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Lily in Black  作者: 小佐内 美星
第六章 傷と罰
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第四十八話 .Lily

「どしたの」

「ちょっと、きて」


 アリスはそう言うと、先に歩きだす。リリーは従うほかなく、多少早足の彼女に着いていく。城内の廊下を行き、階段を登り、二階の中腹に差し掛かった時に、アリスがぽつりとリリーに問う。


「昨日、姫さんと会ったって?」

「え、うん。夜に」

「なんか、様子が変だったとか、なかった?」


 シャーリィの様子……? なんでそんなことを聞くのだろうか。リリーは平静を装いつつも、内心気が気でなかった。もしや昨晩の、シャーリィを罵った上で襲いかけたことが知られてしまったのではないか。そういう雰囲気を醸し出しておいて、逃げ出した小心者のリリーに、シャーリィが怒ってターラかヘレナに言ってしまったのかもしれない――と思ったが、シャーリィはそんな事をしたりはしない。であれば、いまの質問には知っていることだけ答えればいいのだろう。


「特には、なかったと思う。お爺のことは気に病んでいたかもしれないけど」

「なんにも気づかなかった?」

「……うん」


 あれ以外は、なにもなかった。アリスは振り向きもせず、立ち止まりもせずに歩いて行く。そこでようやく、王室やシャーリィの部屋がある三階に向かっているのだと気がつく。三階への階段を登っている時、アリスがため息を吐くのが分かった。そして、聞こえないほど小さくぼやく。


「リリーが気づかなかったなら、なおさら恐ろしいわ……」


 もはやただ事でないことには気が付いていたけれど、階段を登りきって廊下に数人の影が見えた時には、恐らくとんでもないことが起こったんじゃないかと思い始めた。そこには見慣れた顔ぶれと見慣れぬ顔ぶれがあった。ターラにヘレナ、サラ。近衛兵のボニーと、あれは――副執事長のエイベルだっただろうか。そして彼らの表情は総じて、深刻になっている。


 階段を登ってきたアリスとリリーに気がついたターラは「ああ!」と声を上げる。

「リリー、どうしよう!」と。


 その表情はひどく青褪めていて、動揺も窺い知れる。心臓がまるで縫い糸で締め付けられるように痛む。さっきのアリスの質問といい、ターラや皆の表情といい、場にある空気も、開いたままのシャーリィの部屋の扉も。


 リリーは運命を信じない。神もまた、信じない。何故なら、こういうことが普通に起こり得てしまうからだ。もし神様がいるのであれば、この世に起こり得るあらゆる悲劇を止めることはできないだろうか。信仰心がないから救われないのだろうか。信じていたら、起こらなかった? いや、そんなはずはない。


「なにこれ」


 開かれた扉からシャーリィの部屋を見た時、ひどく乾いた声が口から漏れた。誰かが息を呑む音。リリーは拳を握り締めた。


 まず目に入ったのは割れた窓ガラス。昨晩リリーたちに向こう側から月光を届けていた大きな窓だ。それが割られていた。そこから手を伸ばせば恐らく内側の鍵を開けられるだろう。窓の向こう側にはバルコニーがある。リリーはそこまで出て、手すりから身を乗り出して下を覗いた。


「リリー! 危ないから!」


 落ちたらひとたまりもない。それもそのはず、城の裏側は崖になっているのだ。眼下には広大な森が広がっている。


「この下は見ましたか?」

「ええ、もちろん。でも、なにもなかったと」


 バルコニーの手すりには、驚いたことに太い縄がくくりつけられていた。部屋を顧みる。これで窓を割ったのか、大きな石が窓から離れたところに落ちている。そして、そのすぐそこにある――血痕、ナイフ。さらに見渡すと、乱れたベッドに倒れた本棚がある

「一応聞いてもいいですか」ターラを見る。「シャーリィは……」

「いないの」


 ターラが髪の毛をくしゃりと鷲掴みにして悔しさに顔を歪ませる。分かっていたことだ。分かっていたことだが、リリーは自分が動揺するのを抑えられなかった。


 でも、でも。動揺するだけなら簡単だろう。リリーは頭を振り、落ちているナイフに目をやった。そこに、数本、シャーリィのものと思しき金色の髪の毛が散らばっている。目に浮かんだのは、シャーリィが誰かに、そのきれいな髪の毛を力任せに引っ張られる光景だ。リリーは唇を噛んで、怒りをすんでのところで抑える。


 もし。この部屋の惨状を見たままに推測するのであれば、こうなるだろう


 昨夜、リリーが部屋に戻ってからすぐか、あるいはしばらく後、バルコニーに現れた何者かが大きな石を部屋に向かって投げ、窓ガラスを割りこの部屋に侵入した。恐らく、あの後で起きていたであろうシャーリィはそれに気が付き、必死に抵抗をする。床に落ちているナイフには城の紋章が入っているが、この紋章の入ったナイフは城内で食事用にも使われているし、昔からの習わしで王族は――ターラもヘレナもシャーリィも――これを護身用に持っている。だから、この血痕とナイフがどちらのものかは断定ができない。しかし、激しいやり取りがあったことには違いがなかった。ベッドも本棚もそれを物語っている。やがて犯人はシャーリィを取り押さえ、縄を伝って下へと逃げていく――。


 リリーは失笑した。


 これはあくまでも、部屋の状況を鵜呑みにして推測したならば出来上がる物語だ。もしこんな偽装で誰かの目を欺けると思ったのなら、犯人は馬鹿か阿呆か子供である。


 まず、縄を下からバルコニーに取り付けることができない。そして結び目はあろうことか、一度くるんと巻いただけの安易なものなのだ。次に、窓から離れて転がっている大きな石。窓からバルコニーの柵までは二メートルもない。この狭い場所で、窓ガラスを何かで割ろうとしたとき、わざわざ投げて割るだろうか? まさか。殴りつければ割れるのだ。そんなことはしないだろう。さらに割った後は、自分が犯人なら、バルコニーから外に捨てるか、その場に落とす。そして最後、犯人はバルコニーから逃げるほかない。何故なら廊下には、城中には、夜勤の近衛兵が闊歩しているからだ。だがシャーリィを抱えて、この便りない縄一本を握って逃げることができるだろうか? 相当な腕力の持ち主でもなければ不可能だし、そもそも、やはり下からバルコニーに縄をくくりつけられないという時点で何もかも不可能なのだ――。


 ――そこでリリーの思考が急停止する。何もかもが不可能だったならば、ではどうやって犯人はここに……?


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