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僕のみる世界  作者: 雪原 秋冬
序章
6/42

6.みえるもの

 ――そして、土曜日の夜。約束の時が近づきつつあった。

 オレンジ色の光を放つナイトランプが、室内の一部をやわらかく照らしている。自分の家で嫌なものを見てしまうのは一番避けたかったから、寝るときはいつもこうしていた。本当は寝る気もないのに部屋の明かりを落としたくないけれど、いつまでも起きていると思われては不都合だ。

 普段なら眠気が襲ってくるような時間だが、これからを思うと不安で押しつぶされそうになるからなのか、目はすっかり冴えてしまっている。まあ、寝ぼけまなこのまま向かうよりはいいのかもしれないが。

 薄暗いこの部屋でじっとしているのも、外に出るのも嫌だ。伊織も誘ってしまったし、今さら約束を反故にできない。

 深く長いため息を漏らしてから、ようやくゆっくりと部屋を出た。

 家族は寝静まっているらしく、真っ暗で静かな廊下を目の前にして、思わず二の足を踏む。もしかしたら兄は起きているかもしれないから、細心の注意を払おう。見つかってしまったら面倒だ。

「っ……?」

 闇へ繋がる階段を手探りで下りてゆくと、奇妙な感覚が全身を襲った。その奇怪さに立ち止まりかけたが、不審に思いながらも歩みは止めない。一度深呼吸してから玄関のドアノブに手をかけると、先ほどの感覚が再び訪れた。

 経験がないはずなのに、どこか覚えのある――そう、これは既視感だ。嫌な汗が流れてくる。俺は今まで、こうして深夜に抜け出そうとしたことはない。そんな大きなことを、忘れるはずがない。それならこの既視感は一体……。

 ただの偶然か、いつしか夢にでも見た光景なのだろうか。分からないが、ひどく気分が悪い。

 頭の中で鳴り響く警鐘が告げる。これ以上、先に進むべきではないと。それでも俺は、音を立てぬように扉を開き、静寂に満ちた外の世界へ足を踏み入れてしまった。

 今まで非行と言えるようなことは、したことがない。放蕩の兄がいるから、もしこのことが両親に知られたとしても、ひどく叱られることはないだろう。兄のようなことを、と残念に思われるかもしれないが。

 気持ちの悪い既視感も……今までやったことのないことをしているという、緊張感からきているだけなのかもしれない。自転車で向かおうかと思っていたが、徒歩で行こう。かなり早めに家を出たから、それでも時間には間に合うはずだ。こんな状態で自転車に乗れる気がしない。

 ただ、そうすると別の懸念が生まれてしまうのだが、もはやどうしようもない状態だ。病は気からという。だから気に病まなければ、最近は見る頻度も減っているし、平気なはず。

 そう自分に言い聞かせながら、閑静な住宅街を進んでいく。……いや、異様なほど静かだ。土曜の夜となれば、酔っ払いの一人や二人くらいは見かけそうなものだが、俺以外誰も出歩いていない。せめて誰かほかにいれば、気が紛れるのに。

 そう思いながらうつむいたままだった顔を少し上げると、視界の端に何かが映った。……人影だ。道路の端でうずくまったまま、動かない。

 通常ならここで、調子でも悪いのかと心配になって、駆け寄るのだろう。……でも、俺はできない。いや、やる意味がない。だってあれは人ではない何かだと、俺は知ってしまっているから。

 それならあれは霊なのか? ――それも違う。見え始めた当初はそうだと思っていたのだが、ある日それも違うのだと気付いてしまった。

 あの日は濃い夕焼けだった。過去の俺は興味本位で近寄り、触れてしまおうとしたことがある。しかしその手は――そこにあるはずである人の形を、なぞらえなかったのだ。実体のない相手に対して、むなしく空を切ったわけでもない。目の前の光景と一致しない感触に驚き、瞬時に理解しきれない俺にかけられた言葉は、余計に混乱を招くものだった。

『ポスト触ったまま、なに固まってんだ』

 そのときたまたま一緒にいた兄は、そんなことを口にした。自分の前には人の形をして、うずくまった何かが存在しているはず。しかし兄は、それをポストだと言うのだ。

 意味がわからないとしか、言いようがなかった。でも確かに記憶を辿ってみれば、その場所にポストが設置されていたような気もする。けれども今、自分の目には人のような何かしか映っていない。

 そこには何もない、空中に手を向けて何をしているのかと言われたほうが、ましだったのかもしれない。

 そして後日。幼い俺は震える心を抑えながらも、一縷の望みをかけて、明るいうちに例の場所へ向かった。……そこに佇んでいたのは、赤いポストだった。

 ――俺が夜の外を出歩いたり、部屋を真っ暗にしない理由。生きていない物。人工物。それらがなぜか、人の姿のように見えることがあるからだ。不思議と明るければそれは緩和され、見てしまうことはあまりない。

 物には付喪神、というものも宿る可能性があるらしいが、残念ながらそういった類でもないらしい。そもそも神が宿るにしては、ポストだの電柱だのは年季が短すぎるだろう。

 彼らはただそこに佇み、うつむいているだけ。見えている形に触れられもせず、本来そこにある物の感触を確かめられるだけ。何かを訴えてくることもない。

 だからこそ、嫌でたまらなかった。姿を捉えられたとして、一体なんの意味があるのかと俺は思う。何もできないから、何もしない。接触――と表現してもいいのか分からないが、とにかくそれを避けるようにした。

 怪談話の類を避けていたのも、そういった話を知れば知るほど、彼らとの距離が近くなってしまうように感じたからだ。それゆえに、俺がこうして「イザナイさん」を知ろうとし、関わろうとするために夜出歩くことが信じられなかった。

 ……ほんとうに、俺は何をしているんだろう。それともこれで、俺の不可思議な現象は好転するのだろうか。あるいは……。

 ――考えるのはよそう。思考を振り払うように、頭を少し横に振る。

 道が永遠に続き、このまま目的地にはたどり着けないのではないかと思うほど重い足取りになっていたが、現実としてはちゃんと進められていたらしい。待ち合わせ場所である公園の街灯が、近場の闇を少しだけ照らしている。

 その陰影のせいだろうか。周りには闇の塊が多く見受けられ、ひどい有様だ。……もしかして、これは……公園を囲むすべての柵を、「人」として認識しているのか?

 心底疲れ果てたような、深いため息が漏れる。近寄りたくない。踵を返せたのなら、どんなによかったか。大丈夫、俺が勝手に人の姿として認識しているだけで、彼らは何かしてくるわけではない。問題ない。

 そう自分に言い聞かせて決意を固めると、公園内へ向けて歩き出した。

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