39.迷いの中で
室内に入り、扉を閉めて奥のほうへ向かおうとしたタイミングで、声の主が姿を現す。
青が基調の制服――三年生の学年カラーに、俺よりも低い身長と眼鏡をかけた容姿は、やはり宇佐見先輩だった。
「――なんでわざわざ、成海がここまで……ああ、いや……目的なんて、一つしかないか……」
俺に話しかけるというよりは、独り言のようにぼそぼそとつぶやく。先輩が何をしていたのか気になるところだが、まずは本題だ。
「急にすみません。どうしても話したかったんです」
「……それは――、……ねえ、もしかして僕のクラスまで捜しに来た?」
宇佐見先輩とは連絡先を交換しておらず、直接会って話す以外に手段がない。そのためどちらかが会いに行く形になるのだが、事前に約束でもしていなければ、今回のみならず、これまでみたいに捜す過程が必要になるのは、先輩も承知の上だと思っていた。
しかし、何かを口にしかけたところで話題にしたということは、内心で引っかかるものがあるのだろう。
「はい、まあ……先輩の教室と、第一図書室のほうにも行きました」
「そう……。じゃあ、久門家の者として改めて忠告するけど。もう僕たちとは関わらないほうがいいよ」
「僕たち?」
あえて複数を指す言い方にしたのなら、きっと意味があるはずだ。そう思って聞き返してみるも、先輩は無視して言葉を続けた。
「僕は君と個別に連絡は取り合えないけど、それでも何か話したいことがあるって言うのなら、もう二度と教室まで来ないでほしい。あと昼休みや放課後、図書室に来るのもダメ」
「……そうすると、朝のこの時間帯しか会えないってことになりますが」
「そうしろって言ってるんだよ」
……もしかしなくても、先輩はちょっと怒っているんだろうか。
「僕は――僕自身がどう思おうと、この身に流れる血までは変えられない。だから、どうしても話せないことが……たくさん、ありすぎるくらいなんだよ」
伊織が前に、須納のことで何か言いかけてやめたように、宇佐見先輩も家のしがらみで、言いたくても言えないことがある、ということか。そして同様に、かいつまんだ内容も言えないわけだから……自分でこの状況をなんとか察しろと言いたいわけだ。
まるで「成海のシンキングタイムだ」と言わんばかりに、先輩は本棚の影へ戻っていく。何をしているのか気になるところだが、今は時間がないので、それは後回しだ。
先輩が俺と話したことを「家に報告しないといけない」場合、すぐに浮かぶのは「先輩が俺と会ったことすら言わなければ、バレないのでは」という疑問だ。しかしおそらく、現実はそう簡単にはいかない。
たとえ先輩自身が話さなくても、そのことを知っている「誰か」あるいは「何か」がいて、それが久門家に伝えていたら筒抜けだからだ。
『教室まで来ないでほしい』『昼休みや放課後に図書室へ行くのもダメ』――この情報だけなら、少なくとも存在しないものを警戒する必要はないように思える。久門家も霊感はあるだろうから、見えざるものから情報収集するという可能性も、否定しきれないけれど……見えない俺が気にしたところで、どうしようもない。ひとまず置いておこう。
まあ、端的に言ってしまえば、他人――特に三年生には、俺の行動を知られたくないようだ。朝だけよくて、昼休みや放課後が除外されるのは、登校時間だろうか。
つまり、宇佐見先輩が避けたい特定の人物が登校する前なら会えて、それ以降は秘密にできないから無理だと。そう言いたいのかもしれない。
「……先輩、この時間帯にしか話せないとして……場所はどうするんですか? この第二図書室だと三年生の昇降口が同じ階にありますし、俺がここまで来るのに渡り廊下を通らないといけませんが、それは目立つでしょう。とはいえ第一図書室のほうは、二年生の校舎にありますから、いくら先輩が図書委員長でも、今度は先輩が目立ってしまいます」
俺が考えているあいだに窓際へ移動し、窓枠のあたりを見ていたらしい先輩が、こちらに振り返って答える。
「……僕はね、毎朝第二図書室をチェックしてるんだ。だから成海が『偶然』ここに居合わせるくらいしかないよ。もちろん、誰にも見られずにね」
「……イザナイさんの七不思議みたいなことを言うんですね」
「この場合、それとは違って誰かに見られたら迷惑をこうむるのは、君じゃなくて僕だけどね?」
そんなものはすでに慣れているとでも言いたげに、不敵な笑みを浮かべる先輩の姿を見て、これまでの自分の行動を顧みた。少しの罪悪感が生まれて、一瞬だけ目を逸らす。
「……まあいいよ。それで、なんの話がしたかったわけ?」
そう言いながら、先輩がカーテンを閉める。もともとこの図書室の照明はつけていなかったらしく、窓から差し込む光だけで保たれていた室内の明るさが、カーテンによって断たれてしまった。
「…………。昨日の夜、イザナイさんに願ったんです」
先輩は何も言わず、視線だけで続きを促す。
「そこで、……イザナイさんがある人物に、特別な感情を抱いていることが分かりまして」
「……わざわざその話をするってことは、その対象が成海じゃない、あるいは成海だけじゃないってことだね?」
「……まあ、そうです。うまくぼかせないからはっきり言いますが、イザナイさんは伊織に対して、双子の片割れと再会したときのような感情を抱いていました。ずっと考えていたんですが、どうしてなのか分かりません」
秘密の話をするなら朝、第二図書室で。そう言われたばかりではあったが、今日は宇佐見先輩の教室に行ってしまったから、先輩が俺と出会ったこと――つまり今話している内容を、久門家に流さざるを得ないかもしれない。だから本来ならぼかしたまま、要点は伏せて表面上の情報だけを伝えるべきだとは思った。
しかし、どう言い換えても不自然になりそうだし、俺がなぜ先輩に話そうと思ったのか、分からないままになってしまう。
「――それで成海は、宮原のことが分からなくなってしまったと」
「…………」
無言で肯定する。
宇佐見先輩は久門の人間だから、宮原側の話をされても知らないことのほうが多いはずだ。それでも、伊織以外で話せる人物として浮かんだのは、先輩だけだった。
「……僕にその話をされても、たぶん成海と似たような感想しか出てこないよ?」
「――すみません、わかっています。でも、伊織以外の誰かに――まず聞いてほしかったんです」
先輩は考え込むように目を伏せ、床を見つめる。
「成海がもし、誰かと出会って……それが自分の片割れだと思えるような存在だった場合、どんなものだと思う?」
「え? えーっと……」
俺が考え始めるのとほぼ同時に、先輩は再び本棚へ向かってしまった。ためらいなく本を選び取る様子からして、本の配置はすべて頭に入っているのだろう。
「自分と似たもの……物事に対する考え方が同じだったり、容姿が瓜二つだったり……そういった感じでしょうか。あとはまあ、ドッペルゲンガーとか、そういったものですかね」
兄弟仲がよければもっと想像しやすかったのかもしれないが、あいにく俺のところは、関係が良好とは言えない。
「疑問点をすべて無視して、そこだけを見るのなら……たぶん、そういうものなんだと思うよ」
そう言い終わるのと同時に、先輩が本を何冊か渡してきた。……民俗学の本?
「なんですか、これ」
「興味があったら読んでみて。……わざわざこの図書室に来たんだから、本を借りていかないとおかしいでしょ?」
まあ、そう言われると、確かにそうかもしれない。放課後にゆっくり選びに来るでもなく、朝早くからマイナーと言われる第二図書室に足を運んだのなら、手ぶらで出るよりは「成果」を持って帰ったほうが自然か。
「成海はもう戻りなよ。これ以上は帰るときに目立つだろうから」
「はい……、……あ、そういえば先輩は、ここで何してたんですか?」
「何って……そりゃ戸締りだよ。日中も鍵が開いてたら不自然でしょ? あと必要があれば、後始末もね」
ああ……そういうことか。この第二図書室だけ、先輩の手によって深夜の侵入口となるように夜間は開けられており、その代わり日中はきちんと閉じられている。昼夜が逆転した窓というわけだ。
以前話したとき、先輩がここの窓のことを「いつも他の誰かに使われているみたいだ」と言っていたことを思い出した。きっとあれは、毎朝こうやって戸締りついでに状況を確認していたから、痕跡の有無で判別できていたのだろう。
とはいえ、三咲たちと一緒に侵入したときは、校舎の異界化によって痕跡はすべて消されていた。あれが特殊な例と言われてしまえばそれまでだが、イザナイさんの手によって「何もなかった」状態に戻されており、先輩が把握していないものもあったのかもしれない。
昨夜の俺だって、別の侵入経路を使っていたわけだし。先輩だってべつに、すべての出入りを把握したくてやっているわけではないのだろう。
「――ありがとうございました」
軽く礼を述べ、扉をそっと開ける。不自然にならないよう注意しつつ、それとなく周囲を確認して廊下に出た。




