.Lila 8
わたしは衛生的に管理の悪い牢獄の中で、ただカーテンだけで目隠しをされ、医者ではなく女性兵士の介抱を受けながら、出産をすることになった。
痛みも忘れるほどの不安はあったが、立ち会った女性兵士はけして雑にはせず、精一杯わたしの出産を手伝ってくれた。出産を終えたとき、あふれるほどの幸福感に包まれて、色んな罪悪とか、そういうものが全部、一瞬だけ拭われた気になった。我が子を抱きたい。その一心だった。
だが、母として当然のその願いは、叶えられなかった。産まれた子はすぐに別の兵士に抱えられ連れて行かれた。わたしは我が子の顔も、身体も見る暇なく、疲れ切った身体に服を着させられながら、ぐずぐずと泣いた。どれもこれも、自分のせいなのに。人間と天使の子供。その子が満足な姿で産まれてくれたのかどうかも、見ることはできなかった。
兵士は呆れた顔をしながら、事務的な声で淡々とわたしに問う。
「名前を決める権利はあなたにある」
子供の名前はずっと決めていた。
「リリー」
「リリー、ね」
彼女はそれだけ確認して、わたしに背を向ける。わたしは慌てて呼び止めて、リリーをどうするのかと聞いた。牢の出口で振り返った兵士から返ってきたのは、淡白な宣言だった。
「悪いようにはしない。将来、あなたが反省してさえいれば、会うことはできる」
牢に取り残され、膝を抱えて隅に座り込んだ。
きっと、素敵な伴侶ができて、その人との間に子供を授かるのだろうと、漠然とした将来への希望があった。おそらくは誰にでもあるようなそんなありきたりな夢が、目の前にある寂れた現実に打ちのめされていた。床は冷たく、壁も冷たい。なんのものだか分からない汚れが地面に染み付いているのを目で追っていた。それくらいしかすることがなかったから。一日に一回は、リリーの名を呼んだ。なにか素敵な奇跡が起こって、この声が届かないかと願いながら。そうして十年経った。
国衛軍の本部で手続きを済ませる。知らぬ間に女王となった幼馴染のターラが便宜を図り、わたしの住む場所を確保してくれたらしい。それはあくまで王政府の監視下に置く、という名目でのことらしかったが、友人として手助けしてくれたのだろうと確信した。そうでなければ、王国の辺境で監視されながら暮らすことを条件に釈放されることになっていたのだ。それは後で知った。
門を出ると、潮風が強く吹き付けてきた。青の深い層が見えるほど、美しく晴れた日だった。惜しみなく輝く海が眩しく、何度も瞬きをした。伸びた髪の毛を抑えて、ふと視線を巡らせると、その端にターラの姿を捉えた。
お礼を言わなければ。そして、謝らなければ、足を踏み出そうとした途端に、喉の奥がひゅっと鳴るのを止められなかった。その横に、小さな女の子がいることに気が付いた。
少女はターラの横にくっついて、わたしのことをじっと見つめている。初めて見る女の子だった。可愛らしく整って、それでいて大人びている。丸い瞳を長いまつ毛が縁取って、その上に、細く、疑い深そうな眉が走っている。鼻はしゅっと高かったが少し鷲鼻気味で、大きくなって容姿を気にするようになったら、鼻のことをまず言うのだろうと思った。
初めて見るのに。
初めて見るその子が、わたしには、リリーだということが、考える間もなくわかった。
胸から込み上げる名前の付けられない衝動的で躍動的な感情が、取り留めもなく口から出ようとしている。それを抑え付けようとすると鼻がつんと痛んで、瞼が小さく揺れた。
わたしはゆっくりと小さなリリーに近づいて、手を触った。大丈夫。手も、腕も、足もある。リリーは少し怯えた様子だったが、逃げようとはしなかった。むしろ、ターラの顔を一度見て、握っていたその手を私のために差し出してくれた。
髪の毛を触った。前髪を優しく撫でる。さらさらと、指を拒まない、柔らかい髪の毛。リリーの髪に手を通すたび、身体の奥から濁流のように切ない想いが溢れてきて、ついに止められなくなった。
風が吹き、花びらが散る。優しい匂いが鼻を掠めて、ここが、まるで。
黒い前髪――こんなところに、楓の血が流れている。
縋るように、彼女の肩を掴んだ。呼吸が乱れて、息を吸うのも吐くのも生まれたての子供のように覚束なくて、言葉を出そうとすれば意地悪く涙がそれを拒んだ。「リリー」拭っても拭っても抑えきれない涙。「リリー、リリー」何度も謝りながら、ずっと泣いた。「ごめんね、リリー」




