第3話 バンス家の朝
全く、なんでこんな姿に。
鏡の前で自分の姿を見るチャチャナル・ネディル・バンスは、いつもと違う姿に窮屈さを感じていた。
そんな自分の夫の姿、アイボリーホワイトの燕尾服を着た姿にアオイ・マーシャル・バンスは笑いをかみ殺していた。
その姿を視界の隅で捉えたバンスは、さらに眉の間の皺が深くなった。
決して似合わないわけではない。
普段は少し年季の入った野戦服の上に軽度鎧を身に着けている。
世界各地から仕事が来ることから、この家に2週間といたことはなかった。
だが、数度の強敵との戦闘(自分の愛娘とのも含む)でダメージを負った体の治療に2か月以上の入院を命じられ、この家に帰ってきたのが3か月前。
既に末っ子のリーノ・アル・バンスが4年ぶりに帰宅してから、馬術調教学校に通う長女コトノ・シャルル・バンスが1度家に帰ってきて、さらに卒業して家に戻ってきてから、1か月が過ぎている。
全ての家族4名が揃い1か月も一緒にいられたのだ。
リーノと会えなくなってから、まさかこのような幸せな日々が1か月も続くとは思わなかった。
ただしそれも、今日で終わりだ。
リーノはその「魔導力」の高さ故、本日からクワイヨン国国立高等養成教育学校に入学し、6年間の寄宿舎で過ごすことになる。
年に2度程度は帰ってこれるものの、今度は冒険者を生業とする夫のチャチャネルがいるかどうか不明。
さらに長女はセントジルム藩・藩都ジルムベルに居を構えるペテル騎士団付き飼育員に採用され、今日の入学式終了後、移動することになっている。
少しの寂しさを伴い、アオイ・マーシャル・バンスは妙にその燕尾服の似合う夫の姿に笑っていたのだ。
筋肉がしっかりとあるため既製品の礼服を手に入れることは出来なかった。
しかし、縁のある政府関係者、ありていに言えば賢者「サルトル」から送られてきたのがこのアイボリーホワイトの燕尾服だった。
そして、今アオイが着ている薄紫をベースとしたドレス。
さらにクワイヨン国国立高等養成教育学校入学式に合わせて馬車まで用立ててくれた。
それだけのことを夫が「バベルの塔」に尽くしたことを意味していた。
多くを語れない夫から、アオイはそう理解していた。
それでも、リーノが元気に生きていることに比べれば、こんなことまでしてもらうのは悪いとは考え、一度は辞退したのだ。
だが「サルトル」は、リーノのことに関して、「バベルの塔」はほとんど無力であった。
感謝をするのであれば、クワイヨン国国立高等養成教育学校に在籍する、4年次のアルクネメ・オー・エンペロギウスに向けるべきだと教えてもらっていた。
アオイは「サルトル」の言っている恩人、アルクネメを是が非でも探すつもりでいた。
「パパ、ママ!迎えの馬車が来たよ。」
20歳を迎えたコトノの元気な声がする。
彼女も妹に全く会えなかったこの4年以上の月日を寂しく思っていたのだろう。
今日のこの日は、絶対に入学式に出ると言ってきかなかった。
当初は1週間くらい前にはジルムベルに向かわなければならなかったのだが、政府上層部からの要望という事で、ペテル騎士団も納得したらしい。
バンス夫妻が家を出ると、すでに姉妹が荷物を馬車の後ろの荷車に載せ終わっている。
「おお、なんかパパ、いつもよりカッコよくない?」
長女のコトノがバンズの正装に楽しげな声を掛けた。
そして横に自然に立っているアオイに目を移す。
「うん、ママはすんごく綺麗。ねえ、リーノ。」
「ママはいつもきれいだけど、今日のドレス、よく似合ってる。でも、パパのそれ、完全に服に着られてるって感じ?」
少し辛めのコメントにアオイとコトノは笑い、バンス本人は渋い顔をした。
この光景に、アオイは少し自分の涙腺が緩むのを感じた。
そのアオイの前にハンカチがあった。
顔を上げると少し照れたような夫のバンスの顔があった。
「お前にも苦労と心配をかけて、済まんな。」
「本当よ。あなたが死ぬ気でいたなんて話、聞きたくなかったわ。」
「すまんと思ってる。」
「そりゃあ、冒険者なんて言う危険な職業の人と夫婦になったんだから、心配することはしょうがないと思ってたけど…。私たちを置いて自ら命を絶とうだなんて…。その最強の女性が優しい人でなかったら、ここにはいないし、リーノもここにはいなかった、そういう話でしょう。」
「ああ、全く、その通りだよ、アオイ。アルクがいなければこの幸せはなかった。」
瞳の溢れそうな涙をバンスのハンカチで拭い、笑顔を向けた。
「その女性、アルクネメさんという方、絶対探し出してね、あなた。お礼を言わないと。」
「わかってるよ。」
あまりに二人が動かないことに少し苛立ちを覚えたリーノが、バンスの腕を引っ張った。
「ほら、行こうよ。」
ここに戻ってから日々剣の鍛錬を受けていたリーノの力は、かなり強くなっていた。
バンスが入院を余儀なくされていた時は、ダダラフィンとヤコブシンが頻繁に訪れて稽古をつけてくれていた。
そのため、退院したのちのリハビリを兼ねた軽い稽古から入ったのだが、その時にはリーノの剣の腕は、道場を構える流派であれば段を持つほどの腕にはなっていた。
もともとの「魔導力」の才能が常人のものをはるかに超えていたが、剣の技術も天賦の才能があったようだ。
剣の腕はダダラフィンさえ、舌を巻くほどであった。
バンス自身も、「特例魔導士」程の「魔導力」はないものの、剣と「魔導力」の実践能力はかなりの高度な才能を有していた。
剣技において、二刀流のダダラフィンには劣るとはいえ、「魔導力」を組み合わせた時の戦闘能力は、現シリウス騎士団団長を務めるミノルフすら及ばない。
叛乱を起こした「特例魔導士」の前団長のアインともいい勝負が出来たのではないか、とダダラフィンに言わせるほどであった。
そのバンスが実践的な剣技をリーノに指導し始めると、リーノの才能もそれに呼応し、その技術を恐るべき速さで吸収していった。
現段階で、その剣技に「魔導力」を乗せる戦闘現象、ロングソード現象や、超高速振動現象などの技術的な使用方法までは伝えてはいない。
だが、「クワイヨン国高等養成教育学校」でリーノをバックアップするであろう金髪の女性剣士、アルクネメ・オー・エンペロギウス卿との剣技を行う機会があれば、自分をすぐにでも追い抜くことは明らかであった。
リーノはいまだ11歳を数えるに過ぎない。
少女というにも幼いその身で、その暴力的な力を身に着けている。
その悪い使い方が「バベルの塔」で見たすべてのものを破壊しつくす業火のような力の嵐だった。
おそらく、人類でその力を抑え込める者はアルクネメだけであろう。
置いて行かれる父親からすれば、嬉しくもあり、寂しくもあった。
だが、大きな力を持つ娘の身を案じれば、その娘の力に拮抗できない自分が情けないという思いが溢れてくる。
今は、恩人である、アルクネメにすべてを任せるしかなかった。
馬車に乗り込もうとしているリーノに近寄り、後ろから抱き上げた。
「あっ、ちょっ、パパ、何すんの!」
突然の父親の行動にリーノが驚き、バンスの腕の中で少し暴れたが、バンスは全く動じなかった。
「軽いな、リーノ。」
「まだ、11よ‼これくらいが普通でしょう?」
「戦闘では、やはり筋肉量が必要だ。しっかりと食って、鍛錬しろよ。」
「わ、解ってるわよ、もう。」
暴れるのをやめて、首をバンスの方に向けて、父親の言うことを認める。
剣技だけで言えば、その体重ゆえ、打ち込みが軽いとダダラフィンからも言われていた。
「魔導力」を駆使して戦えば、空中を駆けあがるようにした3次元的な戦いも出来るが、一撃が軽いと思われれば、多少の打撃を無視して突っ込んでくる奴もいる。
特に「魔物」には、打撃力がものを言うことは、ダダラフィンもバンスも何度となくリーノに教え込んできた。
ゆっくりリーノを下ろすと、振り返って、むくれた顔をバンスに見せた。
その顔すら愛らしいとバンスは思った。
そして、その背後にアルクネメの顔が浮かんだ。
むくれている自分の愛娘のシルクのように輝く髪がたなびく頭を右手で撫でた。
「本当に子ども扱いはやめて、パパ!。」
「お前も、コトノもいつまでも俺とママの子供だよ。いくつになっても。」
「それはそうだけど…。」
バンスは腰を折り、目線をリーノに合わせた。
「いいか、リーノ。お前さんがどんな道に行くかはわからんが、戦闘に限らず、まず生き抜くことを考えろ。生きていれば、次の手は打てるんだ。死に急ぐな。」
その眼差しがあまりにも真剣だったことから、変に茶化さず、その視線をしっかりと受け止めた。
「わかってるわ。お父さんには言われたくない、って気はするけど…。」
「まったくだ。じゃあ、行こう。アルクネメをはじめ、きっと強いやつらがいるはずだからな、高等養成教育学校には。」
「うん、楽しみにしているよ。アルク姉さんほどの人がそうそういるとは思えないけど。」
「ふん、確かにな。」
そんな父娘の会話を母であるアオイは微笑みながら見つめ、馬車に乗り込んだコトノは少し複雑な面持ちで見ていた。
コトノ自身、その感情は整理できていなかったが、妹に対する嫉妬ではない、と強く念じていた。




