第四十九話 .Lily
「リリー、大丈夫?」
アリスの手が肩に触れる。リリーはこくりと頷いた。アリスがいるという安心感は、どんな状況にあっても変わらない。冷静になって考えれば、方法は一つしかないのである。
一息つこうと何となく辺りを見渡すと、ターラの後ろに立つサラと目が合った。特に意識していたわけじゃないのに、何故かお互い目をぱちぱちとさせる。どうしたのだろうと目を合わせ続けていると、珍しく動揺したように見えた。
「あの、リリー様?」
「は、はい」
「……なにか、分かりましたか」
つい最近も同じようにサラが言いにくそうにすることはあった。彼女ははっきりと物事を述べる人だが、しかし、事自分の意見や自分の話となるとへりくだってしまう。この質問も、恐らくそれだ。
「はい。少しだけ」
「……そうですか」
「サラさん?」
「……もしわたくしが、もう少し早く来ていればこうはならなかったのでしょうか」
そういうことか、と納得する。何らかの責任を感じてしまっているのだろう。しかし、どうだろうか。サラの問いにすぐ答えることができなかった。
「これを一番最初に発見したのは……」
「わたくしです」
サラが一層声を小さくして答える。
「……何時頃に」
「八時前くらいだったかと思います。姫様は起きるといつも、どんな用事があっても王室にいらっしゃって、女王様がたにご挨拶をするのです。しかし今日は普段の時間になってもいらっしゃらないので不思議に思っていれば、そういえばいつも姫様を起こしていたのは執事長だったと思いつき、ここに来てみたら、こんな風に。すみません……」
サラが深々と頭を下げ、リリーは狼狽える。八時に来てこれであったのならば、サラがここにいつ来たかは全く問題じゃないのだ。恐らくそれは六時でも変わらなかったはずだ。そう言って落ち着かせてあげようと思った束の間、別の方から大きく、
「申し訳ありません!」
と声が上がる。
「メイド長ではなく、私の責任です。執事長がああなってしまい、このお役目は私のものでした。しかし、突然行っても驚かせてしまうかと思い、また、どのようにして姫様を起こしていたのかも分かりませんでしたから、目が覚めてからご挨拶しようと思っていたのです。もしもっと早く気が付いていればよかったと言うのなら、それはメイド長の責任ではありません!」
副執事長のエイベルだった。老年の多いマクナイル城執事の中では、彼は比較的若い青年であり、その活力も他の比ではない。サラとこのエイベルが同じように頭を下げていて、ターラは狼狽えたままで、ヘレナは今にも泣きそうな顔をしている。近衛兵のボニーは不安そうな顔で事の顛末を見守っていて、アリスは顔を俯かせている。もしこの混乱した雰囲気に当てられて、リリーも冷静でいることをやめてしまえば、なにも解決しなくなってしまう気がした。だから、犯人に対する怒りをできる限り抑えようと努力する。ましてや誰かに責任を押し付けようとすることもない。
「ふたりとも、どうか顔を上げてください。おふたりが何時にここに来たのかは、ほとんど関係ありません。これは多分、夜に行われたことです」
朝礼が行われているあいだ城内に近衛兵はいなくなるわけだが、その時間帯ならメイドが代わりにせっせと城内を走り回っているはずだ。それをかいくぐってシャーリィの部屋に忍び込み、窓ガラスを割ったり抵抗するシャーリィを抑え付け、さらにそれを連れ去るなんてことはできない。だからもう、朝になってしまえば犯行は不可能なのだ。
だが一方で、夜であっても犯行が不可能な点は変わりなかった。夜勤の近衛兵が城内を闊歩しているし、三階には二人の近衛兵が毎晩立っている。
稚拙な偽装、犯人はきっと馬鹿に違いないと思った所まではよかった。けれど、その馬鹿がどうやって犯行に及んだのかがリリーを悩ませていた。バルコニーから入ることができない以上、帰りは無理して縄を伝っていったとしても、来る時はこの廊下を通ってくるしかないのだ。確かに、部屋の中から外には音が漏れにくくなっているが、シャーリィはきっと大声で助けを呼んだだろう。それでも誰も気が付かなかったというのはおかしい。近衛兵も共犯だったと考えればそれは不思議ではなくなるかもしれないが、その場合二人の近衛兵が仲間である必要がある。もし犯人がそのように二人であれば多少苦労するかもしれないが、三人以上いたならば、シャーリィはナイフを使って抵抗する暇はなかったはずだし、犯人もナイフを使わずにシャーリィを攫えた。近衛兵が先に鎮圧されていた可能性はないだろう。今日の朝礼は、ミアを除いて全員いたのだから。
「リリー、夜はどうだったの? 本当に何もなかった?」
俯いていたアリスがリリーを見て、改めて同じ質問をする。
……なにもなかった、はずだ。ヘレナと王室に来て、シャーリィは確かに機嫌が悪かったが、それとこれとは関係ない。ターラとヘレナが先に寝室に行き、その後すぐに、リリーとシャーリィの二人も外へ出た。サラは恐らく、その後に出たのだろう。リリーとシャーリィの二人は廊下を歩き、部屋へと向かった。静かな廊下を、二人だけの廊下を、無言で――。
「あ――」
「え?」
脳天を突かれたような気がした。
「誰もいなかったんだ……」
聞き取れなかったのか、アリスがリリーを怪訝そうに覗き込む。リリーはアリスを縋るように見つめた。なんてことだろう、そうだ。なんで気づかなかったんだろう。自分に対する失望にも似た感情が、激流のように押し寄せてくる。口元が、足が震える。
「そうだ、やけに静かだったんだよ、昨日は! ああ、なんで気づかなかったんだろう! 昨日の夜、ここには誰もいなかった! わたしたち以外、誰も! ここは完全に無防備だったの!」
叫びにも似たリリーの声に、アリスがたじろいだ。
「い、いや」動揺するリリーの肩を、アリスががっちりと掴む。「そんなはずはないよ、リリー。夜勤がいるでしょ」
「いなかったんだって!」
肩を掴むアリスの手をどけ、リリーは落ち着き無く部屋の中を行ったり来たりする。
「夜勤の近衛兵はここにはいなかった。犯人は窓から入ったんでも、窓から出ていったんでもない。堂々と扉から入って扉から出て行ったんだ、シャーリィを連れて!」
アリスが忙しなく動き回るリリーの腕を捕まえる。
「夜勤は毎晩いる。ここにも置かれてる。昨日に限っていないなんてことはないよ。ここの警備を担当してた人が犯人ってこと?」
リリーは驚きに目を見開かせたまま、アリスを顧みた。
「そんなのわかんないよ」やることは決まっていた。「みんなを集めなきゃ」
頷いてから、アリスがボニーを呼ぶ。
「ボニー、夜間勤務の近衛兵を集めてきてくれる? 一人じゃ大変だと思うから、二人くらいで、できるだけ急いで」
ボニーは姿勢を正し、アリスを見てから走っていった。




