【番外編・8】辺境伯の娘3
「……なんだと?」
その日、私達は領主代理という名の役立たずが秘密裏に連絡を取り合っている者についての調査を進めているところだった。
巧妙に隠された証拠は少しずつ姿を見せ、あと少しで確たる証拠を手に出来そうなところまで来ていた。
……まさか宰相が率先して我が国を裏切り隣国と繋がっていたなどと思いたくはなかったが。
王弟殿下は武力だけでなく頭の良い人で、まさに文武両道。この人こそ国を治めるに相応しいと思わされる有能さ。こんなにも早く打開策を見つけられるとは思わず驚いたが、そんな人だからこそ、王妃とその父である宰相に王位から遠ざけるように目をつけられてしまったのだろう。
一を聞けば十の答えが返ってくる。
そこにやって来た訃報の話。
聞こえた内容は理解できているはずなのに、出来ていない……いや、心が追い付いていないように聞き返すその声は、一度も聞いたことがない程に弱々しかった。
「……はっ。その、先程王都より早馬が参りました。勅使の者から伺いましたので、恐らく真実かと。詳細はこちらに、と」
王弟殿下の副官であり、現在の副騎士団長である男は動揺を隠しつつも、書状を手に端的に報告する。
【側妃と第ニ王子、亡命の末崖からの転落事故により消息不明。死は恐らく確実であるだろう】
震える手で広げられた内容は解ったが、解りたくなどなかった。
そうありありと解る程に表情は強ばっていた。
今まで一度もこんな風に感情を表に出したことはない。
そして、わかった。……わかってしまった。
あの時見せた表情の、その向ける先を。
彼にとって特別な人が、誰なのか。
──そして、私自身が感じるこの胸の小さな痛みが何を意味するのか。
けれど、私はこの想いを告げることはない。
今は目の前のことに集中するべきだからだ。
「殿下。仇を取りましょう」
「……っジェレミア嬢?」
「大切にされていた方々なのでしょう?ならばこそ、同じことを繰り返させないよう、止めて見せましょう。あの男の思う通りにはさせません」
そう告げると次第に気持ちを落ち着けた殿下がいつもの調子を取り戻し、すまなかったと謝罪した。
「私に謝罪など不要です」
「いや、よくぞカツをいれてくれた。王妃共々宰相には一線を退いて頂こう。……それに……いや、それは今は良い。まずは目の前のことからだな」
「はい。私も共に参ります」
「……ありがとう」
私に向けられた微かな笑みに胸が疼いた気がしたが今は気付かないことにした。
それからの数年はあっという間だった。
隣国との小競り合いを終結させ和平に持っていく。その影で宰相と繋がる者の摘発準備や証拠固めなど、やることはたくさんあった。
父とのこともそうだ。
──訃報の連絡を受け、改めて殿下の配下となり動くことを決めた時、きちんと話をしなければならないと思っていた。殿下にそう告げれば、話し合いの場を作ってくれた。
何故、この辺境を守ることを辞めてしまったのか。
どうして、得体の知れない者に執務を一任したのか。
そう問えば、項垂れた父は頭を抱えながら震える声で話し出した。
「私は父のようにはなれなかった。そして、女ながらに父の血を色濃く受け継ぐお前が羨ましく……妬ましかった。私にだって、出来ることはある。そう思い宰相に頼られた時に歓喜し力を貸してしまった。それが、何かおかしいとわかっていても……」
父が不器用なことはわかっていた。
お祖父様に劣等感を持っていることも。
私にまで嫉妬していたとは知らなかったけれど、それでも、言ってくれれば出来たことはもっとあっただろうと思わずにはいられなかった。
「愚かなお父様。母を愛し、不器用ながらも育ててくれたこと、私は感謝していたのですよ?……ただそれだけで良かったのに」
「……すまない」
それからの父は副団長の監視下で執務に携わった。
引き継ぎも兼ねていたのだろうと今では思う。父は、近い内正式に辺境伯ではなくなるのだろう。
だが、これからのことは、全てが終わってから考えればいい。そう思った。
そんなある日のことだった。
この辺りでは見かけないカラスが城目掛けて何かを咥えて近付いてきていた。
時期が時期だ。皆気が立っていた。
制止する声は間に合わず、そのカラスは矢を射られ、真っ逆さまに落ちていった。
駆け寄れば、そのカラスは息も絶え絶えで虚ろな目をしていたが、何かを探すように周囲を見渡すような仕草をする。
そのカラスは口に咥えているものを出そうとしなかった。
何故かはわからない。
それでも、直感が言う。殿下に会わせなければと。
すぐに殿下を呼びに行かせれば、彼を見た瞬間にあれだけ頑なに開こうとしなかった嘴を開き、コロンと小さな音と共に紙がひらりと落ちた。
それを見た殿下は表情を変え、すぐに行動に移った。
紙に書かれていたことが真実か確認に行くのだろう。
カラスはよくやったと声を掛けられた後、まるでそれを待っていたかのように目を閉じて死んでいった。
私は貴重な手掛かりを持ってきてくれたカラスを丁寧に埋葬することにした。戦死した仲間と並べて墓に埋める。誰の墓なのかわかるようにその前には矢に射られて散った羽を飛ばないようにしつつ、いくつか添えておいた。墓標にカラスと書くのは無粋な気がして、思い付いたままに記載する。
それから数日後、殿下はその腕に小さな少年を抱えて帰ってきた。
少年は死んだと思われていた第ニ王子殿下だった。
ディオルド殿下は迎えに行った際に気絶し、そのままここへ連れてこられたようだ。馬で迎えに行った為、気絶したディオルド殿下に細心の注意を払い、数日かけて帰ってきた。途中何度か意識を回復されたようだが、夢うつつといった感じで朧気な様子だったらしい。
すぐにベッドに横たえたが、その顔色は悪い。想像していたよりずっと健康的な身体であることが不幸中の幸いだけれど、その心はどうだろうか。
帰ってきた殿下から聞いた話では、カラスはルーという名で、ディオルド殿下の大切な友だったようだ。
きっとこうして生きてこられたのも、その存在が支えていたところもあるのだろうと思うと、これからの彼の行く末が気になるところだ。
「どうか、今はゆっくり休んでくださいね」
そっと頭に触れ静かに撫でる。
昔、お母様に風邪を引いたときにしてもらった仕草だ。あのときはそれで少しだけ気が楽になったから、少しでも、その温もりが伝わればいいと思った。
カラスの名前もわかったので、墓標には名前を付け足した。
『小さき盟友ルー』
最初に書こうと思ったときはまさかこんなにもこのカラスが重要な存在であるとは思わなかったけれど、私の直感は昔からよく当たる。
きっとこれも神の思し召しなのかもしれない。
その後、ディオルド殿下は目を覚ますとルーの墓を見たいと言い、その墓前で涙ながら決意を固め宣言した。
これにより、殿下はディオルド殿下と共に王位奪還を掲げ、王妃と宰相の失脚を狙うために再び動き出した。
王妃、宰相の失脚についての証拠は着実に集まっていたので、時間が解決するだろう。
だが、王位奪還については殿下はずっと悩まれていた。誰の目から見ても、王弟殿下の方が才覚があるのに何を悩むことがあるのだろうかと思う者も多いだろう。
それでも今までそれをしなかったのは、国王陛下を慕っているからではないかと、推察するくらいしかできない。
実際のところ私にはわからない。
それでも。
ディオルド殿下を支え、今の国王陛下を王座から引き下ろし、次代の王政に繋ぐと決めた殿下を私は支えたいと思った。
「これから向かうのですね」
「あぁ」
「でしたら、どうか私を連れていっては下さいませんか。貴方のそばで支えさせて下さい」
「私が向かう道は茨の道だ。楽しいことなどない。命を狙われることだってあるだろう」
こんなときでも私を気遣う殿下に思わず笑いが溢れる。
「ふふ。そんなもの、この辺境騎士団で闘っていた私にとって些末なことですわ」
「だが私は……」
「……知っています、その瞳が本当は私を見ていないこと。殿下が今も想っている方がいらっしゃることも。それでも、私を危険な目に遭わせたくないと思うくらいには私のことを想って下さっていることも。でしたら、私にとっての幸せが何か、聡明な殿下ならもう、ご存じでしょう?」
「……貴女には敵わないな」
殿下は先程までとはガラッと雰囲気を変え、私の前に跪くと騎士の誓いをするかのように私の手を取りしっかりと私の目を見て宣言した。
「覚悟を決めた。だから、これだけは私から言わせてほしい。ジェレミア・スワルド伯爵令嬢。私と結婚してほしい。そして、共にこの国を良き未来へと繋ぐ手伝いをしてくれないだろうか」
「承りましたわ、殿下」
そう返せば、殿下は私の手を引き口付けを落とし、先程より甘さを含む声で囁いた。
「……コーエンだ」
「……コーエン様、どうぞ宜しくお願い致します」
私は動揺を隠しつつ、そう返答した。
少し耳が赤くなっていた気はするけれど、気付かれていないと思いたい。
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その後王都に乗り込み、帰還したディオルド殿下を陥れようと慌てて襤褸を出した王妃と宰相に、今までの悪事もまとめて突き付け牢屋に入れ、陛下との話し合いののち王位譲渡という形が決まった。
私はその後国王陛下となられたコーエン様と結婚した。
妊娠が発覚したとき、二人で相談して子供には王位は引き継がないと改めて決めた。あくまで私たちはディオルド殿下が成人して王位を継げるようになるまでの中継ぎ。
私たちの子供は流石というべきか、剣術に興味を持ち、長男は今ディオルド殿下の近衛騎士になるんだ!と毎日鍛練に励んでいる。
長女はお母様に似たのか、やたら容姿が整った子供で、まだ幼いのに求婚の誘いが後を絶たない。
「ジェリーは相変わらず過小評価するね。どう見てもジェリー似だと思うよ?」
そんなことをコーエン様は言うけれど、私は騎士団育ちであんなに上品ではないと思うが?
そう返せばクスクスと笑われ、無自覚ほど怖いものはないなんて言ってくる始末だ。
それはこちらが言いたい。
無自覚に色気を出してくるコーエン様こそ、もっと自覚を持ってもらいたい!
端から見ればどっちもどっちなのだが、そんなやり取りを側近達は生温かい目で見守っているのだった。
というわけで、コーエンとその奥様であるジェレミアとの出会いの物語でした。
いつか書きたいと思ってからこんなにも年数が空くとは思ってもいませんでした。申し訳ありません!
ちょっとでも楽しんでもらえたら何よりです。




