間違いない。
寄宿舎の敷地内で、寄宿舎内ではないこの場所。
人目に触れなければ問題がないと思っているところが幼さ丸出しだ。
ブルックスは音もなく、後ろに控えている一人に近づく。
右手を軽くその背中抜下から上へと撫でた。
その黒づくめが地に倒れる。
「か、身体が動かねえ。」
その時、バイクに触れようとしていたのはヒングルであった。
バイクを覆う「テレム」の靄を使い、触れていた者の自由を奪ったのだ。
同時に二人の自由を奪い、3人目に取り掛かろうとした時、明らかに「魔導力」を感じ、すぐさま数歩後ろに移動した。
ブルックスのいた場所に高濃度の「テレム」が爆発した。しかし、全く音がしない。
(オルリング、誰かいる!黙らせろ)
ブルックスはヒングルの命令をしっかり聞き取った。
「魔導力」を使ったのはヒングルの後ろにいた従者のような学生、オルリング・ジャネッタントであることが分かった。
ブルックスが思ったよりも動けるようで少し驚く。
「だから坊ちゃんはダメなんですよ。そこで我々の中で決めた暗号で語らないと。すぐにこちらの意図が相手にバレて負けてるんですからね。」
寄宿舎「テクネ寮」の屋上から、そう声が降ってきた。
ブルックスは感心した。
「魔導力」と「テレム」の動きを見ることの出来るブルックスにとって、二人の動きを封じるのにすぐに察し、こちらに感じさせないうちにあそこまで距離を取れるというのは、かなりの熟練者である。
そのための「テレム」の爆発であろうとも。
「テレム」の動きが爆発の方にしか意識できなかった自分を、ブルックスは反省した。
オルリング・ジャネッタント。
ただの学生ではないらしい。
ブルックスが動くまで、その存在を一切察知はしていなかった。
それは間違っていないという事はブルックス自身、よく解っていた。
だが、一人目の自由を奪った時点で「敵」を認識、すぐにその推定場所の「テレム」を凝縮、爆破と同時に自分は高速で屋上に退避。
この夜の中での音響を限りなく最小限に抑え込んだ腕も見事だった。
さらに秘匿思考波を聞かれたことを瞬時に理解し、音声でこちらに対しての警告も兼ねて自分の主を窘める。
とても見た目の年には思えない。
ハルラント伯爵家がヒングルの護衛として送り込んできていると思ってまず間違いはないだろう。
とすると、先に倒したサーバルト・ララスムも同様のガードマンというところか。
「誰だか知らんが、こうなると死んでもらうしかないな、えっ、そうなるだろう?」
あまり上品とは言えない言葉でブルックスに警告を与えつつ、自分の周りにテレムを集中し始めた。
さて、どう動くか?
最悪、あと数分、時間を稼げば警備兵が来るだろう。
それは相手も知っている筈だ。
つまり、ここで殺しても侵入者を殺した、とでも言い張るのだろうか?
音も無く「テレム」が至る所で爆発し始めた。
それを「テレム」の靄の中、バイクに座りブルックスは伺っていた。
相手はブルックスが全く見えていない。
ヒングルとサーバルトに「魔導力」をかけた時のみ、その動きを感じたのだろう。
今は予測で小規模な爆発を起こして、いぶりだそうとしていた。
ヒングルをここに固定している以上、オルリングが逃げることはない。
このまま警備兵を待つという確実な方法もある。
だが、こんなことを続けるのは、自分の貴重な時間を割かれてしまうことを意味する。
アルク姉さんに逢った時、俺が姉さんを守れる男であることを示す。
そしてアルク姉さんと共に生きる。
ブルックスはアルクネメが失踪し、失意の中そう決心した。
「テレム」を見ることの出来るこの能力を高め、魔導工具の研究を極め、この身体を鍛えてアルクネメに負けない力を身に着ける。
そう言う意味で「特例魔導士」に選ばれたことは一つの証明であると考えていた。
だが、ヒングルらの行動に失望しつつあった自分を、思ったよりも強そうな者がいる。
試さない手はない。
もし、マーネットがすぐに警備兵に連絡を取り、近くを巡回している兵がここに向かっているとすれば、そんなに時間はないわけだが…。
右手と左手に装着された円形の装置を確認する。
思考遠隔操作でバイクを囲む「テレム」を解除。
その「テレム」を左手の装置に吸収させる。
この「テレム」に固定されていたヒングルは先にサーバルトに行った手法、脊髄沿いに「テレム」の爆発で神経を拘束した方法で見の動きを取り地面に転がす。
屋上にいたオルリングがすぐにその状況を察知し、高速でバイクに向かって飛んできた。
だがオルリングの身体はバイクに接することなく、右からの衝撃をまともに喰らい、「テクネ寮」の壁に叩きつけられた。
吸収した「テレム」の一部を実体化させ、高速で飛んでくるオルリングに向けぶつけたのだ。
「このくらいでは気を失ってくれませんか、オルリング先輩。」
「お、お前は…、食堂にいた…。」
壁から落ち、既に夜装服から顔が露になって、ふらつきながらも立ち上がったオルリングがそう言った。
と、同時に空間に淡い光がブルックスに放たれる。
しかしブルックスに当たる前に霧のように消えた。
「うん、なかなか使えるね、これ。まだ実戦で使ったことなかったんで不安だったけど。」
「お前、何をやってる。」
「さすがですね、先輩。そこに転がってる伯爵子息とはちがって、魔導士同士の闘いをよく理解している。」
「まだ新入生なんだろうが、貴様。しかも17なんて「高齢者」で「特例魔導士」になった奴が…。体内「テレム」破壊なんて使えるわけが…。」
既にオルリングは体内に防御障壁、いわゆる結界を張って、体内の「テレム」を外部から誘導されるのを抑えていた。
「理屈では知っていても、実戦で使用経験がないとそこに転がっている二人の先輩のようになるはずだったんですけどね。」
「何もんだ、お前。こっちはここに来るまでこの坊ちゃんを守るために、結構実戦やってるんだ。お前みたいなぬくぬく育っちゃいねえんだ。」
「見た目で判断するのはよくないですよ、先輩。こう見えても、規模は縮小しましたがシリウス騎士団のリッセントリー大隊長から戦い方というものを習った身でしてね。お陰でこの珍しい代物、バイクって言うんですが、で旅ができるほどには自分に自信があるんですよ。」
「この、機械に所有者、か?」
「そう言えば自己紹介がまだでしたね。ブルックス・ガウス・ハスケルと言います。新入生ですので、この顔はよく覚えてください。つまり、この敷地に侵入したものではありませんし、自分の物が盗まれるところを目撃、その犯人を捕まえようとした。わかりますか、この意味?」
「警備兵に突き出す気か、貴様。」
「違いますよ、先輩。既に管理長のマーネットさんに連絡して警備の方をこちらによこしてもらってます。」
「なら、捕まるのは、お前だよ、新入生。こちらはハルラント伯爵という権力者がいるんだ。おまえのような……、ん、リッセントリー?あの叛乱に対抗した英雄の一人、オズマ・リッセントリーと知り合いなのか‼」
急にその顔が青ざめるのが、この薄暗い夜の中でも見て取れた。
だがそれ以上に体内の「テレム」が右手に集中してきたのが、ブルックスに感じられた。
微かにオルリングの右手が動いた。
すぐに強大なエネルギーがブルックスに叩きつけられた。
「今のうちに坊ちゃんだけでも連れ……。」
そこには、そよ風に吹かれた程度にしか感じないような顔をしたブルックスが、満足そうな顔をして立っているブルックスがいた。
「今の、俺の全力の…、なんで、何で何もないような…。」
「以前、「テレム」分解装置というモノを聞いたことがあって。この大きさにするのは大変でしたが、今の凝縮された「テレム」であれば分解できたようです。ですから、結構「テレム」を使う防御障壁を作らなくて済むので疲れることもない。ね、便利でしょう、先輩。」
「き、機械で、そんなことが……。」
「さすがにもうヒングル先輩を抱えて逃げられるほどの体力も「魔導力」もないんじゃないですか、先輩?」
何とかヒングルを引きずるようにしてその場を離れようとしたオルリングは、しかし足を滑らせて不様に顔から地面に転倒した。
「ほら、もう自分に抗う事もできないじゃないですか。」
「お前、何かしたな。」
「ちょっと先輩の足元を滑らせただけですよ。手を貸しますよ。」
そう言ってブルックスが差し出した左手を、オルリングは弾いた。
が、ブルックスの手に触れた瞬間、雷に打たれたような衝撃が貫いた。
「差し出された手を払うって、本当に先輩はマナーがないんですね。」
「貴様あ、今、何をした!」
「オルリング・ジャネッタント。ハルラント伯爵家に仕えて18年ですか。生まれた時からとは。既に12歳で「特例魔導士」に認定されていたのを、伯爵がその人脈を使って2年間も遅らせた。そうですか、貴族ってそういう事もできるんですね。「バベルの塔」がそういう事は出来ないようにしているのかと思ったら。自分の息子が「特例魔導士」に認定される可能性が高いとかまでわかるなんてね。そりゃあ、さっきの先輩の言葉が出てくるわけだ。でも、先輩。ヒングル先輩の悪事をあなたがもみ消すっていうのも…。最近、そんな悪事をした人間がえらい目に遭ったって聞いてたんですが。」
「人の、人の記憶を読めるのか、お前…。」
「読めるというか、「テレム」が枯渇してると、心に壁が作れなくなるって、知ってますよね、先輩。」
「「テレム」が枯渇って…、その機械か‼」
「いいじゃないですか、そんなこと…。で、最凶の剣士、でしたっけ?怖くないんですか?」
そのブルックスの言葉に、急速に恐怖に襲われていることが手に取るようにわかった。
「俺は、人の気配が分かるんだよ!そんな奴がいたらすぐ逃げる。お前ぐらいだ、まったく気配が読めなかったのは。」
「その言葉、待ってたんですよ。やっぱり周りの「テレム」を分解させながらだと、かなり隠密行動がとれるってことですね。ご協力ありがとうございます。ああ、やっと到着かな?」
半月の灯りしかない夜の中、知り合ったばかりの警備兵、サモンズ・ミリネルがブルックスのいる場所に向かって来るのが分かった。




