第9話
そこは広大な空間だった。
子供が寝るベッドと勉強や読書を嗜むための机、そして着替えの入ったクローゼットはあった。
そしてトイレと風呂場もあったが、それ以上に広大な空間がその生活必需品たちをちっぽく見せていた。
そのベッド付近に10歳くらいの金髪の少女がいた。
彼女は今何体かの人形で遊んでいた。
おそらく家族の設定なのだろう。
よくある子供の遊ぶ風景に見える。
その人形が、少女が触っていないのに勝手に動いてることを除けば…。
そう、その人形たちは自らの意思で動いているように、少女の周りを踊っていた。
(これほどとは…。この娘の魔導力も、この高濃度の「テレム」も凄まじいと言う言葉しか私は思いつかない)
アクパがこの空間と少女に関して、慄きながらそう評した。
この部屋と言うには広すぎる空間にはアルクネメとバンス、ダダラフィンを連れて賢者「スサノオ」が唯一の出入り口から入った。
アルクネメはこの面会を望んだ者であるから当然として、実の父バンスとチームのリーダーであるダダラフィンが入室を許可された。
ヤコブシン自身がこの面会には消極的であり、「バベルの塔」側としても、人数は最小限にしたいという思惑があってのことだ。
「バンス卿の次女、リーノ・アル・バンス嬢はこの空間においては普通と同じに行動が出来る。というより、常軌を逸した状態であると言い換えてもいい。肉体が「テレム」を手に入れたことにより、弱かった肉体を強靭に作り変えた。そしてそれ以上に「テレム」を使いこなしている。」
「その言い方からすると、強大な魔導力を手に入れた、と思って差し支えないんだな?」
「ダダラフィン卿の言い方は間違っていない。この部屋がその証拠だ。」
「この広大に開けた空間が、か?」
「最初からこの広さはなかった。」
「スサノオ」の言葉に、他の者が懐疑的な顔を向ける。
「こちらに移送されたのち、ここの医療部が魔導力の鑑定をしつつ、簡単な処置を行い、いわゆる病院の部屋のような形で経過観察を行った。これまでの治療では食事も満足に取れない状態だったのだが、この高濃度「テレム」の部屋に移送してからすぐに食事を自分で摂取できるようになった。」
そう言うと、手元に持っていたタブレットを3人に差し出し、その時の状況が分かる映像を示す。
ほとんど骨と皮のようにやせこけた少女の身体には、点滴のチューブやコードが多く体から出ており、機械へと繋がっていた。
「食事がとれるようになると人工呼吸器も必要なくなった。ここに来て一月も立つと体にしっかりと筋肉がつき、立ち上がって歩行できるようになった。さらに一月が経過するころには、魔導力計測器と「テレム」濃度調整機以外の機器が片された。」
確かにタブレットには、そこで遊んでいる娘と同じような少女の映像があった。
「そこまではよかった。だが、通常の生活をしてから、何度も機械関連の故障や、破壊は続いた。」
その言葉に、人形を自在に操る少女の姿から何が起こり始めたか、察しがついた。
「我々は、その原因追及のために対魔導力対応の映像収集機をその部屋に仕掛けた。当然内密に。にもかかわらずすぐにその機械も壊れた。」
「つまり、その機械の設置に気付かれただけでなく、対魔導力効果を持つ「バベルの塔」製品が、いとも簡単に壊されたと。」
思わず、アルクネメが口をはさんだ。
その横で、実の父であるバンスの顔が引き攣っていた。
血の気が引き、顔色も悪くなっている。
「ただ、無駄ではなかった。これがその映像収集機が最後に送ってきた映像だ。」
その映像は、見た3人を唸らせた。
その部屋にあるものが宙を舞い、それぞれが規則性なく、いたるところにぶつかり、壊れてもなお、飛び続けていた。
その中で一人踊る金髪の少女。
その髪と同じ金色の瞳がはっきりと映る。
つまりこの映像収集機を見つけた瞬間だったと思われる。
映像が暗転したのだ。
「この映像からもわかるとおり、彼女の力とその遊びが、日々大きくなっていった。そして壁が壊れ、天井が落ち、床が裂けた。その結果がこの広い空間だ。ここまでになるのに2年くらいかかっているが…。その後は彼女自身もやっと力の制御ができるようになったらしい。ああいう風に人形を遊ばせている。こちらに暇が出来たときは魔導力の制御法を我々賢者で教えてもいたからね。」
苦笑しつつ「スサノオ」が言った。
そして、少女に歩み寄っていく。
人形で遊んでいた少女が、「スサノオ」の気配に気付いてこちらを向いた。
「おじちゃん、今日は遊んでくる日?」
「いや、今日は君に会いたいという人を連れてきた。君が会いたがっていた人でもあるよ。」
「スサノオ」はそう言って後ろの3人に視線を移す。
その視線を追う形で少女も3人を見た。
「えっ、もしかして…。」
そう言うと、彼女の周りを飛んでダンスを踊っていた人形たちが、急に魂を抜かれたように止まり、ぼとぼとと床に落ちる。
だが、少女は一切そのことに動じなかった。
立ち上がり、最初はよろよろという感じでアルクネメたちに向かって歩いてくる。
その少女の目は一人で少女に近づくバンスをしっかりと認識していた。
「リーノ‼」
「パ、パパ‼」
バンスが呼び、少女が答えた。
(まずい!バンスに全身強化を‼)
アクパの叫びにも似た強い思念が全員に響いた。
その声に呼応するようにアルクネメがバンスの身体の上に非常に薄く密度の高い防護障壁を展開。
バンスも全身に強化魔導を走らせた。
バンスの呼びかけに応じた少女が駆け寄り、バンスに飛びついた。
「グフッ‼」
バンスが少女を受け止めた瞬間に、バンスの口から奇妙な声が漏れた。
「チッ、しまった!」
「スサノオ」がその声に反応する。
すぐにバンスのもとに歩み寄る。
少女を受け止めたはずのバンスが、少女の体を離し、膝をついていた。
「私に会いに来ないから、私の力を見誤ったのね。可哀想なパパ。」
何とも言えない表情で少女は崩れ落ちそうなバンスを見下ろして、そう言った。
確かに少女からしてみれば、両親、家族から見放されここに閉じ込められている、という考えに取り付かれていたのかもしれない。
崩れ落ちる一歩手前で踏みこたえたバンスが腹を抑えながら少女、自分の娘を見上げた。
「悪かった、リーノ。」
そう言って、何とか立ち上がり、頭を下げた。
「何を言ってもお前には言い訳にしか聞こえないと思う。だが、リーノ、お前を忘れたことなど1日もなかった。」
リーノ・アル・バンスは頭を下げたままの父親に、微かにほほ笑んだ。
「「スサノオ」のおじちゃんたちから訳は聞いてるから、知ってるけど…。それでも寂しかったんだよ?」
「すま…ない。」
「それぐらいで勘弁してやれ、リーノ。本来ならあと2年くらいは会えなかったんだ。我々が君に会うことを許可しなかったからね。」
「スサノオ」がリーノを諫めた。
そしてバンスを見る。
「よくリーノの体当たりに耐えられたな。」
「アクパから警告と同時に身体全体に結界が張られた。俺も全身強化したが…、内臓をやられた。ぶつかった衝撃とともに、魔導が内臓まで届いた、みたいだ。」
その言葉に「スサノオ」がリーノを睨む。
かなりの圧のある眼力のはずが、その金髪の少女は涼しい顔をしていた。
「私がどんなに寂しい思いをしたか、しかもこの部屋に来てからはみんな化け物を見る目で見てきた。パパに何か言う資格なんかない!」
その言葉は、バンスの心に突き刺さった。
内臓の損傷以上に、痛みが罪悪感を刺激する。
「悪かった。こいつらの言う事なんか聞かずに踏み込めばよかった。」
バンスの言葉に、「スサノオ」は苦笑した。
バンス自身が本心から言っていることは解る。
だが、この「バベルの塔」に対しての侵入はほぼ不可能だ。
格段に魔導力が高いこの金髪の少女をもってしても、それは不可能だろう。
リーノ自身がこの部屋から抜け出せていない現状がそれを物語っている。
この部屋は「テレム」で満たされている。
それでも、もうこれ以上破壊されることは無い。
この建造物の骨格そのものの壁は、高密度の収束粒子を照射されても、かなりの時間耐えられるように作られている。
仮に分子間力無効化現象を用いたとしても、分子間力の消失直後に再生される自動修復も使われている。
「悪いと思っているならここから出して。ママやお姉ちゃんに合わせて!」
「それは…。」
泣きそうな表情でバンスは「スサノオ」を見た。
だが、「スサノオ」の首は横に振られる。
この高濃度「テレム」の空間だからこそ、この少女は元気なのだ。
まるで「魔物」のように……。
バンスの歪んだ表情がさらに崩れる。
腹部の痛みもさることながら、自分の娘から放たれる言葉の礫はそれ以上にバンスの心を引き千切っていく。
(アルク姉さん、この娘と闘えるか?)
唐突にアクパがアルクメネに聞いてきた。
(戦う?この娘を殺せってこと?)
(お前さんにそんなことはできんだろう。剣を合わせてほしい。あの子とぶつかれれば、あの娘の体の構造が理解できるかもしれない。)
(どういうことかしら?よく意味が飲み込めないわ)
(あの娘の身体や、この環境でなければ生きていけない状況というのはおかしいんだ。まるで「魔物」のようだ)
(確かにそれは私も思ったわよ?でも「魔物」の特徴、黒い肌も、体を覆う「赤い目」も見えない)
(だからこそ、あの娘と直接やりあってほしいんだ)
アルクメネはアクパの依頼に少し考えた。
明らかにこの金髪の少女の魔導力はおかしい。
自分たちがいたクワイヨン高等養成教育学校は特例魔導士ばかりだ。
その中でもこれだけの魔導力を感じた記憶はなかった。
アルクネメ自身も興味をそそられた。
この少女が、高濃度「テレム」の空間であるこの場所で、どこまで動けるのか?
アルクネメも「天の恵み」回収作戦時の覚醒、さらにこの体に強大な力を持つ「魔物」ツインネック・モンストラムの意思と思われるアクパを受け入れてからは、魔導力も遥かに強化された。
その自分が、この何らかの操作がされているとしか思えない少女と、何処まで戦えるのか?
「このお嬢さん、かなり強いようね。」
アルクネメは大人の男たちの後ろに控えていた場所から、少女に近寄った。
膝をついて既に涙を溢すバンスの肩に右手を置いた。
バンスが顔を上げ、アルクネメに視線を向けた。
「アルク……?」
「何なの、その女。お姉ちゃん、じゃないわね。かなりの…、ん…、なに、この感覚?」
自分の父親に優しく手を置くという行為をした女性に、敵意を向けようとして、その違和感に気付いた。
「初めまして、リーノちゃん。私はこの2年ほどあなたの父親、チャチャナル・ネディル・バンス卿とチームを組んでいたものよ。アルクネメ・オー・エンペロギウス。それが私の名前。貴方の不満に関しては同情するけど、いきなりの暴力は感心しないわね。だから、私と剣の試合をしない?あなたも暴れたいんでしょう?」
アルクネメの言葉に、最初は訝しんでいたが、リーノは自分より美しく整えられた金髪の女性に興味を持った。
もしかしたら、この女の所為で、父親は自分の所にこれなかったのではないか?
そんなことを思わせるほど、アルクネメと名乗った女性は美しく、そして艶っぽかった。
この女に誘惑されて、家族そのものを見失ったのではないかと考えてしまった。
だが、すぐにそんな甘っちょろい女でないことはリーノにもすぐわかった。
アルクネメの身体から湧き上がる魔導力に空気中の「テレム」が敏感に反応し、光を放ち始めていたのだ。
この状況は、すぐにでも「テレム」を攻撃に転嫁できる、という事をリーノ・アル・バンスは理解していた。
「アルク、お前は何を…。」考えているんだ。
最後まで言葉に出来ず、バンスはアルクの輝く姿に魅入られた。
「本気、なのね。」
リーノが立ち上がり、同じように臨戦状態にその力を集中させた。
「リーノ、やめろ…。」
「スサノオ」が、今まで一度も見たことのないリーノの姿に、呟くような停止の言葉をつぶやいたが、リーノの耳には届かなかった。
「お願いします、賢者「スサノオ」。ここでの戦いの許可を。」
脅迫以外の何物でもなかった。
アルクネメもリーノも完全な臨戦状態に入っている。
このまま二人がぶつかった場合、何が起こるか、「スサノオ」自身にも推測できなかった。
「わかった。一旦二人とも冷静になれ!」
その言葉に、まずアルクネメが戦闘状態の魔導のレベルを落とす。
それに呼応するようにリーノもその力を拡散させた。
「無制限に魔導力を使うことは禁止だ、二人とも!我々は退避し、二人に対して限定の結界を張る。その中で模擬剣による試合を許可する。リーノ、君にも剣術は教えたはずだ。それでいいな。」
「スサノオ」が絶叫するように放った言葉に、二人の金髪の少女は頷いた。




