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Lily in Black  作者: 小佐内 美星
第六章 傷と罰
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第四十七話 .Lily

 早朝から蝉の鳴く声を聞いて、いよいよ夏も近づいてきたと感じる。じりじりと身を焼くような日射しに当てられ、制服の下の薄着が背中に張り付いて気持ちが悪い。居心地の悪さはとんでもないが、表情と態度だけは毅然としたままでいなければならない。


 数日ぶりの朝礼に出ていた。近衛兵が城前の広場に集まり、軽い挨拶をする時間だ。ここ最近というもの、本来の業務とは程遠いことばかりをしていた。そんなに長い間だったとは思わないが、ずいぶん久しぶりな感じがする。


 人数確認は、ミアだけがいないことが確認された。「じゃあ、各自体調に気をつけてください」という感じの簡単な挨拶の後、近衛兵たちは持ち場へと向っていく。その姿を見ながら、アリスは横に留まり、リリーも同じようにその場を動かなかった。


「……もう大丈夫?」


 広々とした城の広場で、二人はぽつんと城下町の向こう側を見ながら立っている。高台にあるこのお城からは、海まで望める。


 昨日起こった出来事は、脳裡に鮮明な形で残っているけれど、その一方で何故か薄くもやがかかっているような気もしている。忘れようとしているのか、ここにきてあの事実を否定しようとしているのかは分からない。でも、目の前でお爺が死んだあの時の実感が、嘘か、夢か、幻想のように思えてしまっていた。時が経つにつれて、恐らくその感覚は増していくだろう。シャーリィは『実感がない』と言っていた。それは見ていないからだとも。どうやら、見ていたとしても変わらないようだ。何かの間違いであって欲しいという感情は、何かの間違いだったんじゃないかという感情に変わる。お爺が死んだ。しっかりと理解している。けれどふとした瞬間に間違って呼びかけてしまうことがあるんじゃないかと思って、恐ろしくなった。


「昨日は情けない格好ばっか見せちゃった。色んな人に、アリスにも」


 吐き捨てると、アリスはリリーの肩を軽く叩いて笑った。


「あはは、リリーにかっこよさなんて、誰も求めてないよ」

「うわ、ひっどい」


 むっとそっぽを向くと、アリスは困ったように笑いながら、リリーの頭に手を置く。


「ま、無理しないでね」


 そう言い残すと、アリスは城へと戻っていく。リリーは触られた頭に手をやって、彼女の後ろ姿を見送る。心許ないような、寂しいような感情が込み上げてくる。アリスが横にいると落ち着く。なにからでも、恐怖からでも守ってくれる、頼りたくなる存在だから。


 人の往来が始まり、足音と蝉時雨が混在する城の広場。いつまでも甘えてはいられないと、リリーは自分の頬を叩いた。城下へと足を向ける。


 この数日は忙しかった。目まぐるしい程に忙しく、考えることばかりで精神的にも身体的にも厳しい期間だった。仕事をさぼってシャーリィと遊びに行くようなこともあったが、猫事件を初め、休みをもらって考え事に一日を費やしたり、ミカフィエルに行ったり、番兵に話を聞きに行ったり、会議に出たり。本来の業務そっちのけの数日だったけれど、今日は久しぶりにその通常業務を行うのだ。

 近衛兵の仕事というのは、その大体が一定の位置を交代しながら周囲を見張ることでああるが、数人は決められた地区の巡回も行う必要がある。リリーはそのうちの一人で、事件や事故などの危険がないか見張って回りつつ、さぼっている近衛兵がいないかなどを確認する。どちらも滅多にないことではあるが、重要な役割であることに違いはない。


 リリーは歩く。見慣れた風景だ。街を闊歩する野良猫を見つけては、平和が戻ってきたのかなと思ってしまう。一連の事件には、まだ解決していないことがたくさんある。とはいえ、少なくとも自分にできることはもうないだろう。これからはまた、この仕事をこなさねばならない。


 日射しは相も変わらず強いが、すーっと頬を撫でて去っていく風は爽やかで優しく、流した汗を冷やしていく。青空の下でそれに心地よさを感じながら、少しばかり清々しい気持ちになる。制服で歩いていると、挨拶をしてくれる人も少なくない。「リリーちゃん、久しぶりだね」なんて声をかけてくれる人もいた。笑顔の彼らに、リリーも同じように笑顔で答えた。そういえば、最近は朝の散歩もしていなかった。これからは今までの日常に戻っていくのだ。


 そうして賑わう城下町の大通りを歩いていると、ふいに後ろからリリーを呼ぶ声がした。最初は気のせいかと思うくらい小さく聞こえたけれど、二回目が聞こえた時点で自分を呼んだのが誰であるのかも分かった。


「リリーちゃーんっ」


 大きな声でリリーを呼んでいる彼女は、リリーと同じ近衛兵の制服を身に着け、満面の笑みで手を振りながら駆け寄ってくる。リリーは立ち止まり、彼女との挨拶に構える。構えると言っても、なんてことはない。リリーが両手を上げ、彼女が駆け寄ってきた勢いでそれに手を合わせてくるといういつものやり取りである。


 頭の横で二つに縛った長い銀髪をぴょこぴょこと跳ねさせ、太陽のようににこにこと笑う彼女はエリーゼという、リリーと同い年の女の子だ。


「久しぶり、エリーゼ。どうかした?」

「久しぶり! 元気してた?」


 エリーゼはにこにこと笑ったまま、リリーの両手をぎゅっと握る。こういうことを恥ずかしげもなくできるのが、彼女の気持ちいいところで、みなに好かれる理由なのだろう。彼女はこうして気さくなだけじゃなく、アリスも一目置くような優秀な近衛兵なのだ。一体この笑顔の裏でなにを考えているのか、リリーはとても気になる。


「エリーゼは元気そうだね」

「それだけが取り柄だよー。リリーちゃん最近忙しそうだったね。あいや、いつも忙しそだとは思ってたけどさ、最近は特に!」

「そうだね、最近は忙しかった。その間のわたしの仕事って、もしかしてエリーゼがやってくれてた?」

「そうそう、これもこれで忙し――あっ!」言いかけていたエリーゼが、掌にぽんと拳を打つ。「隊長が呼んでたんだった。リリーちゃんにすぐに来てって! 危うく長話しちゃうところだったよー」


 彼女はリリーの方をばしばし叩きながらそう言ってリリーの身体を城の方へ向ける。


「仕事は任せて!」

「え、あ、ごめんよろしく!」


 リリーは押された勢いで、軽く走りながら城へと向かう。朝礼が終わった後にアリスからお呼びが掛かるのは珍しい。リリーはそう思いながら、すこしうんざりした気持ちでいた。いや、もし何か用事があったならさっき言って欲しかった。アリスに会えるのは喜ばしいことだけれど、この暑さであの階段を登るのは、どうしたって気が滅入る。呻きつつ階段を登りながら、そういえば運動もしばらくしていなかったことに気がつく。ほんの数日前までは、近衛兵大会に向けて、毎日走ったり体操をしたりとしていたのだが、少し間が空くだけでこの体たらくである。


 階段を登りきり、なんとか城の前へと辿り着く。制服の下では多分、肌着が汗で大変なことになっている。


「リリー」


 リリーが気がつく前に、アリスに見つかる。文句の一言でも冗談めかして言ってやろうかというリリーの企みは、アリスの表情を見て一瞬で掻き消えた。なにかがあったのだろうと察したのだ。彼女は不可解な顔をしていた。痛みを堪えるような顔をしたかと思えば、助けを求めるような視線を寄越す。

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