2.幼馴染
夕焼けにしては不自然なほど、空が真っ赤に染まっている。逆光で黒い影となっている街並みの中に人影らしきものも混ざっていたが、まるで時が止まってしまったかのように、動きはなかった。
それなのに先ほどからずっと、雑音に近い声が聞こえてくる。一体なんと言っているのだろう。気にかかっても、それを知ってはいけないという予感があった。
歩みを進めていき、人影のそばを通り過ぎる。間近になっても光の角度が変わることなく、真っ黒だ。雑音は鳴りやまない。音の大きさも変わらない。
――ああ、そうだ、この人影たちは……。
その正体に気付いたときだった。微動だにしなかった人影たちが一斉にこちらへ群がってきながら、口々に言葉を発した。
「待ってる」
「ずっと」
「ずっと」
「成海和樹を」
こちらへ触れてくるような距離でもなかったのに、突如として耳元で聞こえてきた、不自然なほど鮮明な声に驚いて勢いよく起き上がると、そこは見慣れた自室だった。
夢だった……のか?
わからない。耳に残った感覚に、現実だと言われているようだった。
窓へ目を向けると、カーテンの隙間から遠慮がちな光が差し込んでいた。
仄暗い雰囲気をまとっているベッドから抜け出し、身支度を整え始める。まだ早朝と言える時間のようだが、明るさに触れたかった。
家ではだめだ。外へ行こう。
寝静まっているであろう家族を起こさないように、物音を立てぬよう気を付けながら、玄関の扉をくぐる。
さわやかな空気が胸いっぱいに広がり、その心地よさに少しだけ安堵した。目的もなく近所を歩いていると、犬の散歩や、ランニングをしている人たちとすれ違う。
自分以外の誰かがいる安心感。息づいている空気に、現実だと実感する。
「……あ」
そんな中で、見知った姿が目に入った。
「おはよう」
「……和樹。おはよう」
宮原伊織。黒髪に、どこか愁いを帯びた赤い瞳を持つ彼は、俺の幼馴染で、クラスメイトでもある。
口数が少なく、近寄りがたい雰囲気もあるせいか、学校では浮いてしまっている。伊織自身も、誰かと一緒に過ごすよりは一人でいるほうが性に合っているようだから、俺も学校で必要以上に絡んだりすることはなかった。
「珍しいね」
これは、俺が朝早くに出掛けていることを指しているのだろう。
通常であればしっかり伝わらずに、詳細をたずねてしまいがちだと思うが、幼馴染ゆえなのか、俺には伊織がどういう意図で言ったのか大体わかる。しかし、こういった言葉が足りない部分も、伊織が孤立してしまう原因だった。
「今日は、そういう気分だったからな」
「そう」
感情のこもらない、そっけない返答。いつも通りの伊織だ。きっと普通の人は、この返しに満足がいかないのだろう。話も盛り上がらないだろうし。
けれども俺は、そんな静かな伊織が好きだった。どれだけお互い無言でいても、まったく苦ではないし、どこか心が落ち着いてくる。今の俺には、特に効果が高いようだ。
「大丈夫?」
「……っ、は……?」
「元気、ないように見えるから」
伊織の言葉に、一瞬どきりとした。
「ただの夏バテ。……じゃあ、俺はこっちの道を行くから」
「うん。またね」
俺は逃げるようにして別れを告げた。
伊織は何もかもどうでもよさそうな振る舞いを見せているのに、妙に鋭いところがある。
嫌な夢を見た、と正直に話しても問題はなかっただろう。反応は相変わらずだろうけれども。
根拠などあるわけないのだが、あの夢の内容を話すことによって、それが現実になってしまうような、漠然とした不安があった。
……早く忘れてしまいたい。
自分から別れを告げたくせに、もう少し伊織と話したかったな、と少しだけ後悔した。