第1話 オオネスカの病室にて
賢者の哀しみはより深く、本編である物語です。
序曲、小夜曲が、結果的にアルクネメが主人公になってしまいましたが、本来の主人公・ブルックスの物語になります。
楽しんでいただけると、作者として、これ以上の喜びはありません。
もう秋も終わりそうなこの季節の風は、かなり体温を奪う気がした。
それでも、この部屋の主人はその窓を閉めようとは思っていないようで、綺麗な髪の毛がその風に靡くに任せているようだ。
自分とは違い、戦闘時に邪魔になるはずのその髪の毛をオオネスカは切ろうとはしなかったことを思い出した。
「この髪は私そのモノ。戦場でこの髪が味方には安心を、敵には脅威として映るようにないりたい。それが私の理想なの。」
アルクネメは自分の自慢でもある金髪を切ったときに、先輩であるオオネスカがそういった髪の毛が、今は自分を拒絶するようにたなびいている。
アスカに案内されこの病室に入ってからオオネスカは、一切アルクネメを見ようとはしていない。
ずっと、窓の外を見ていてアルクネメにはその髪の毛と背中しか見ていなかった。
「オオネスカ先輩、やはりまだ私のしたことが許せないですか?」
少しオオネスカの肩が震えた気がした。
だが、やはり答えが無かった
この王立病院の個室に通してくれたのが、オオネスカの同意ではなくアスカの好意ある独断なのはわかっていた。
だがここまで自分が拒絶されている事にアルクネメは胸が苦しくなる。
だからと言って、マリオネット先輩を殺した事に関しては謝りようが無い。
あのとき、マリオネット先輩を無力化できなければ、下手をすればあの場にいたものだけでなく、この国にまでツインネック・モンストラムの被害が及んだ可能性が高いのだから。
「それでも、あの時マリオ先輩を止めるために殺してしまった事を謝罪するつもりはありません。」
自分の物言いが、かなり強めであることは十分にわかっていた。
それでも口調がキツくなったのは、そうしないと自分の心が壊れそうだったからだ。
ブルックスとの一夜は、これから自分が取るべき道筋のためにはどうしても必要だった。
あの一夜だけで我慢ができるかは分からない。
それでも、このブルックスとの忘れられない思い出がどうしても自分には必要だったのである。
マリオネット先輩を殺害した事に対しての謝罪はする気がない。
それでも後悔をしていないかと問われれば、後悔しかなかった。
もっと上手くやる方法はあったのではないか?
自分へのマリオネットの羨望、嫉妬に気付ければ、その前の段階で打つ手はあったのではいか?
あの「リクエスト」に参加しなければ、こんな事にならなかったのではないかとも考えてしまう。
自分はまだ3年生だ。
「リクエスト」には参加しなくとも、誰からも批判されることはなかったはずなのだから。
その考えに意味はないことは十分アルクネメは理解していた。
不遜だとは思う。
自分が参加しなければ、「リクエスト」に参加したすべてのものが死んでいたかもしれないという考えは。
しかし、自分の功績を鑑みればそれが事実であった。
最初の戦闘地、ユスリフル野営地での戦闘はそれほどの差はないかもしれない。
しかし、その後の「天の恵み」回収作戦、ツインネック・モンストラムとの戦闘。
この時点でかなりの戦闘員が死亡したはずだ。
それよりも、アルクネメが参加したからこそ、ブルックスの援助が得られた。
「テレム」発生装置や小型飛翔体がなければあの時点でツインネック・モンストラムを消耗させることが出来ず、「天の恵み」そのものが破壊されていた可能性すらあった。
追撃戦に至っては自分の存在なしにツインネック・モンストラムを倒すことはできなかっただろう。
仮定の条件を考えては、自分の功績・存在があの作戦に重要であった事を嫌というほど思い知らされていた。
一度は助けることが出来たと思った先輩。
それをもう一度殺す事になった自分の心情はどうしてオオネスカ先輩はわかってくれないのか?
この考えは甘えなのだろうか?
オオネスカ先輩は何も答えてはくれない。
それどころか顔すら見せてはくれなかった。
「天の恵み」回収作戦の終盤の戦闘。
その時の怪我と、体力的な無理が祟ってこうして病院に入院しているオオネスカは、アスカの献身的な治療と看病で、かなり体調はいいと聞いていた。
だからこそアスカはこの病室にアルクネメを迎え入れてくれたのだろう。
そして仲の良かった先輩と後輩の間にできた溝を埋めようとしてくれたに違いない。
顔を向かい合うことはできそうにない、そうアルクネメは思った。
それでも最後にこのことは伝えなければならない。
「オオネスカ先輩。私はこれからしばらくの間、このクワイヨンから離れます。「バベルの塔」の要請もあって、デザートストームの一員としてバンス卿とともに、外の国を見てきます。その事を伝えに今日は来ました。できれば先輩に笑顔でお別れと再会の約束をしたかったのですが…。」
その言葉にオオネスカの肩が明らかに震えていた。
その震えが一体何を物語るのか、アルクネメには分からなかった。
「それでは、オオネスカ先輩、お元気で。今まで、本当にありがとうございました。」
アルクネメは最後にその言葉を残して、病室を後にした。
廊下にはアスカが待っていた。
二人の邪魔にならないように、しかし、何かあればすぐに駆けつけられるように。そう、アスカはオオネスカの影のように寄り添い、その存在の全てをオオネスカに捧げている。
それでも、アスカはアルクネメのことも気遣っている。
「アルク、本当に冒険者のチームに入るのか?君は今回の「リクエスト」では間違いなく英雄だ。その君を、「バベルの塔」はまるで国外追放するようなもんじゃないか!」
「確かに、そういう面もあります。マリオ先輩が「魔物」化したと言う極秘事項を知る人物、その多くを国外に出すと言う意味合いもあるのでしょう。ですが、私を慮ってくれていることも事実です。賢者「サルトル」様の配慮だとも伺っています。本当に人の「魔物」化と言う機密事項を守る気があれば、極論ですけど関係者全員を殺すのが最適です。」
アルクネメの言葉に、アスカは首を振る。
「アルク、本気でそう思うのか?君が取り込んだ「魔物」の精神体、アクパだっけ?彼が君の中に居る限り「バベルの塔」は迂闊な動きはできない。私はそう思うよ。」
「それはそうかもしれません。アクパの知性としてはまだ幼いですが、日々成長しています。それに、いわゆる「魔物」とのファーストコンタクトであるのも間違いありませんから。にもかかわらず国外に出る事を勧められました。本来ならこの国内、最悪「バベルの塔」に監禁したいところだと思いますよ、賢者たちは。それに勧められはしましたが、決めたのは私自身です。」
力強いその言葉にアスカは驚いた。
今回の「天の恵み」回収作戦でのアルクネメの急成長を目の当たりにしたアスカであった。
それでも、この決意の言葉はアルクネメが、さらなる成長をしている事を実感させられた。
「アルク、君がそこまで堅い決意があるのであれば、私が言うことは何もない。だが、私も、そしてオオネスカ様も君のことを案じている。それは信じて欲しい。」
「ええ、私も、この気持ちに変わりはありません。たとえオオネスカ先輩に憎まれているとしても…。」
病室から微かに嗚咽が聞こえてくる。
アルクネメはその声が何に対してのものなのか、分からなかった。
その目が病室に向かっていることにアスカが、深くため息を吐いた。
「何かあれば私を頼って欲しい、アルク。それだけは覚えておいてくれ。」
「その時にはよろしくお願いします。」
そう言って頭を下げようとした時、アスカに両肩を掴まれた。
「儀礼的なことを言ってるんじゃないんだ、アルクネメ・オー・エンペロギウス。君の窮地には必ず私が、いや、バッシュフォード家が助ける。助けてみせる!だから、どうか、どうか我々を頼ってくれ、アルク。」
両肩を掴まれ、揺さぶるようにしてアスカが悲痛そうに言った。
アルクネメは混乱していた。
普段のアスカではあり得ないほどの感情をぶつけられた。
さらに、オオネスカの実家であるバッシュフォード伯爵家が自分のために動くという。
信じられる話ではない。
「わかりました、わかりましたから、この手を……。」
「ああ、済まない。私らしくもない。少し興奮してしまって。」
「いえ、先輩の心配は深く胸に刻みました。何かあれば頼らせていただきます。ただ、先輩個人の私への援助は理解できます。ですが、オオネスカ先輩どころか、実家のバッシュフォード伯爵家が私に援助の手を差し伸べると言うのは…。」
「理解に苦しむか、アルク。」
「はい。そこまでのことをアスカ先輩が言及されることも含めて。」
アルクネメの肩からアスカは手を離し、少し距離をとった。
それでも瞳を直視する。
「当然、君がオオネスカ様の命を救ってくれたからに決まっている。当主のヨークリング様はアルクの状況を十分に理解している。アルクがいなければ、我々は全てあのバケモノ、いや、これは済まない。」
アスカがアルクの心に共存している「魔物」の精神体のことを思い出し、謝った。
「いえ、アクパはそのことについては、何も言いませんから大丈夫ですよ。」
「そう、なのか。まあ、いい。つまり、オオネスカ様をはじめ、我々も、デザートストームのメンバーも誰一人として生きて帰ることはできなかった。それどころかこの国、クワイヨン全域を蹂躙されていたかもしれない。そう言う状況を理解されている。」
「それは……、機密ですよね、その情報。」
「このことは「バベルの塔」も了承している。と言うよりも、君とオオネスカ様の決裂はあまりにも不自然だった。マリオは「魔物」との戦いで死亡というのが公式の発表だ。であれば、なぜ娘が可愛がっていた後輩、アルクと仲違いの状態になっているのか?オオネスカ様は事情の説明はせず、アルクの再三の面会の希望を拒絶している。この戦いに何があったか?疑問に思うのは当然だろう。」
「だからと言って、「バベルの塔」が簡単にバッシュフォード伯爵に事情を説明するとは思えません。」
そのアルクネメの言葉に軽く頷く。
「だが、バッシュフォード伯爵は特別と言っていい。シリウス騎士団の飛龍隊は元々伯爵家の所有だったものだ。ラウンズ侯爵領の私設騎士団が出自のシリウス騎士団は王家と縁があり、周りの貴族の騎士団を吸収し、半公設の騎士団になった。そこで重要だったのが飛龍隊の存在だ。つまりラウンズ公爵を通じて王家と政府に対してそれなりの発言権を有していた。今回の叛乱においても、飛龍隊が鎮圧の協力をしていることは「バベルの塔」も承知していた。そういう事情もあって、当主ヨークリング様は今回のオオネスカ様とアルクの仲違いの理由を知りたがった。さらにキリングル・ミノルフ卿は飛龍隊のトップでもある。彼も事情を知る一人ということで、下手なことをするより、真実を話し、緘口令を敷くという方法を「バベルの塔」はとったんだ。」
アスカの語る事実はシリウス騎士団とミノルフ卿率いる飛龍隊の関係を物語っていた。
叛乱軍の主力がシリウス騎士団であったことが、本来ならバッシュフォード家への圧力となるところが、ミノルフ卿の先見の明が逆にその地盤を強固にした。
であれば、娘思いのあのヨークリング伯父さんであれば、先の申し出は十分に理解できると、アルクネメは思った。
オオネスカとその父のことを思い出し、瞼を閉じた。
しばしの時間が二人の間に流れた。
ゆっくり瞼を開いたアルクネメの瞳には穏やかな光が満ちている。
アスカはそう思った。
「アスカ・ケイ・ムラサメ殿。謹んで、その想い、お受けいたします。」
窓から、病院を背に歩くアルクネメ・オー・エンペロギウスをオオネスカは静かに見ていた。
その瞳にはもう涙はなかった。
先程、アスカの耳に届いた嗚咽が、オオネスカがアルクネメの決意に対して向き合えないことによる悲しみであることは理解していた。
それでも、かける言葉は一つしか無かった。
「よろしかったのですか、オオネスカ様。歩くと別れの挨拶をしなくて。」
今なら、まだ間に合う。
そう言いたい事はオオネスカにもわかっていた。
歩いてこの病院から遠ざかるアルクネメに、まだ声は届く距離ではあった。
だが、オオネスカはそんな簡単なことができなかった。
「私には、あの子に顔を見せる資格はないわ。」
その言葉に、アスカは何も言えなくなった。
オオネスカはアルクネメを許せないのでは無かった。
自分自身を許せなかったのだ。
アルクネメが、マリオネット・オグランドを殺害せざるを得なかった事は当に理解しているし、今は納得もしている。
だが、あの時。
マリオネットをアルクネメが殺した時に自らが発した言葉。
アルクネメに対して放った暴言の数々。
その言葉は許されるものでは無かった。
オオネスカがこの病院で目覚めた時に、アルクネメはこの病室に入れないように懇願した。
あれだけ仲が良かった娘のオオネスカとアルクネメの決裂。
これはあまりにも不自然であり、その結果、アスカに事情を説明するように求められた。
だが極秘事項であることをアスカは理解し、はぐらかすことしか出来なかった。
それゆえ、当主ヨークリングはその使える伝手をフル活用し、「バベルの塔」から情報を引き出したのだ。
そしてオオネスカは、その事実を父親であるバッシュフォード伯爵家当主、ヨークリング・マイ・バッシュフォードから知らされた。
すぐにアスカにその事実を確認し、それ以来、オオネスカは自分を許せないでいた。
そんな自分が、アルクネメに顔を向ける事はできない。
その心情はアスカも理解はしていた。
だが、アルクネメがそんなオオネスカを責めることがないということもわかっていた。
だからこそ、アスカは二人の溝を埋められるかもしれないこの機会を逃したく無かったのだが…。
すでに窓の外にアルクネメの姿を見る事はできない。
アスカは唯一の機会かもしれないこの時を失ったことに、自分の無力さを思い知った。
オオネスカは、もう誰もいない外の光景から目を離す事はなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
本編第1話が結局主人公に触れずに終わってしまいましたが、引き続き序章の第2話で登場します。
引き続きよろしくお願いします。




