第三十二話 轢き殺されるか、通り抜けるか
第一層のボスについて特筆することは無い。
確かに技の多様性は厄介だ。しかし魔法の得意な数人で遠距離攻撃すればそれで終わりだ。
一人も欠けることなく第一層は突破した。
そして階段をおりて、第二層に到達。
まず感じたのは清涼な空気。
第一層は少し乾燥した空気でもあったが、ここは木も水も豊富で、風景を見ているだけでリラックスできる。
そんな場所だ。
中央にある大きな川の水を皮袋に入れて、少し息を吐き出す。緊張が解けた。
そして横のクロエ隊長を見ると、何やらものすごく緊張した、怖い顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「……モルガン卿。聞こえるか?」
「聞こえる……?」
もちろんあなたの声は聞こえてますよ、と寒いジョーク言おうとしたがどうにも違う意味らしい。
耳を澄ます。
基本的に聞こえるのは水の音だけだ。ザアザアと流れているそれは、普段ならば心地のいい音だが今回ばかりは少しうるさい。
更に感覚を研ぎ澄ます。そうすると、脳の先頭部分がじんわりと暖かくなって、集中力が増していく。
水、風、葉、水、水、呼吸、足音、金属――
「――金属!」
「そう、戦いの音だ。剣と剣がぶつかり合い、金属が奏でる耳障りな旋律。それがここにある」
何かが、いる?
いや、魔物同士が戦っているのだろうか?
さっきのジェラールを見習って少しでも情報を得るために地面に足跡がないか確認したりするが、すぐに自分の行動の愚かさに後悔をした。
「『火球』」
人差し指に火を灯す。手紙が記している内容は、このフロアの魔物たちについてだ。
オークに、リザードマン。それだけで構成されているが、リザードンの総勢は約二百五十。オークは約五百。(現在の情報のため数は正確ではない、とも書かれている)
「リザードマンに、オークです。それも大量に」
「具体的には」
「リザードマンは……三百。オークは七百です」
「そうか」
クロエ隊長は自分の愛馬を撫でて、考え込む。参ったな、こうなったらしばらくは動かない。
そう思ったと同時に、どこかへ行っていたジェラールが帰ってきた。
てっきりトイレかと思っていたが、手に持っている矛を見るに違うらしい。
「ようモルガン。これを見ろ。そこで拾ってきたんだ」
「今日はクイズが多いですね」
少し面倒臭いな、と思ってそう愚痴ると、ジェラールは鼻を鳴らした。
「お前の素晴らしい頭脳じゃちょっと簡単すぎるか?」
「いや、僕には難しすぎるかな……」
「バカが。じゃあ少しは頭を働かせろ」
拒否権は無いらしい。矛先に血の付着している矛を手に取る。
「随分と脂っぽい血ですね」
「珍しくいい線だ。舐めてみろ」
「えー……」
「命令だ」
「僕は副隊長なんですけど」
「命令だ」
「まず血を舐めるって、病気とかにならないんですか」
「問題は無い。なぜなら己は元気だからな」
というわけらしいから、掬って舐めてみる。
「……! 意外に美味しいですね」
「まあそれはどうでも良くてだな。とにかく、その矛はリザードマンのものだ。分かるな?」
「ええ、もちろん。それにこの血はオークのですよね?」
「そうだ。そしてここら辺がジメッとしているってのもあるかもしれないが、あまりにも乾いていない」
その言葉でハッとする。
リザードマンの矛。乾いていないオークの血。そして拾った場所はジェラールの探索がそこまで時間がかかっていないことから察するに、近く。
「じゃあ、戦場は……!」
「正解だ」
僕たちの会話を聞いていたのか、それとも自分でその答えにたどり着いたのか。
バッと顔を上げたクロエ隊長は、口を開いた。
「総員、馬に乗れ! この階層はあと一時間以内に突破する!」
「クロエ隊長!? ここはたくさん木が生えていますし、生えていないところも水辺でぬかるみが酷いですよ!? それにこんなところで馬を走らせたら、蹄が、いや、脚が……!」
僕は思わず反論していた。
確かに、ここは一刻も早く突破した方がいいだろう。だが、馬を使うにはあまりにもリスクがある。
そんな反論は、非常な現実の打ち消された。
「――キシャー!」
「――ブモォォォォォォォオオオオオオ!」
魔物たちの咆哮。
右を見ると、そこには数え切れないほどのリザードマンが。左も同様、オークがいる。
「我々は悠長過ぎた! 私に着いて来い!」
クロエ隊長が僕らの返事も聞かないで、その白馬を走らせる。
確かに、時間は全く無いらしい。
先程までは見合っていた魔物たちが、進軍を始め道が塞がり始める。
あの道が完全塞がったら、負けだ。クロエ隊長やジェラールはもしかしたら生き残れるのかもしれないが、少なくとも僕は死ぬ。
マイクに顔を舐められた。
「ドードー、マイク。行くぞ、急ごう」
こいつは他の馬よりかなりビビりだ。今も天を裂くような魔物たちの進軍の音に怯えている。
マイクに乗る。
この戦場の迂回は不可能だ。まず僕がここで単独行動をしたらクロエ隊長に続く騎士と僕に続く騎士で戦力が分散されるし、唯一馬が走れそうな道はこの一本道だけ。
「駆けろ! 僕たちの活路はそれだけだ!」
姿勢を低くして、とにかく全速力で走らせる。
先頭にクロエ隊長。
それをとにかく追う。
クロエ隊長もこの先に何が待っているかは知らないだろう。それでも、自信を持って堂々と前を駆けている。
その自信に満ち溢れている姿の少し安心して、それ以外は考えないようにする。
「ッグッ、ガアアアアアアアア!」
後方から悲鳴。
「おい、バカ、今助け……グゥ!?」
助けに行ったのは、声的にヨームだろう。つまりさっきの悲鳴は仲が良かったジャン。
あいつは馬の扱いが下手だった。多分木に激突して死んだんだろう。
よそ見をしているからだ。
「仲間は助けるな! ただただ前に進むんだ!」
そんなことを言ったが、僕も後ろを覗き見た。それがバカだった。
「モルガン……!」
馬の脳天に矢が刺さった。僕じゃない。モーリスだ。
そしてバランスが崩れた馬がまず転倒して、モーリスも地面に叩き落とされる。
「許せッ!」
僕はもう振り返らないと心に誓った。
――もしあそこで僕が助けに行ったら?
そんなもしもがなぜか脳裏をよぎる。
ちくしょう、ちくしょう。
ただ、無意味に鍛えられている僕の感覚は周りを見なくても大体を理解する。
矢がよく飛来してくるのは左側から。オークの矢だ。
冒険者の時よく目にしたから知っている。
彼らの矢は、少し特殊な構造で回転しながら飛ぶ。だから狙いを定めても狙った位置には飛ばないし、まず狙いもしない彼らにはおあつらえ向きの一品。
風を読む。
「マイク、もっとゆっくり!」
このままの速度じゃ僕に当たる矢がある。
冒険者時代、熱心に研究したのだ。オークの矢の動きを。
まあ、当時は一切役に立たなかったが。
「マイク、もっと速く!」
ただ、遅すぎたらダメだ。僕が後ろにいるヤツらに踏み潰されてしまう。
「正面に滝だ! モルガン卿、間違いないな!?」
クロエ隊長の声でどこかフワフワと考えていた僕の意識が、現実に戻る。
少しかかっている霧の奥に見える、巨大な滝。
間違いない。手紙に書かれている通りだ。
「その通りです!」
それと同時に僕は見た。
リザードマンとオークの双璧が、僕たちを押し潰さんとギリギリまで迫ってきているところを。
心臓が握られた。
それは怖いはずなのに、ああ、気持ちいい。
脳のゴミが洗い流される。ドクドクと脈打つ心臓が僕の意識をつなぎ止めている。
気持ちいい、気持ちいい。
キュッと、いつもより少しサイズが小さくなっている気がする心臓から溢れる全能感が、世界を遅くする――
一歩駆けた。
魔物たちは僕らが眼中に無いのか、彼らが彼らを殺すスキルを勝手に撃つ。
ただ、そのスキルの合間にいる僕たちは格好の的だ。
僕はマイクに吊るしている剣を抜いた。
「『円風防刃郷』」
――二歩目に賭ける。
これは発動にタイム・ラグがある。
単純な確率だ。コインで、表が出るか裏が出るかで賭けているような、そんな確率。
――表だった。
円形に刃に支配された空間が広がり、敵対者をことごとく切り刻んだ。
それが、閉じかけていた肉壁を切り開く。