第134話 「魔物」からの帰還
「これは、「魔物」が死んで、マリオ先輩に戻ったっていう事?」
アルクネメは、そこに倒れている「魔物」だったもののもとに歩いて行った。
その横をミノルフも進む。
元「魔物」-マリオネットは死んではいなかった。
賢者「スサノオ」の攻撃は赤い目だけを狙われたものだった。
赤い目をすべて潰され、「魔物」が活動を停止したのは間違いないが、その繊細な攻撃は、本体までは届かなかったらしい。
「何故、今、「スサノオ」は参戦してきたんだ。」
ミノルフがアルクネメの脇で呟いた。
その呟きに呼応するかのように、ペガサスとエンジェルが二人に近くに降りてくる。
エンジェルに身体を預けているオオネスカの状態も、いいと言えるレベルではなかった。
(本人に聞くのが一番ではないか、ミノルフ。そこを見てみろ!こっちに近づいてきているよ)
エンジェルの言うように、「スサノオ」が、ゆっくりした足取りでアルクネメたちのもとに向かってきていた。
「賢者「スサノオ」様、何故この「魔物」と最初から戦ってはくれなかったのですか?そうすれば被害はもっと少なかったはずです。特に賢者「カエサル」様が亡くなるという事態は避けられたのではないでしょうか?」
「スサノオ」はマリオネットの周りに集まっている、3人と2頭の前まで来て立ち止まった。
質問をしたミノルフの顔を見て、表情を崩さずに口を開く。
「我々「バベルの塔」としては、人が「魔物」になるということは全く想定していなかった。それには重要な理由があるのだが、それはまず置いておこう。だが、実際に彼、マリオネット・オグランドが「魔物」と化した。となれば詳細な情報が必要になった。そのため「魔物」となったこの者を観察して、その生態、行動、そしてなぜ彼が、彼だけが「魔物」となったのか知る必要があったのだ。「バベルの塔」としては賢者「カエサル」がこの「魔物」化したものとの戦いを行った。すべてが分かったわけではないが、人が「魔物」となって、その後の行動の一部はある程度の解析はできたよ。「カエサル」は残念ではあるが、彼は彼の責務を果たしたと思っている。」
「あなた方「バベルの塔」は、「魔物」の発生原因を知っていますね。」
「スサノオ」の説明に対して、ミノルフが切り込むように言った。
「その通りだ、ミノルフ司令。我々は、何故「魔物」が発生するかを知っている。だからこそ、人が「魔物」にはならないと考えていた。現実的には、こういう事態を招いてしまったのだが…。」
立場上、正面切って「バベルの塔」の住人である賢者に向かって、反抗的な態度が取れないミノルフは、唇をかみしめて自分の中に湧き起る激情を必死に抑えていた。
その時、マリオネットが苦痛にあえぐ声が聞こえてきた。
アルクメネは思わず、ボロボロになってそこに倒れている緑色の皮膚に戻ったマリオネットに駆け寄った。
「先輩!マリオネット先輩!わかりますか、アルクネメです、先輩!」
マリオネットの体がその声に反応するように震え、苦痛に閉じられていたであろう瞼が、うっすらと開いた。
「アルク!危ない、離れろ!」
ミノルフが叫んで、マリオネットの傍らに屈んだアルクネメに駆け寄る。
開かれた瞳の色は濃い緑色で、赤い瞳は何処にもなかった。
「先輩!」
ミノルフに腕を引っ張られようとしているアルクメネは懸命に声を掛けた。
「アルク、すまなかった…。」
「先輩!意識が戻ったんですね!」
その言葉に、マリオネットの顔がさらに歪んだ。
「意識は、もともと、あった…。戦っている時も俺だったんだ、アルク。」
「マリオ先輩…。」
「俺は、なんてちっぽけなんだ…。すぐ横で力を、つけて、いく、お前を、嫉妬してしまった…。」
あの時、何故、悪魔のような心の囁きに乗ってしまったのだろう…。
「アルクネメ、お前の、才能に、嫉妬して、してはいけないことを、して、しまった。取り返しのつかないことを…。」
マリオネットの呟きは、嗚咽に変わった。
目から涙が零れ落ち、体の痛みか、心の痛みかわからない苦悶のうめきが、その口から出てくる。
「先輩。「テレム強化剤」の副作用なんですよ、きっと。」
「俺はグスタフさんを、この手で殺した。シシドーさんやヤコブシンさん、ダダラフィンさんも…。オオネスカも傷つけて、俺は、俺は…。」
止めどもない謝罪の言葉がマリオネットの口から続いた。
「賢者すらこの手にかけ、さらには喰らってしまった。もう、俺は人じゃない。」
「マリオ、大丈夫よ。その心があれば、大丈夫。あなたは罪を自覚して、償って!」
エンジェルの背中から、上半身を起こして、オオネスカがマリオに語り掛けた。
「あなたには極刑が下ると思う。でも、人が「魔物」になることはいまだかつてなかった。そのことを考えれば、国か「バベルの塔」への協力、人体への調査が課せらえるはず。それでも、その責務を全うすることこそが、あなたの贖罪なのよ。」
(まずいよ、お姉ちゃん。この人?「魔物」?まだ中に虫がいるかもしれない)
(本当に、アクパ?)
(たぶん。微かだけど感じる。宿主を早く殺さないと、さっきみたいになっちゃう!)
アルクネメはアクパのその言葉に、心が揺さぶられた。
マリオ先輩を殺さないといけないの?
アクパの語ったことはそういうことだった。
「オオネスカ、無事だったんだね。よかった。俺は成長していくアルクに嫉妬した。その時に、俺はアルクを超えることだけを考え始めていた。だから悪魔の誘惑に乗ってしまった…。あの少年のような…。」
そうマリオネットが呟いた時だった。
「スサノオ」の表情が変わった。
ミノルフを押しのけるようにして、「スサノオ」がマリオネットのそばに迫った。
「マリオネット・オグランド!その少年のような悪魔とは具体的にどんな奴だ!奴に何をされた!」
いきなりの叫びのような「スサノオ」の言葉に、涙の後の残るマリオネットが顔を向けた。
自分の発した声のどの部分かわからないような顔をしている。
「スサノオ」は、そんな呆けたマリオネットに、もう一度怒鳴るような質問をぶつける。
「その少年はお前に何をしたんだ!」
マリオネットはその鬼のような形相にはたじろぐことはなかった。
というよりも、既に体力が底をつきかけているのかもしれない。
「そいつはツインネック・モンストラムをアルクが倒して、俺が自分の力のなさを嘆いた時に、どこからともなく現れた。」
「スサノオ」を見ていた視線を空に移した。
マリオネットはその時のことを思い出そうとする。
「その少年は、そう、12,3歳くらい、賢者の「サルトル」様くらいに見えた。そして、そう、心に直接語り掛けてきたんだ。喋ってはいなかった。いや、待てよ。」
そう言って何かを考えこむように、瞼を閉じた。
その動きに、アルクネメはマリオネットの死期がきたのかと思い、息をのんだ。
だが、数秒後、その瞼を見開いた。
「そうだ。間違いない。あの心に響いた少年の声は、戦闘中に俺がアルクに嫉妬した時に響いた声だった。自分とは異質のネガティブな、漆黒の世に引っ張り込むような声。そうか、だから疑いも持たずに、注射筒を使ったんだ。」
それが、「スサノオ」の質問に答えるというより、独白に近いものだった。
「注射筒?それはどんなものなんだ、マリオネット。」
「ああ、「テレム強化剤」を注入した時のものとほとんど変わらない円筒形のものだった。だから、それが新しい「テレム強化剤」だと思った記憶がある。同じように使ったら、全く違うものであったことに気づいたんだ。」
「スサノオ」の顔がそれでなくとも色素の薄い顔がさらに青ざめていた。
「全身にとてつもない痛みを感じて、気が付いたら、訳の分からない高揚感に包まれていた。自分の内部からとんでもない力が漲って、体が張り詰めていく感じがした。」
「その体に打った注射筒は今、どこにある!」
それはほとんど叫び声だった。
その場にいた誰もが、「スサノオ」の精神が破綻し、狂ってしまったのではないかと思うほどに。
「その場で捨てた。どうでもよかったから。」
マリオネットの言葉に、さらに「スサノオ」のその顔が歪んだ。小さく、「クソッ」と吐き捨てる声が聞こえた。
それと同時に立ち上がり、いきなり浮上して「天の恵み」回収用搬送車に向かって飛び立っていく。
そのあまりにも自然な流れに、そこにいた者は誰も対応することができなかった。
間違いなく、マリオネットの前に現れたその少年を知っている、または心当たりがありそうな雰囲気であったが、誰も聞くことはできなかった。
だが、誰もが、あの「テレム強化剤」の注入機器と同じものが、その少年によってマリオネットにもたらされた、と考えた。そして、その中に入っていたものは、「テレム強化剤」ではなく、別のものであるということだ。
おそらく、人を「魔物」にする薬品と考えて間違いはなさそうだった。
マリオネットがアルクとオオネスカを見ていた。
既に息がかなり荒くなっていた。
何かをアルクネメとオオネスカに言おうとしている。
だが、言うことはできなかった。
マリオネットの体が突然はねた。
その目が苦しさに耐えるように、瞼をきつく閉じ合わせた。
そして再び開いた時、その目が赤く燃えていた。




