第116話 絶望のマリオネット
「ちっ、まだ動くのか、このバケモンは!」
マリオネットの足に力が入る。
自分の全身全霊を込めた一発は、この化け物の首の方向を変えるのが精一杯であることは理解している。
だが、今は「テレム強化剤」をしこたま体に注入した。
この一発がどれほど、この化け物に効くか試すいいチャンスだ、とそう思った。
が自分の前に舞い降りた天使のようなアルクネメが、軽くマリオネットを左手で制した。
「私が行きます。」
その言葉に、違う方向から制止の声がかかった。
「アルクネメ!すでに「テレム」の供給は閉ざされた。奴は死ぬだけだ、下がれ!」
デザートストームのダダラフィンの大声だった。
アルクネメはその声に笑みを返した。
その笑みはマリオネットが見ても素晴らしくかわいい笑顔で、思わず見惚れてしまった。
その刹那、大きくそのまばゆい翼を動かし、一気に空を駆けた。
まるで空を飛ぶその姿は、神のようでもあった。
アルクネメの剣が青白く輝き、そのままツインネック・モンストラムの首にその剣をふるう。
明らかにロングソード現象を起こし、あれだけ硬かったはずのツインネック・モンストラムの首が、あっさり切断された。
そのまま巨大な首が宙を舞い、マリオネットの近くに大きな音を立てて落下してきた。
さらに遅れて、8本の足でかろうじて立っていたその30mは越えるかという巨体も崩れるように地面に倒れこんだ。
周囲に振動がさざ波のように伝わる。
あれがアルクネメの力。
マリオネットの心をどす黒い感情が育ち始めていた。
俺がこれだけやっても、それより早く高みに上っていくアルクネメ。
その才能に称賛を送る気持ちも確かにあった。
だがそれ以上にその才能に嫉妬する自分を強く感じていた。
美しく空を飛ぶアルクネメに比して、なんとみじめで汚らしいのだろう。
濃い緑の肉体に血走っている目に悪魔的に笑っている口元。
筋肉は隆々と大きく素晴らしい形になっていたとしても、ツインネック・モンストラムの首をとったアルクネメに対して、地を這うような「魔物」と懸命に戦っていた俺。
なぜにこうもアルクネメと俺は違うのか?
身体の鍛錬を欠かしたことはない。
すでにこの「クワイヨン高等養成教育学校」で5年目になる。
単純にアルクネメより2年も多く、修業してきた。
その差をあっという間に飛び越えさらなる先に行っているアルクネメに対し、言いようのない悔しさが自分を苦しめている。
天才に対し、凡才の自分が追い付くことなどおこがましい。
そう思おうとしても、自分がアルクネメに劣っているということが受けられないでいた。
この気持ちを共有できる相手がマリオネットの近くにいてくれたら、マリオネットの心がここまで邪悪なことになることはなかったかもしれない。
だが不幸にも、そしてその少年にとっては幸運にも、マリオネットの今の状況で心のケアをできるものは何処にもいなかった。
今、マリオネットは孤独だった。
そして、その少年にとっては願ってもないチャンスだった。
黒衣を纏い、他の誰にも気づかれず、マリオネットのそばに近寄ることが簡単にできてしまった。
そして、少しその黒衣を外し、マリオネットに囁いた。
さらに少年の手にしている円筒形の物体、それは先程マリオネットが自分の体に撃ち込んだ「テレム強化剤」を注入する道具とそっくりなものだった。
その円筒形の物体をマリオネットにしっかりと渡す。
少年はそのまま、また黒衣を着用し、存在を完全に消し、そのまま立ち去った。
「君の力はこんなものではないよ。もっと強くなれる。僕に任せて。」
少年の甘い囁きに、簡単にその円筒形の物体を受け取った。
それは何度も自分に打ち込んだ「テレム強化剤」を注入する道具によく似ていた。
さらにこれを打ったからと言って、アルクネメ以上の「魔導力」を出せるとは思えなかった。
根本的に、自分は自分の肉体を強化する「魔導力」を持つ戦士である。
一通りの剣技については習得したし、長槍の使い方、弓矢での戦い方、さらに「魔導力」を用いたそれら武具の応用法も、一応研鑽してきた。戦うためのセオリーも集団戦での個々の動き、果ては戦略の組み方、戦術での大局に立った位置づけなどの座学もやらされた。
その結果、自分の特性は肉弾戦に重きを置いた「戦士」の特性が高かった。
実際、剣なしの格闘戦術で自分に勝ったことのある同級生は、オオネスカくらいだ。
彼女は「アイキドウ」なる古武術で、一切マリオネットに触れさせずに、気付いたら天井を見ていた、という黒歴史を刻まれたのだ。
ツインネック・モンストラムが倒された今、すでにこの「天の恵み」回収作戦は終盤を迎えていた。
「天の恵み」回収用搬送車は、こちらとは関係なく、交易ロードへ、さらにクワイヨン国の「バベルの塔」まで、ひたすら走っているはずである。
この大規模な戦闘は終わり、あとは生きている人間を回収し、祖国への旅が待っているはずだった。
「どうした、マリオ。ことが終わって、呆けているのか?」
自分と同じ「戦士」であり、先輩でもある冒険者のグスタフがマリオネットに話しかけてきた。
自分と同じように、上半身の筋肉が異常に盛り上がり、来ていた衣服が跡形もなくなっていた。
「いえ、アルクネメの姿に見惚れていただけです。」
ここで変に自分の感情を露にするのはよくないと判断した。
「こいつは珍しいな、マリオ。俺はそんなに素直にアルクのことを褒めるとは思わなかったよ。」
「どういう目で、俺を見てるんですか。実力は素直に褒めますよ、俺は。」
「ならいいんだけどな。さっきの、ツインネック・モンストラムの首をものの見事に叩き切た時のお前さんの顔は、「なぜ自分はできないのか?」という歯ぎしりしている感じの顔だったから心配したんだよ。」
そうか、俺はそんな目でアルクネメを見てしまっていたのか。
気を付けないと…。
「あの凄まじい才能は、誰にもまねできないし、目指しちゃいけないタイプの才能だ、マリオ。人それぞれの目指すものは違うんだ、気持ちを切り替えろよ。」
グスタフの言葉は明らかにマリオネットを思っての言葉であった。だが…。
目指しちゃいけない才能。
目指すことは他の人間にはできない才能。
俺にはない才能。
オレニハゼッタイテニイレルコトガデキナイサイノウ!
マリオネットの中で何かが弾けた。
本人も一切意識していなかった。
手に持っていた円筒の口を自分の首筋に当てた。
何のためらいもなくそのボタンを押す。
中の液体がマリオネットの皮膚を突き破り、体へと注入された。
「おい、マリオ!もう、戦いは終わったんだ。その「テレム強化剤」は必要ないだろう。」
中に「テレム強化剤」が入っているのならそのグスタフの言うことは正しかった。
だが中に入っていた液体は、「テレム強化剤」ではなかった。
悪意の塊である少年は、マリオネットが自分の意思でそれを使うことを、全く疑っていなかった。
作戦は既にもう決着がついている。
ただし、次につながる一手は仕掛けねばならない。
さて、マリオ君はどう変身するか楽しみだよ。




