3.計画
翌日。長いと思っていた夏休みはあっという間に終わりを告げ、ついに学校が始まる。
そのせいか、見慣れているはずの教室が、少し新鮮に思えた。
ホームルームまでまだ時間はある。クラスメイトたちが各々談笑しているなかで、俺は頬杖をついてぼんやりとしていた。
伊織はすでに教室へきているが、誰とも喋らず――いや、このクラスでは俺しか話す相手はいないのだが――机の上にノートや教材を広げて、黙々と勉強をしている。
この騒がしいなかでよく集中できるな、と感心するが、この騒音すら遮断できるほど、一人でいる世界が完成されているのかもしれない。
今となっては、そうやって過ごしている伊織にちょっかいをかける者はいないが、昔はそんな彼をからかう輩が多かった。めずらしい赤い瞳をもっていたことも、幼さゆえの好奇心で、それらの行為を助長させてしまったのだろう。
開け放たれている教室のドアから、一人の男子生徒が入ってくる。三咲だ。
互いに軽く挨拶をして、俺の前の空いている席に腰かける。
「一昨日した話、覚えてる?」
「ああ……」
小さく曖昧な返答をしながら、先日を振り返った。たしか、三咲の彼女である東雲が、この学校で伝わっているらしい七不思議について、少し触れていたんだ。……イザナイさん、だったかな。
「俺から詳しく話しといてって言われたからさ……、オカルトが好きなら昼休みか放課後にでも、自分で話せばいいと思うんだけどね」
女子は気まぐれだな、などと少々愚痴のようなものをこぼしながら、三咲は話し始めた。
「この学校の一号館、そこの三階と四階の間にある踊り場に、鏡があるだろ? そこへは丑の刻……つまり、深夜の二時半から三時までの間に行けばいいらしい」
「――丑の刻って。その時点で信憑性が低いな」
「ま、噂だから。実際にどうなのか俺は知らないよ」
三咲は俺の言葉で少し苦笑しつつも、話を続ける。
「それで……イザナイさんへ会いに行くときは、誰にも知られずに全て終わらせないといけない。そして、時間内に鏡の前についたら、鏡の前で言うんだ。『イザナイさん、聴いてください。イザナイさん、お願いします』……こう言ったあと、自分の願いをその『イザナイさん』に向かって言うらしいよ。そうすると、どんなことでも叶う、らしい」
「……なるほど。ありがとう」
人ならざる者が、願いを叶えてくれるってことか。まあ……夢のある話、なんだろうな。
「けど、そういうのって……」
俺が即座に浮かんだ疑問をぶつけてみようと口を開いたとき、聞き慣れた声が合間に入ってきた。
「よっ、なんか珍しい話してんな」
暗い鶯色の髪を持つ彼は、須納巡。クラスメイトで、俺や三咲と仲がいい。
「ああ。まあ、成り行きでね。成海が興味を示していたから」
三咲の返答に「マジで?」と驚き混じりの反応をする須納。俺がオカルト系の話を好まないことは、彼も知っているからこそのものだろう。
「うっわー。ほんとに珍しいな。何かあった?」
「いや……、たまたま、気になっただけだよ。というか、須納も知ってるんだな」
「知ってるもなにも、わりと有名な話じゃないか?」
……そうだったのか。そういった話をまったく耳にしたことがなかったから、コアな話だと思っていた。兄貴が知っていたら、俺への嫌がらせで話しそうだし。
まあ、この七不思議は驚かせるようなものではなく、願いが叶うという前向きな内容だと言えるから、それで話さなかったという可能性も否定し切れないが。
「願いが叶うって言うけどさ、代償というか……デメリットはないのか?」
先ほど言いかけていた言葉を口にする。
「さあ……俺はそこまで聞いてないな。茉莉は『イザナイさん』を試したことがないんだってさ。さっきの話も、友達の友達からとか……ありがちな口伝だし」
「俺もデメリットは知らないなあ。しいて言えば、深夜の学校に忍び込まないといけないことくらいか? 見つかったらやばそう。警備もあるだろうし」
そう言いながらも、須納は少しわくわくしたような口ぶりだった。
「それなんだけど」
三咲はにやりと笑いながらそう言うと、手招きして俺たちを近寄らせ、小声で話を続けた。
「この学校、どういうわけか夜の警備はないらしい」
「……はあ」
「へえ。それは初耳だな」
嫌な予感がする。須納は相変わらず楽しげな表情で、とんでもないことを口にした。
「よし、それなら近いうちに、肝試しがてら試してみようぜ」
「……肝試しか。機械警備がないくらいで、さすがに無人とは思えないけれど……、まあ、入れなければそのまま帰ればいいしな」
おいおい。なんで三咲まで肯定的なんだ。
「これも茉莉から聞いた話だけど、そもそも、丑の刻に学校の敷地内へ入るには、運が絡むらしい」
なるほどな。いつでも丑の刻にイザナイさんと会えるなら、きっと殺到してしまうだろう。本当にそういった存在がいるのなら、ではあるけれど。
噂の域を出ないものなら、出会う確率が百パーセントでなければ、もし会えなくとも自分は運が悪かったという話にできる。
それに、誰にも知られず全てを終わらせないといけない……これは噂通りの行動を起こしても、結果が変わらなかったときの言い訳にもなりえる。
自分が気づかなかっただけで、誰かに見つかっていたのかもしれない。
もしくは、やはりイザナイさんは居なかったのかもしれない。
……それにしたって、やはり丑の刻というのはどうかと思うけれども。今まで表沙汰になっていないだけで、これまで挑戦してきた生徒たちが数多くいたかもしれない。大問題だ。
「それじゃあ、そうだな……今週土曜の午前二時に、学校近くの公園で待ち合わせでいいか?」
「そうだな。校門前で待ち合わせは目立つし、そこでいいと思う」
……勝手に話が進められていた。
「いや、俺は……」
「ん? 成海も行こうよ。ちょっと確かめるだけだしさ。どうせ入れないと思うけど」
そうか。仮に行ったとしても、中へは入らずにすぐ帰ればいい。ただ、俺は夜に出歩くのが好きじゃない。夕方から日の出までは引きこもりでいたいくらいだ。
三咲も須納も気心の知れた友人だと思っているが、びびりだと思われるのは癪だ。もう一人、一緒にいても問題のない誰か――そんなことを考えながら視線をさまよわせていると、あるクラスメイトが目に入った。
「……なあ、伊織も誘っていいか?」
「え?」
突拍子のない提案に面食らった様子の三咲と、露骨に嫌そうな顔をする須納。
「宮原がいいって言うのなら、俺は構わないけど……」
三咲はちらりと須納のほうを見た。
「好きにしたら?」
ぶっきらぼうながらも、はっきりと否定まではしないらしい。それじゃあ、と聞きに行こうとしたところで、予鈴と共にクラス担任が教室へ入ってくる。教室がざわめく中で、各々自分の席へ戻ろうとする二人に、「あとで確認してみる」と小声で伝えておいた。