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Lily in Black  作者: 小佐内 美星
第七章 翼と赤子
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第六十八話 .Lily

 埃が、たくさんの窓から差し込む光に照らされてちらちらと輝いている。子供が十人集まって走り回ってもまだ遊び場が余りそうなほど広く、置物は椅子以外にない無機質で殺風景な部屋だった。


 部屋の中央に目をやると、白髪と白髭で表情の見えない老人が、仰々しいほどに大きな椅子に座ってこちらを見ていた。


 目線を横に滑らせると、涙に表情を歪ませたシャーリィが、縛られ跪いていた。


「リリー、外で大きい音がしたから、私……」

「びっくりさせちゃったね。ごめんね」


 愛しい、愛くるしい、ミルクティー色の双眸がリリーを熱く見ていた。その濡れた瞳に、リリーもまた熱い視線を送る。


「血が、」


 リリーは髪の毛を触る。昨晩、男の血を被ったのが残っているのだ。脇腹も治っていない。痛いし、苦しかった。――それでも。リリーは笑顔を作って、シャーリィに答えた。


「それでも、助けに来たよ」


 シャーリィが視線を床に落とし、泣きに喘いだ。

 老人を見る。長い白髪で顔を隠し、白い髭が胸辺りまで伸びている。

 教皇が、口を開いた。


「興味深い髪の色をしているな。それは生まれついたものか? ……悪魔の象徴とは、おもしろい」


 しゃがれた声が、髪の隙間から届く。


「あなたがエールの教皇ですね」


 リリーは数歩、教皇に近づく。挨拶などは必要なかった。


「つまりあなたは、事の責任者です。あなたのせいでエール教は、この世で最も穢れた信仰になってしまった。猫を殺しました。当たり前のように、人を利用し傷つけました。命まで奪いました。そこまでする目的はなんですか。それがエールの教えだというのなら、わたしは侮辱します」


 教皇はリリーの言葉に強く反抗することなく、じっと佇み、そしてゆっくりと口を開く。リリーはそれを睨みつけるように見ていた。


「エールの教えは、指を咥えているだけでは意味をなさない。我々は多くの天使を必要とし、その中には犠牲となる者もいよう。問おう。神とはなんだ。唯一の存在か? いや、違う。我々聖域の天使たちが、集合として神の形を成すのだ」


 当然のように言い張る老人に、リリーの胸の奥がじわじわとかき乱されていく。落ち着いていた感情が、また頭角を現し始めている、リリーは声を高くした。


「我々が神であるために、その信仰に基づかない天使は犠牲になるほかないと、そういう意味ですか」


「ほお」教皇は嬉しそうな声で髭を撫でつけた。「話が分かる女子だ。そうだ。よく分かるだろう」


「なに言ってるんです。分かりませんよ。分かるわけがない」

「いまに分かる。聞きたまえ。君には素質があろう。君は思ったことがないか? 我々はなぜ、自由に翼を授かることができる? 身体に頼らず子を授かることができる? 知能を有するのはなぜだ。それだけではない。様々な恩恵がこの聖域には存在する。それはなぜだ? それは我々が神であり、宇宙がそれを託しているからだ」

「エールの教えですか?」

「そうだ。とりわけ、新たなエールの」

「は」


 リリーの口から笑いが漏れ出た。


「新たなエール。つまり、あなたが一人で言っているにすぎないという意味ですね」

「聞きたまえ! 聡明な子よ。天使は知るべきだ。我々に与えられた自由を。天使はもっと宇宙の恩恵を受けて生きるべきなのだ。この世にはもっと、我々のまだ知らない恩恵が眠っているはずなのだ! そのために、一人二人の死者などなんであろう! ウリエル、ガブリエル、誰もが知っている伝説の天使の名だ。彼女らは一様にして翼を有している。どういうことだか分かるかね」

「宇宙の恩恵を余すことなく受けた天使だからこそ」

「そうだ! その恩恵を余すことなく手にして、我々は最初の神になる! やはりそなたは聡明だ! 我々に迎合を――!」


 教皇の言葉を、リリーは遮った。


「――そう、言ってほしいのでしょう。分かりますよ。あなたの言う通り、わたしは聡明なのかもしれないから。では、聡明ではない教皇様に教えてあげましょう。エールの民はあなたに不信感を抱いています。長い年月をかけた大切な信仰は、あなたによって穢された」

「しかし、また舞い戻る。人間たちの世界ですら我々のものだ。その力を見れば、天使は欲する」

「下界にまで手を出すつもりですか?」

「全能だからこそ」


 悪びれる風もなく、教皇はそう言った。信仰はもっと大事なものだったはずだ。人の生き方を形作る、大切な。その形に貴賤はなく、どの人にとっても尊いものでなければならない。しかし、この教皇はすでにそれを踏みにじっている。信じる対象は教典ではなく、自分自身なのだ。これ以上彼の思想を聞いても無意味だった。こうして詭弁で信者を増やそうとするのが彼のやり方ならば、尚更だ。


リリーはため息をついた。


「わたしたちのための恩恵と、そう言いましたね。それならば、なぜ代償や条件が必要なのですか」

「食事をするためには豚を殺さねばならぬ。手順なのだよ。条件とはそういうものだ。我々が受ける恩恵に代償などない」

「翼を授かるとき、覚悟しなければならないのはその代償ですよ。翼を授かり、足を失ったものも、視力を失ったものもいる。対価に失っているではないですか」

「人は、自分の受け取ったものが自分に牙を剥くと、途端にそれを悪とみなす。こう考えればよいのだ。翼を授かるとき、天使はもう一つ何かを授かることができる。二つの力を手にするのだ」


 リリーは黙り込んだ。黙り込んで、じっと、冷たい視線を教皇へと送る。自分がいま、この老人に抱いている感情がなんなのか、考えてみた。考えてみて、思わず口角が上がった。


「でたらめばかり言いますね。何かを失うことは力ですか」

「……あるいは――」


 教皇が口を開いて、固まる。言葉の続きはなかなか出てこなかった。


「あるいは、なんです?」


 リリーが続きを催促すると、教皇は訥々と、口をぱくぱくとさせながら声を出した。


「不自由を授かったといえる」

「それはエールの教えですか」

「私の考えだ」


 とうとう終わってしまったな、とリリーは思った。

 自分でも驚くほど冷酷な声が、冷えた部屋に響く。


「少し論駁されれば破綻してしまうような屁理屈で、よくも計画を実行してくれる人を集められたものです。あなたのことをどう呼ぶか知っていますか。気の狂った老人と言い、あなたの言葉を妄言と言います。話の最初と最後がなんとなく合ってさえいれば、アーロンのような頭の固い能無しは騙し通せたかもしれませんが、あなたは結局、エール教徒さえ騙せなかった。教皇という大層な肩書があっても、馬鹿は馬鹿でしたね」


 シャーリィが苦しそうに咳き込むのが聞こえた。

 早く国に帰してあげなければ、かわいそうだ。

 無表情で教皇へと言葉を続ける。


「たくさんの猫を殺し、何人も罪のない人を犠牲にして、長い歳月をかけた計画は失敗に終わりました。あなたたちの攫ったミカフィエル教徒はいまごろ王国の兵士が保護している頃です。聞きましたか? エールは鎮圧されたそうですよ。あなたに求心力がなかったその証左です。――天使が集合し神になる、でしたっけ。もう、終わりですね」


 リリーが言い終えて老人から目を逸らすと、初めて教皇が声を荒げた。


「まだ終わっていない!」


 リリーは叫んだ老人を、無感情に見つめる。


「終わりましたよ。あなたはこれから死ぬまで、牢屋で過ごすんです」

「終わりなどあるか! 終わらせてたまるか! 私はこの身を削り、この信仰を!」


 叫び声がきんと耳に響く。老人が騒ぎ立てる。立ち上がり、息を切らし、リリーに向かって叫んだ。こうなってしまえば、やはり教皇などという肩書は無意味であるどころか、滑稽だった。


「では聞きましょう」


 憐憫さえ感じた。みすぼらしい、祭り上げられただけの、ただの老人だ。

 リリーは息を吸って、いまいちど力なく立つ老人を見た。


「牢屋で神に、なれますか」


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