第9話 お姫様
「で、向こうの建物がもう一つの男子用寄宿舎「テクネ寮」。空いてる部屋に入ってもらってるから、寮の格とかないから安心して。」
ゆっくりバイクを走らせながら、マーネットが説明してくれた。
「貴族たちが、その寮に住まなきゃならない理由を聞いてくるらしいんだよね、毎年。強いて言えば向こうの二つは女子寮だから、俺らは入れない、ってことくらい。」
バイクの駐車スペースは、この「テクネ寮」の端に設えたらしい。
かなりゆっくり進んだが、そこが目的の場所である以上、この天国のような柔らかい感覚とはお別れだ。
バイクをそのスペースに入れ、モーターを止める。
「ここでいいんですよね?」
後ろの柔らかい部分を背中に押し付けているマ-ネットに尋ねた。
「あっ、そうそう、ここよ。でも、綺麗に止めるのね。」
バイクが止まってすぐ、ランデルトが降りて、マーネットの手を取る。
にっこり笑ってその手を借りて、マーネットも下りた。
ブルックスの背中の重量がなくなり、ほっとすると同時に金髪の幼馴染で想い人の顔や体が一瞬脳裏を掠めた。
「あまり揺れないのね、このバイクっていう乗り物。」
この寄宿舎の道路が綺麗に舗装されているというわけではないが、馬に比べれば上下の動きが少ない。
それと比べているであろうことはブルックスにも何となく分かった。
平民のブルックスの家には馬などあるわけがなく、乗馬の経験はない。
品物の納品のため、ハーノルドが馬車を手配して便乗したことはあるが、確かにバイクの方が揺れは少ないだろうか。
「なんかすげえな、ブルの家って。うちは農家だから牛と馬を飼っているけど、こんな代物見たことねえよ。」
「これは特別ですよ。「魔導力」があれば、そこそこ使えますけど、でないと油を結構食いますから。」
「そんな感じはするな。でも、ここに置いておいて平気か?」
「そうですね。学校警備の兵士がここも見回ってくれますけど…。いつもという訳ではありませんし。」
ランデルトが聞き、その疑問にマーネットも心配してきた。
「このバイク自体は自分の「魔導力」にしか反応しないようになっています。それを解除することが普通の人に出来るとは思いません。」
「それは聞いたけど。自分のものにならなければ壊してしまおうとするやつはいるぜ。この学校は紳士淑女の集まりっていう訳ではないからな。」
「私の方からも警備兵には言っておきますが…。」
「完全ではありませんが…。」
そう言ってポケットから右手に隠れるほどの円筒形のものを出し、ブルックスがそれを握り締めた。
すると、バイクの周りに靄のようなものが現れ、バイク本体を覆い隠す。
「簡単な結界発生装置です。一応「魔導力」に反応して、この空間を守ってくれます。」
「そんな物、聞いたことないわよ!」
王家と血のつながる、ある意味お姫様が、その容姿に不釣り合いな声を上げた。
「これでもね、これでも!私も王家の末席に一応名前が連なってるの。だ・か・ら、この重要な施設、クワイヨン高等養成教育学校寄宿舎の総監督も任されてるの!」
「えっ、マーネットさんって「アルス寮」の寮母さんってだけじゃないんですか?」
「この学校の校長、バイオルム侯爵がこの寄宿舎に関する全権を持っているけど、校長って職務、特にこの学校は「バベルの塔」が実質その運営を監督してるの。この国、クワイヨンの政府や王宮よりも上級機関の「バベルの塔」がね!だから、そちらとの交渉や報告があって、さらに政府、貴族、王室とも連携を取らなきゃいけない。で、この学校の一番貴重なものは「特例魔導士」となった学生たちなのよ。その学生が普段住んでいるこの4つある寄宿舎に対してサンザルト義兄さんは、とてもじゃないけど目が届かない。だから現場を仕切る信頼のおける人物として、私が総監を務めてるの!」
マーネットが、先ほどとはまるで別人のようにまくしたてた。
その勢いにランデルトもびっくりしているようだった。
「いやあ~、マーネットさんが偉い人だってことは知ってましたが、そんなに…。自分では王室から追い出された女と自虐ネタ振ってたと思ってたんですが…。」
「あ、秘密だったんだ、この事……。ねえ、二人とも、今の話は聞かなかったことにして、ね、ね。」
そう言ってマーネットは顔の前に両手を合わせて、泣きそうな顔で二人に懇願してきた。
そのポーズはブラウスの胸元から肌が露出し、両腕で挟まれた見事な二つの山の間に肉感的な谷間が男子二人の視界と股間に直撃する。
鼻血を噴きそうな感じで鼻を抑えているランデルトが、何とか言葉を紡いだ。
「ちょ、ちょっと、マーネットさん!その恰好、刺激、強いっす!」
その言葉に、自分の姿を顧みたマーネットの顔が一気に赤くなった。
思わず合わせた手をほどき、胸元を隠した。
「今のも、二人とも、記憶から消しなさい!」
真っ赤になりながらそう命令されてもな、とブルックスは思いながら、ランデルトと共に顔を縦に振る。
「ちなみにですが、サンザルト義兄さんって誰ですか?」
「あ、ああ、そんなことも言っちゃたんだあ~。はあ~、仕方ないか…。サンザルト・ア・バイオルム侯爵。この学校の校長…。」
「その人が義兄さんってことは…。」
「そう、私は校長の義理の妹。姉さんのクリステリアの旦那さんなの。」
「凄いことになってるんですね、この寄宿舎は。昨日まで平民の自分には、ついて行けません。」
「いや、ブルックス君よ。3年次の俺も、初めて知った事実だ。王族と関係があるという事は聞いてたんだけどさ。」
「さっきも言ったけどこのことは他言無用でお願い。あまり公になると…。」
「まさか、俺達、王宮の隠密に消されちゃう?」
不穏なことを先輩が言いだし、ブルックスの背中に冷たい汗が流れる。
まさか、入学する前に消されるって…。
このバイクで、追手を振り切ってどこまで逃げられるか?
でも、入学しないと、王族よりも、「バベルの塔」の追跡の方が遥かに怖い。
「私が家に戻されて政略結婚させられちゃうのよ!せっかく、この寮で年下のいい男捕まえようとしてるのに!」
あまりにもあけすけな理由が飛び出し、ブルックスと、ランデルトは開いた口が塞がらない状態に陥った。
「マーネット寮管理者様?それはさすがに言ってはいけない理由すぎないでしょうか。マーネット様は、今おいくつなんですか?毎年待ってるだけでは、歳の差が広がるばかりですよ?」
ランデルトが、恐る恐る尋ねた。
この先輩、勇気あるなあ、と純粋にブルックスは感心した。
「もう今年で25歳よ!本当に今の子は、レディに歳を聞くなんて失礼な奴らね!」
失礼と知りつつ、ちゃんと答えるところが可愛い、などと思ってしまう自分が恥ずかしいとブルックスは思ってしまった。
「本気なんですね、失礼しました。」
ランデルトがそう謝って、真っ赤になって自分の恥ずかしいことと、重要と思える情報を喚くのはよくないのではないかと思ったが、ブルックスがふと周りを見ると、明らかなシールドが、3人を包んでいることに気付いた。
「これって、ランド先輩の遮音シールドですか?」
「おお、よくわかったな。お前さんがあの変な結界を張った時から、そのからくりが知りたくてな。あんま人に聞かせない方がいいかと思って張ったんだが、まさかお姫様が、あんな極秘事項と思われることを喋りだして驚いたよ。」
「うう、ありがとう、ランド君。ここ「テクネ寮」のすぐ横だから危なかった。」
「マーネットお姫様も、もうちょっと脇固めた方がいいですよ。その天然っぷりは可愛いんですが、まさかそんなに血統がいいとは思いませんでしたから。」
「ごめんなさい。本当に、申し訳なかったわ…。それでね、わざわざ私の素性を口走ったのは、そのブル君の結界を発生させる装置。それって、この遮音シールドをランド君が「魔導力」で張った、というものと違うわね。」
まだ赤い顔で、やっとこのお胸の大きなお姫様が聞きたかったことがわかった。
「はい。これは純粋にこのバイクに接続した機械が自動的に展開している結界です。私や父親の「魔導力」の波形以外の「魔導力」の持ち主が触ろうとすることを拒否するようにできています。この靄は「テレム」に付随したものですよ。」
「なんで、「テレム」をそんなに簡単に使えるんだよ!おかしいだろう。」
「そう言われても…。自分、「魔導工具士養成学校」で勉強してたんですけど。」
「いや、いくら専門職の養成学校だって、「テレム」の扱い方やるなんて聞いたことねえよ!」
やっと落ち着いたのか、マーネットが叫びに近いランデルトの声にブルックスに視線を向けた。
「私もそんな使い方は知りません。このバイクにしても、一切情報を聞いたことが無いんですよ。先程言いたかったのは、私の周囲にはそれなりの情報が集まってくるようになっているという事。その私が、こんなバイクなんて言う乗り物は聞いたことが無いですし、「テレム」を魔導力なしで自在に使える技術があることも聞こえては来ません。どういうことですか!」
そんなことを言われても…。
と言うより、何なんだ、このお姫様!




