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Lily in Black  作者: 小佐内 美星
第六章 傷と罰
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第五十六話 .Lily

 リリーとアリスは、タグラスと共に外へ出る。タグラスは受付嬢に護衛を連れて行ってくださいと言われていたが、それは断っていた。

 国衛軍基地と港町の近く、人通りの少ない堤防に三人は立っている。夕陽のほとんどは沈み、水平線の先にもその姿は少ししか見えない。空にはもう闇が落ちそうになっていた。


「なんでアーロンだと思ったのか、聞かせてもらえるかしら」


 頭が冷えたのか、慌てた様子も怒っている様子もなく、タグラスがおもむろに聞く。リリーはタグラスに向かい合い、それに答える。


「あなたが国衛軍の二番目だからです」

「……それだけ?」


 リリーは頷く。背の高いタグラスはリリーを見下ろしながらくすりと笑うと、腕を組んで意味ありげな笑みを浮かべた。


「タグラスさんは国衛軍の中でも、とくに仕事に熱心だという話をよく聞きます。国衛軍と近衛兵はそんなに関わりがないのに、それでも話題になるくらいですからそうなんでしょう。会議の時に面と向かって話して、わたしもタグラスさんは優秀な人だと実感しました。二番目に収まるには、少しもったいないお方だと、わたしは思います。そしてそれは、あなたも思っていることです」


「そうね」リリーの話を聞きながら俯いてたタグラスは、垂れた髪の隙間から上目遣いにリリーを睨んだ。「実力主義、結果本位。国衛軍は厳しい環境だわ。父は国衛軍で若い頃から尽力したけど、ついに幹部に出世することは叶わなかった。捨てられた後に思ったのよ、父親に成し遂げられなかったことをやってやろうと。だから、文字通り頑張ったわよ。そしたら次第に評価されはじめて、当時総長をやっていた爺さんさえ消えれば国衛軍の顔になるというところまでいった。まさに秒読みだったんだけど、急に入ってきた男が、その爺さんを蹴り落とすようにして総長の座に咲いたわ」


「今の総長……、アーロンさんですね」


 タグラスゆっくりと頷いて、空を見上げた。


「彼と私の間には色んな差があったわ。今の話でも明確なのは、当時の隊長が勝手に降りるのを待った私と、待たずに蹴り落とした彼の行動の差よね。それが分かっていても、腹が立って仕方がなかった」

「でも、今はそうではないはずです。二人が一緒にいるのを何度か見たことがありますが、あなた方の間になにか敵意なんかがあるようには見えませんでした。それよりかはむしろ、心を許しているように」

「……そうね。色々あったのよ。でも、それは彼が私にこの傷をつけた理由にはならないわ」


 もはやリリーの前で隠すことはやめたのか、タグラスの開いた胸元には、その這うような傷跡が覗いている。


「ほかに……」リリーは言葉を探して、問いかける。「ほかにあなたより、上の人がいますか」


 タグラスは黙り込む。今になって、波の音が耳に届いてきた。

 シャーリィのことさえ好かなかったこの女性が、ふと現れて狙っていた地位を奪っていった者をそう簡単に許せるとは思わない。むしろ、もっと恨んでいてもおかしくはないのだ。でもそうではない。タグラスに傷を付けることを許されるのは、もうこの世には一人しかいない。

 シャーリィがさらわれてから、かなりの時間が経とうとしている。どうしようか。タグラスに対する疑いが拭えない以上、ここを離れるわけにはいかない。こうして少しずつ、言葉を交わして切り崩していく暇ももうない。かといって、この場で突然拘束することもできない。ここまで話をしたとしても、タグラスやアーロンが犯人である確証は、実はひとつもないのだ。あくまで、少なくとも、可能性があるというだけで。実行犯じゃなかったとしても、組織の中に犯人がいることは確かなのだから、なにか出てこればいい。それだけなのだ。この揺さぶりが無為に終わるかどうかは、今にかかっている。リリーは、タグラスを見上げた。


「もう、いい時間ね」

「え?」


 ため息混じりにタグラスが呟いたのは、リリーがそう考えていた時だった。

 波の音が耳に届く。揺れる水面は、もう闇夜と区別がつかなくなりそうだった。ふと、その波音に混じって、人の話し声と足音が聞こえた。誰かがこっちに近づいてくる。リリーが音のしたほうを見ると、そこには楽しそうに喋るサラとヘイリーがいる。

 そっちも気になるが、タグラスの様子が変だ。諦めたかのように肩を下ろしたかと思えば、気味の悪い笑みを浮かべる。リリーはふと、背中に寒気を感じた。それも凍りつくような。


「あら、あれ。あの子、あれじゃない?」

「……タグラスさん?」


 ヘイリーがこちらに気が付いて、手を振ってとことこと近づいてくる。サラはその後ろで、彼の姿を苦笑しながら見つめていた。リリーはその時、タグラスが小さく口にした言葉を聞き逃さなかった。


「あの子――ミカフィエルの子」


 波の音にかき消されそうな声を、リリーはしっかりと聞いた。呼吸が一瞬止まる。最初は、ターラか誰かから話を聞いているのかと思った。が、タグラスが口元を歪ませて「猫の子」と言った瞬間、リリーは口に泥を突っ込まれたような気持ち悪さに胸を襲われた。


「もうそろそろいいかしらね。私は十分、よくやったわ」感情に付いていけないリリーの横で、タグラスは無感情に呟く。「どうせあの人はもう戻ってこないし、このまま白を切り続けるのも、あなたには意味がなさそうね」


 鬱陶しいものを見るような視線を、リリーはタグラスに向けられる。心臓が音を立てて脈打ち、唇が乾いている。


「タグラスさん……? なに言ってるんですか」

「ねえ、ぼく?」


 タグラスはリリーを無視して、近づいてきたヘイリーに話しかける。リリーは焦燥感に見舞われた。彼が、ヘイリーがタグラスと話すのは、果てしなく危険だ。そうに違いないと、リリーの本能が警笛を鳴らしている。背中を冷や汗が伝う。出ようとしない声を絞り出すようにして、タグラスに叫ぶ。


「タグラスさん、あの人って誰です? 白を切るってどういう意味ですか……タグラスさん!」


 彼女は応えない。でもヘイリーに話しかけるのはやめない。


「可愛い子よね。女の子みたいで。きっと、首のない猫が似合うわ――」

「タグラス!」


 怒鳴り声が裏返る。


「いえ、実際に私は見たのよ」ヘイリーの笑顔が、闇夜に消えていく。そして、体が震えだす。なにが起きている?「真夜中、ミカフィエルで、たくさんの、首を切り落とされた猫の、死体の中から。あは、自分の猫を見つけ出して抱きかかえて名前を呼びながら泣き叫ぶこの子を――!」


 手が動く。リリーは自分よりも身長の高いタグラスの胸ぐらを力任せにつかみ、地面に叩きつけた。タグラスは一瞬苦痛を表情に浮かべて呻き声を出したが、すぐに笑みを浮かべる。


「どういうことですか! 話してください!」


 リリーは半分我を失って叫ぶ。髪を振り乱して、タグラスの肩を揺さぶりながら、何度も何度も叫ぶ。経験したことのないほど強い、恐ろしい感情が自分の中に芽生えていくのが分かる。その、反吐の出そうな感情を自覚しないように、叫ぶ。


「知ってることを全部話してください――シャーリィはどこです!」


 真夜中、猫を抱きかかえて、泣き叫ぶヘイリーの姿を見たというのだ、この女は。ヘイリーの知らない空白の時間を知っている。彼の知らない猫の行方を知っている。タグラスは知っている。

 その時、堤防に笑い声が響いた。リリーの動作が止まる。アリスも、サラも、ヘイリーも、時が止まったかのように呆然と立ち尽くしていた。笑っているのは、タグラスだ。地面に寝転がったまま、まるで、喜劇かなにかでも見たかのように、腹を抱えて笑っている。リリーは唖然として、タグラスの上から離れる。何色とも形容し難い闇夜に、笑い声だけが存在している。

 タグラスはひとしきり笑った。それでもまだ少し笑いながら、ゆっくりと深呼吸をする。その後の彼女の顔は、あたかも大きな仕事をやりきった後のように、清々しさを帯びていた。


「あなた、近衛兵にいるのが本当にもったいないわ。そう……この傷はつけたのは、彼よ。私はアーロンのやることに、惚れているのよ」

「なんで今になって……」

「彼が私に命じた最後の命令はね、彼が、あの子をあなた達に見つからないところへ隠すまで時間稼ぎをすること。……そして告げることよ。本当は女王様に直接言うつもりだったけれど、もうあなた達でもいいわ――」


 タグラスは一度言葉を切って、息を吸う。そして、まるで今までの口調を忘れてしまったかのように、事務的に告げた。




「――我々、神聖エール教国は、マクナイル王家姫君、シャーリィ・シーワイトを人質として預かった。生きて無事に返してほしければ、マクナイル国民およびミカフィエル国民をエール教に入信するものとし、我々の支配下に治まれ。返事は待つが――」




「――期限は、三日」


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