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僕のみる世界  作者: 雪原 秋冬
序章
5/42

5.空

 ――ある日の昼休み、俺はふと思い立った。

 いつもなら三咲や須納と一緒に食べることが多いのだが、あらかじめ二人には断っておく。教室を出ていった友人たちを見送ったあと、まだ席についていた幼馴染の姿に安堵しながら声をかけた。

「伊織、一緒にいいか?」

 少し……いや、伊織にしては少々長く感じる間が空いてから「いいよ」と回答を得られる。自分で言うのもなんだが、てっきり即答してくれると思っていたから、意外だった。

 荷物を持って教室を出てから、どこへ向かうのかと疑問に思った。彼の性格を鑑みても、人の多い食堂や中庭などは論外だろう。そもそも普段の昼休みに、伊織の姿を見かけたことがなかった。どこか穴場を知っているのかもしれないが、学校の敷地内という限られた空間なことを考えると、少し不自然なくらいだ。

 伊織は何も言わずにどんどん歩みを進めていき、俺はそれについて行くだけ。俺があえて伊織を避けている可能性を自覚したのなら、近づいてみるのもありだと思ったのだが、返答が遅かったことも踏まえると、やはり伊織は一人でいたかったのかもしれないな、と心のどこかで思う。

 彼が何を考えて、何を言おうとしているのか分かっているつもりになっていたが、全然そんなことはないのだと今さらながら気が付かされた。そんなものは驕りだ。

 自己嫌悪に陥ってため息をつきかけた頃に、伊織が立ち止まって口を開いた。

「この部屋」

 えーっと、まずここはどこだ。

 周囲を少し見渡してみると、教室のある棟よりも使い込まれたような、粗っぽさが見受けられる。……旧校舎? いや、この学園に旧校舎は存在しない。それなら、部室棟の奥……か?

 考え事に没頭していて周りをあまり見ていなかったが、よくよく思い出してみれば、この建物に入った頃はそれぞれのドアに部活名が貼ってあったような気がする。

 伊織は慣れた手つきで制服のポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。小規模向けの部室なのか、中は小ぢんまりしていて、散らかり具合も物置のような印象を受ける。それでもある程度整頓されているように感じるのは、いつも伊織がここを利用しているからなのだろうか。

 しかし伊織は帰宅部のはず。それなのに、なぜ部室の鍵を持っているんだ?

 疑問に思いながらも備え付けのテーブルに荷物を置き、出入口から近いほうの椅子に腰かける。伊織は俺の向かい側の席についた。各々弁当箱を広げていくなかで、何気なく向かいに目を向けてみると、入れ物は言うまでもなく高級品だと分かるもので、その中には彩り豊かにバランスよく詰め込まれた品々が顔をのぞかせていた。

「……弁当、すごいな」

 やはり伊織の家ともなれば、弁当も完璧なんだな。そう思って口にした言葉へ返ってきたものは、さらに俺を驚かせるものだった。

「今日のは、俺が作った」

「……マジ?」

 伊織は静かに頷く。おいおいマジかよ。俺が言った「すごい」をどう捉えたのかは分からないが、少なくとも彼にとってはまだ修行中といえる段階らしい。というか、料理とは無縁で家政婦に作らせて済ませるタイプだと思っていたのに、自分で作ることもあるとは驚きだ。

 幼馴染のスペックすげーな、とおののいていると、伊織はデザートを入れておくような小さい箱の蓋を開けていた。中身はなぜか、いなり寿司だ。

「それ、何?」

 飯は弁当箱のほうへ、おかずと共に入れられている。それでは足りないから、追加で……と考えたとしても、どうも不自然に感じられた。

「……お供え物?」

 なぜ疑問形なんだ。いなり寿司の入った小箱を、弁当箱の横に置きかけてから何かを思い直したのか、背後の棚の上へ置いてしまった。……家がそういう信仰なんだろうか。そのわりには、適当に扱われているような印象を受けるのはなぜなのか。

 そして合点がいく。どういう経緯で部室の鍵を入手したのかは謎だが、少なくともいつも昼休みに見かけない理由と、原因と思しきものは判明した。


  *


 ところ変わって、同時刻のある教室では、女生徒たちが机を寄せて昼のひと時を楽しんでいた。絹糸のごとく艶やかで、腰まで届きそうなほどの黒髪に、赤い瞳の少女――宮原都織は、持参した弁当箱を楽しげに開封する。

「都織のところ、あいかわらず豪華だねー」

 実はいつもより控えめなのだが、友人から見れば気付かないほどの変化だったのだろう。

「今日はね、伊織が用意してくれたんだ」

 伊織は宮原家の次期当主という立場でありながら、自主的に離れを住まいにしている。家政婦も基本的に日中しかおらず、夜と朝は彼しかあの家屋にいない。その間の食事を母屋から届けてもらうよりも、自分で準備するほうがいいと、料理の勉強もしているのだ。

 だからその一環として、昼食も自ら手掛けることが度々あった。すでにそのことを知っている友人たちは、伊織に対する普段とのギャップを口にしながらも、称賛してくれる。

 伊織は努力家だ。今でこそ何食わぬ顔で成績優秀なように見えるが、そうなるまでに……いや、今現在でも、努力し続けていることを都織は知っている。そのことに誰も気づかず、当たり前だと受け止められている事実が、少しだけ胸を苦しくさせるけれども。

 それとも彼なら……本当は知っていてくれるのかな。

 言葉を交わさなくなった幼馴染に想いを馳せ、都織は「いただきます」と手を合わせてから、おかずを口にする。十分すぎるくらい、おいしい。それなのに勉強を続けているのは、やはり家の環境がそうさせているのだろうか。

(私も料理の勉強、始めようかなあ……。振る舞う機会がないけれど……)

 周りが用意してくれるから、ついついそれに頼ってしまって、まともに向き合ったことがない。必要がなかったといえばそれで終わってしまうが、やはり女子たるもの、料理はできるようになりたい。お菓子作りなんてものも、興味がないわけではなかった。

 もし母屋の厨房に入れなかったら、伊織のところにお邪魔しよう、などと考えながら、都織はその日の昼休みを過ごしていた。


  *


 弁当を食べ終え、片付けも済ませていると、伊織が口を開いた。

「ここで勉強、するけれど……、どうする?」

「俺はもう戻るよ。邪魔しちゃ悪いし」

 伊織はいつも昼飯を済ませたあと、そのまま勉強をしていたらしい。どうするのかと問われたのなら、俺がここにいても問題ないのだろうが、話しかけるわけにもいかないし、かといって一人では手持ち無沙汰だし、戻ることにした。

 立ち上がって伊織の後ろに視線を送ると、先ほどは伊織に隠れて見えなかった、小さなデザート入れが目に入る。

 ……その中身は、空になっていた。

 いつの間にか伊織が食べていた? ……いや、最初にあの入れ物を置いてから、うしろを向く素振りさえなかった。さすがに気付かないってことはないはずだ。……それなら、どうして空になっているんだ?

 俺の視線に気づいたのか、はたまた偶然だったのか、伊織は立ち上がって空になった箱を、中身がなくなっていることを確認したうえで、片付けてしまう。おかしいことじゃ、ないのか?

「……、それ……」

 少し震えていたかもしれない俺の声に、伊織は何も言わずにただ続きを待っていた。しかし俺は、その先を口にすることはできず「なんでもない」とごまかしてしまう。

「じゃあ、またあとでな」

 何事もなかったかのように無理やり切り替えて、部室を後にする。伊織が少し悲しそうというか、切ないような、寂しいような……なぜかそういった表情を浮かべているように見えたから、踏み込めなかったのかもしれない。

 ……踏み込むべきだったんだろうか。きっと伊織は、ああなることが分かっていたんだと思う。それでいて俺を拒否しなかったのだから、話すことも視野に入れていたかもしれない。

 今となっては、もう分からないことだけれども。

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