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Lily in Black  作者: 小佐内 美星
第一章 猫の鳴き声
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第九話 .Lily

「――で、女王様と喧嘩みたいになっちゃったのね」


リリーは深い溜息をついたあと、がっくりと項垂れるように頷いた。


「ため息ばっかりついてると幸せが逃げるんだぞー」


 冗談っぽく言ったアリスはスプーンでオムライスの端っこを掬って口に運んだ。


 王室を出て図書室での調べ物をしていたリリーは夕暮れに気が付かず、探しにきたアリスに連れられて食堂に来ていた。今は一緒に夕飯を食べている最中だ。夕食時ということもあって、広い食堂の席のほとんどは近衛兵やメイド、外の人たちなどで埋まっており、どこもかしこも楽しそうに会話をしながらご飯を食べている。普段こうしたがやがやしている場所で食事をしていなかったリリーは、少し新鮮な気持ちでいた。


 アリスがオムライスを満足そうに口に入れているのを見ながら、リリーは自嘲気味に笑ってみせた。


「幸せが逃げたから溜息が出るの」


「もっともらしいこと言って……。しかし、女王様と喧嘩するなんて、王妃と姫様除いたらリリーだけだろうね」


「うー、なんかそう言われるととんでもなく恐れ多いことをしてしまった気がするからやめてよ……」


「実際とんでもないでしょ」アリスは呆れた顔をして水を飲む。「で、どうすんの。名探偵的には気になってしょうがないんでしょ」


 気になって仕方がない、そうなのだろう。アリスはリリーよりもリリーのことを分かっている。リリーは、自分が猫事件に関わることをなぜターラがあそこまで嫌がるのか、それが気になってしょうがなかった。もっと慎重に、何事も理屈で考えなければ痛い目を見るのは自分だと幼い頃から言い聞かせているのに、感情がそれを通り越して行動につなげてくる。いつの間にか「そうしなければ」と思ってしまっているのだ。


 味噌汁をすすって、アリスの言葉に頷く。


「ん、おいしいよね、味噌汁。……調査ね、続けるよ。ターラさんのことが気になるってのは当然そうなんだけど、腹も立った。だから理由を言ってくれるまでやめない。調査を続ける理由はもちろんそれだけじゃないけどね。さっきも図書館で色々調べてきたよ」


 アリスは肩をすくめてやれやれと言いたげなふりをしたが、次の瞬間には身を乗り出して「何調べてきたの」と興味津々に問うてくる。予想できていたので、リリーはあらかじめ頭の中で整理していた情報をアリスに伝えていく。


「新しいことは何も調べてないんだけどね、七年前のことをわたしは詳しく知らないから、個人的にすっきりするために改めてエール教に関する書籍を漁ってみたの」


 アリスは真面目な表情で聞きながらオムライスをつっついている。


「七年前の事件は、エール教徒が宗教上の儀式として一切の悪気もなく事件を起こしたって言われているから、そこまでさせてしまう儀式とはなんだろう、それをして一体どんな恩恵が下るのだろうって気になって調べたの。まず当然なんだけど、エールの教祖はとっくに死んでいる。けれどエール教の教義は新たに教皇と呼ばれる人へ伝えられ、そして信者へと引き継がれていく。そしてその教義の中に、当然件の内容もあるわけ。どうやらそれをすることによって、彼らは新たなエール教における啓示を聞くことができるらしいの」


 アリスは片眉を上げて、首を傾げた。


「なんで聞く必要があるの?」


「もともとエール教を説いた教祖は死んでしまっているから、知っている教え以外の新しい知識は手に入らないよね。時代によって物事や価値観って変わっていって、本来の教義が時代にそぐわなくなってきたりする。人によって解釈が違ったり、権力を得るために、勝手に教義を書き換えたりしてしまうような人が出て来たりして、宗教の中にも派閥ができてしまう。そうした宗教分裂が歴史上何度もあって、そのたびに信者達は自分自身で啓示を授かろうと考えた。そこでその儀式が使われてしまうってことらしいの。だから例の事件も、七年前が初めてではないかもしれない、ずっとずっと昔にも同じことがあったかもしれないってこと」


 今回の調べで分かったのはそういったエール教のことだけではあったが、理解とは別にしても、彼らの気持ちを把握することはできた。アリスは「ほー」と感心したように小さく頷いていた。


「つまり本当に、なんの悪気もないわけだ」


「本当ならそうなんだけど、気がかりなことがある」お茶で喉を潤してから続ける。アリスが食事を終えているのを見計らって、今まで遠回しに言ってきた部分を小さな声で口に出していく。「前回の事件では、本当にその儀式をするためだけに猫の首が切り落とされて、そのあとは隠されるように棄てられていた。けど、今回死体が置かれていたのは比較的目立つところなんだよ。儀式をするためだけなら、隠しておいたほうがよっぽどいいのにも関わらず」


「……儀式だけが目的じゃないかもしれないってことね」


 あくまでももしかしたらの話ではあるが、やはり気がかりなことであることには違いない。リリーは首を縦に振り、箸をテーブルに置いた。


「あ」


 思い出したと言いたげにアリスがリリーの顔を見る。


「明日定例会議があるんだけど、リリーは来る?」


 定例会議というのは、その名の通り定期的に行われるお偉いさま方の集まりである。女王や王妃、姫はもちろん、国衛軍や準国事隊の幹部も来る。近衛兵も例外ではなく、状況や会議の内容によって面子は制限されたりもするが、その招待先はメイドや執事長、トンネルを守る番兵、国民の中から無作為に二人――などと多岐に渡る。リリーは色々な理由でそれが嫌いだった。


 アリスの誘いに驚いて、リリーは慌てて顔の前で手を振る。


「いやいや行けないよ、そんなところ」


「副隊長なんだから遠慮なんてしなくていいのに」


「偉い人苦手だし」


「それは分からないでもないけど……じゃあ何か言っておいてほしいこととかはある?」


 リリーは少し考えてみるが、必要なことはすぐに思いついた。


「その会議で、誰かしら旅行を禁止しようって言い出すと思うんだけど、そうなったらなんとか拒否してもらえないかな。少なくとも準隊の賛成は得られると思う」


「それはいいんだけど、そうして犯人を泳がせる必要ってある?」


「被害の拡大は怖いけれど、確実に意味はある。何度も旅行に行っている人がいるかもしれないし、これから誰かが怪しい動きをする可能性だってあるから。それに事件について公表していないのに、突然禁止にしたら噂が広まるかもしれない。今は現状を維持したい」


 リリーの言葉に頷いたアリスは、余った水を飲み干して、ふうと息を吐いた。


「ごちそうさま。久々に食堂のご飯食べたけどおいしかったね」


「いい料理人雇ってるだけあるよ」


 お腹も膨れたし、味も申し分なく満足だった。食事中にしていた話は場にそぐわなかったけれど。


 料理を平らげて綺麗になったお皿をお盆に載せて持ち上げる。片付けにいこうと席を立つが、気づくとアリスがずっと同じ表情のまま動かなかった。食べすぎてお腹が膨れて動けなくなったのだろうか。リリーは苦笑する。


「アリス、どうした?」


 少し笑いながらアリスに問いかけるも、アリスの表情は変わらぬままだった。その様子が次第に気になってくる。


「……いやさ、私ら食堂で御飯食べるのって久しぶりじゃない?」


「そうだね」


 素っ頓狂な質問だ。今さっきも同じ話をしたばかりなのに、そうも真剣な顔で繰り返し言うことだろうか。リリーとアリスはいつも一緒に食べている。たまたま忙しかった日を除けば毎日だ。朝食や昼食はどうしても各々になってしまうが、夕食時は基本的に仕事がないので共にしている。アリスの聞きたいことがいまいち分からなかった。冗談なのなら笑うべきかとも思ったが、アリスの視線はどこか一点を見つめ、表情はじっと固まったままでいる。その様子を見ると、笑うにも笑えない。


「どこで食べてた?」


「わたしの部屋だよ。アリスどうしたの、ほんと」


「だっておかしくない?」アリスが怪訝な顔をしてリリーを見る。「私もリリーも料理ができないのに、リリーの部屋で何を食べてた? どうやって用意してたっけ、食堂のご飯、久しぶりなのに」


 これにもリリーはすぐに答えられる。……はずだったのだが、記憶を呼び起こそうとしても出てこなかった。何を食べたのかはかろうじて答えられる。昨日はサラダと、肉じゃがと、他にも色々――どれも調理が必要なものだ。アリスの言いたいことが分かってくる。リリーはホットケーキしか作ることができないし、アリスは必ずやけどをする。つまり我々にはサラダはともかく肉じゃがも、他の料理も作ることはできないのだ。食堂の料理でもないとすれば、それを一体どうやって調達したのだろう。リリーは脳内でアリスの言葉の数々を反芻する度、一層混乱していった。


「ほんとだ。わたしたち、夕食どうしてたんだろ」


 リリーは思い出せない夕食のことをなんとか思い出そうと頭をひねったが、ついに出てくることはなかった。アリスとお互い浮かない表情のまま別れ、茫然自失といった感じでなんとか自室へと戻ってきていた。部屋全体の照明は点けず、机に置いてある小さなランプだけが橙の光を発している。


 どうもおかしい。


 昨晩の食事が思い出せないことなどたまにあっても普通であるが、まさかもっと根本的な部分を思い出せなくなるだなんて、考えてもいなかった。それがむずむずとするような気持ち悪さを与えてくる。難しいパズルを解いているというよりは、無くしたピースがどの部分であったかを悩んでいる感じだ。


 記憶障害? いや、友人と同時に記憶障害を引き起こすなんてことは聞いたことが無いし、ありえる話では到底ないだろう。それどころか、食事の調達方法が思い出せないということ自体もありえない。考えれば考えるほど、頭の奥が引き出させまいとしているようで、混乱がこれ以上ないというところまで来た。他に何か思い出せないことはあるかと思慮を巡らせてみるが、それもやはり思い浮かぶことはなかった。


 いつの間にか手でくるくると回していたペンを眺める。そのペンを眺めて、リリーは勢い良く椅子から立ち上がった。

 日記だ。ずっと昔から付けている日記。習慣として、リリーは書けない理由がない限り日記を付けていたのだ。それを見ればなにか分からないだろうか。


 リリーは半ば強引にクローゼットを開いた。日記は見られたら恥ずかしいので、いつも所定の場所に隠してある。クローゼットの奥にまとめてある冬服の下。冬には夏服の下になる。そこに腕を突っ込んで、手探りで服を掻き分けていく。数秒そうして、ついに違和感に気がついた。どれだけ探っても、それらしき感触がないのだ。もどかしくなって冬服達を引っ張り出す。ひっくり返して、裏返して、振ってみて、虫に食われていないか確認して、食われていなくて安心するものの、果てに当の日記は見つかることがなかった。念のためクローゼットの至る所も、部屋全体も探してみたが、ない。


 ――どうして……


 ――不意に背中に悪寒が走る。人の気配のような気味の悪い心地。勢い良く振り向くと、そこにあったのは、机と、見慣れたベッドだけだった。呼吸が荒くなっているのを感じて、深く呼吸をする。


 盗まれてしまったのだろうか。けれど、いつもしっかりと施錠をしてから部屋を出るし、合鍵なんて作ったこともない。鍵だっていつも身につけている。勝手に作られることもないだろう。


 しかし、では、どうやって密室から物がなくなるのだろうか……。


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