第14話 マーネットの私室にて
ブルックスとランデルトはブルックスの大きな荷物を引き摺るようにしてマーネットの部屋を出た。
その後玄関の外に置いてきてしまった鞄を回収して、5階の523号室と524号室に向かうはずである。
明るい笑顔で、ちょっと天然だけど憎めない可愛いお姉さんを演じていたその笑顔は、二人が扉を閉めたところで、非常に不愛想な疲れた顔に変わった。
「もっと時間をかけて、彼自身の本音を知ろうと思ってたけど、考えていたことよりも、かなりやばめね。」
大きく胸の中のつかえを吐き出すようなため息をつく。
「「バベルの塔」が冗談で送り込んでくるとは思えなかったけど、ここまで特別とは思わなかったわ。」
「わたくしはお嬢様が酷く慌てていて、気が気ではありませんでした。」
横にいるメルナが諫めるようにマーネットに呟く。
「私自身がそう思ってはいたけど、冷静に言われると胸に刺さるわね。」
「出過ぎたことを言い、申し訳なく思っております。」
「いいのよ、メルナ。彼の言動に、いつもの仮面を被れなかったのは私の愚かさであることは充分わかっています。それにしても、「バベルの塔」が何を考えているんだか…。あの少年自身が、国家機密レベルよ。彼のいた街で監視するよりかは、この学校で保護してる方が安全という考え方もあるし、ここの蔵書を使って、彼の能力を、ましてや「テレム」の研究を行わせて、さらに国家に、いえ、「バベルの塔」の強化を画策した、とも取れるけれど。」
「彼、ブルックス・ガウス・ハスケルという存在は「魔導力」というレベルでは今年の新入生の中でも頭一つ越えてます。17歳でも無理に入学させるだけの価値は十分に認められはしますが…。自分の知っている判定基準では、生まれてから「リング」が記録している「魔導力」の値を基にその将来性を予測して「特例魔導士」の判定をしている。そう認識しています。私や他の重機甲騎士たちは「魔導力」だけを持っても、この学校の「特例魔導士」と充分に渡り合える力がありますし、さらに実戦経験もあります。それでもここの「特例魔導士」とされている学生たちはさらに成長する伸びしろも含めた認定基準をクリアした、言うなれば獣たちです。そして、卒業時点の「魔導力」の閾値は我々を凌駕する存在に成長し、人としての使命を植え付けられるという事です。10代後半からの「魔導力」の成長は鈍化傾向にあり、だからこそ15歳という年齢で上限が区切られています。他の国での16歳という例外は14歳以上で急激な成長があった稀有な例です。だからこそ、ハスケルの17歳入学はそういった事例ではない。そうう思ってしまいます。」
「そう、メルナの意見は私と全く同じ。だから、彼が今回、何故例外ともいえる17歳での入学が決定したか?「魔導力」の成長が著しかったとしても、あの力は説明がつかない。私が見てきた中でも、卒業時にあれだけの「魔導力」に成長させた子は数えるほど。確かに戦闘技術などは教わってはいないでしょうし、この国で要職に就くための知識は少ないとは思うの。でも、「テレム」関連の知識と技術はこの学校で教える講師たちより、明らかに上を行っている。あの子も、おそらくメルナ同様「魔導力」を見ることが出来る。いえ、「テレム」も見えているわね。」
マーネットの断言した事実は、悔しいがメルナも感じていた。
最初こそ、この部屋に他の人間がいるという事を考えていなかったためか、メルナの存在を消すことには成功した。
だが一度見つかってからは、彼は間違いなく私の気配を追っていた。
メルナはそれを痛いほど感じていたのだ。
「この学校に入学させる「魔導力」を判定する機構は、「リング」には組み込まれていない。「リング」を通して「バベルの塔」にその個人情報は逐次収集されているわ。それをこの国の政府も、私たち王宮の人間にも開示はない。言い方を変えれば、「バベルの塔」がその判定を自由にしている可能性もある。とすれば、ブルックス君はとうの昔に判定基準をクリアしていた。にも拘らず、「バベルの塔」は何らかの理由で「特定魔導士」の認定はしなかった。」
「そう思います、お嬢様。ですが、「クワイヨン国高等養成教育学校」に、この年で入学させた。というか、入学させざるを得ないということが起こった、と考えるべきです。」
マーネットは残っていた紅茶を少し口に含んだ。
既に冷たくなっている。
メルナが新しいお茶を用意しようと動くことを、マーネットは軽く手で制した。
「気にしないで、メルナ。今は、この頭の中の情報を整理するために、付き合って。」
「かしこまりました、お嬢様。」
本来であれば、王立大学院で「魔物」についての研究に、その生涯を用いても構わないと思っていた。
だが、「魔物」や「魔導力」、「テレム」は重要戦略命題とされ、「バベルの塔」が、一般人の研究を許可していなかった。
そして、その申請をしていたマーネットは「バベルの塔」より、厳重注意を受けた。
そこには王家の尊厳など微塵もなかった。
そして、学生の監視を行うためのこの寄宿舎の総合管理長の任を押し付けられた。
王宮の人間として、「バベルの塔」の命令は背くことの出来ない絶対的なものであった。
マーネットはその時のことを思うと、悔しさに胸が詰まる思いであった。
前任者が作ったこの寮管理のための部屋に、自分の持てる伝手を使って収集した「魔物」に関する文献を集め、書庫を作るのが精一杯だった。
学校内で、「魔物」討伐や、初級年次の学生用に飼っている「魔物」の観察などから、かろうじて自分の興味を満たしていた。
それにもかかわらず、「バベルの塔」はブルックスに対して部屋を与え、自由に使わせるように通達があった。
この「バベルの塔」の指令に対して、ブルックスが特別ではあろうとは思ったが、年齢的に妻や子供がいてもおかしくなかったため、そういう事なのかと思った。
この学校の中でも、まれにそういうことが起こり、管理しやすいように一戸建てが数棟あるのもそのためであった。
だが実際は違った。
彼、ブルックスは「テレム」を研究していたのだ。
それを禁止することなく、それどころか支援するように研究室を与えたようなものだった。
「テレム」を見ることの出来る彼に。
「ブルックスをこの学校に入学させた原因は、彼女以外に考えられないわね。」
「そうだと思います。ブルックスは明らかに嘘をつきました。彼の幼馴染について。」
「こちらが何も知らないから、彼女を守るためなんでしょう、嘘をついたのは。彼自身、彼女が今どこにいるかはわからないと思うけど、個人を特定されることを拒んだという事ですものね。」
「お嬢様が、その人物を特定できないようなことを言ったときに、明らかに安堵した雰囲気でした。」
マーネットは静かに目を閉じ、今は女子の寮にいるはずの女性を思い浮かべる。
既に20歳に近い美貌の学生。
去年、この学校に復学し、ヒトの嫌悪と憎悪、そして好奇の目に晒されている金髪碧眼の女性剣士。
今では「同胞殺し」と言われてもその眉をピクリともさせない、冷徹な瞳になってしまった最強の剣士。
マーネットも2年前の「リクエスト」で何が起こったかは知らない。
だがその戦場から戻ってきた彼女は、何故か休学し、2年間、その姿をこの国から消していた。
その事にマーネットはあり得ないと学校側に、正確には義兄の校長であるバイオルム侯爵に意義を訴えたのだ。
だが、返ってきた言葉は「「バベルの塔」の命令だ」の一言だった。
「クワイヨン国高等養成教育学校」で休学はあり得ない事態だった。
その場合、「魔導力」を完全に抹殺される処置が施されるのが通例だからだ。
そう、退学と何ら変わりはない。
「特例魔導士」と認定されたその日から、その者は「バベルの塔」の鎖が繋がれた、ある意味では奴隷となる。
その奴隷が、失敗したとはいえ、「バベルの塔」に牙をむいた。
それがアイン・ドー・オネスティーの叛乱である。
「特例魔導士」の中には、公に出来ずとも、心の中で拍手を送った者もいたことだろう。
だが…。
その状況は不自然なことが多すぎた。
まるで、アインが何者かに操られるように、その戦いに邁進していったかのように。
「彼は自分の能力に全く自覚がないわ。それが悪い方に出なければいいんだけど。」
「彼の入学には「バベルの塔」の思惑が絡んでいます。より注視しなければならないのですが……。」
「そうね。そういう意味でもあなたがブル君に見つかったのは、重大な失態だわ。彼は完全にメルナの「魔導力」の個人パターンを覚えてしまった。光学迷彩というあなたの能力は、彼に限って言えば意味がなくなってしまった。」
「申し訳ございません。」
マーネットの言葉にただ頭を下げることしかできない。
メルナは悔しさに息が詰まる思いだった。
完全に相手の外見に自分の油断が出た形である。
見くびっていた、と言ってもいい。
とは言っても、自分の主であるマーネットがあそこで豪快に噴出さなければ、こうはなっていなかったはずだった。
上目遣いでマーネットに目を向けた。
しかし、そんなメルナの視線に、マーネットは全く気付かない。
完全に自分の思考の中に入ってしまった。
メルナは軽くため息をついた。
この状態のマーネットには、外の様子が全く見えないほどの集中力を示すのだ。
メルナは静かにその場を離れ、紅茶のお代わりを作りに奥の厨房に向かった。
マーネットはブルックスの前にその姿を晒したメルナが、今後ブルックスの監視役につけないことを憂慮していた。
ブルックスの持つ特異性。
それは「テレム」の研究だけではない。そう考えていた。
メルナという、いわゆる切り札を使えなくなってしまった状況。
だが、完全な監視とはいかないが、ブルックスの監視を学生たちを使って続けることはできる。
その一人、先程まで一緒にいたランデルトを思い浮かべた。
気のいい彼は既にブルックスの懐に入った。
彼を使わないという選択肢は、今のマーネットにはなかった。




