第四十六話 .Lily
「ああっ!」
更衣室で着替えてから部屋に戻るなり、ベッドに飛び込んで髪の毛をぐしゃぐしゃにした。自分の不甲斐なさというか、意気地のなさが情けなく、うぅーと変なうめき声を漏らす。
その一方で、一線を超えなくてよかったと思っている自分もいる。
恐らく。恐らくわたしは、近衛兵をやめられないだろう。ターラに最初「近衛兵をやめる気はないか」と聞かれた時は、まるで突き飛ばされたような感じがした。あまりにも突然のことだったし、今まで応援してくれていたこととかも全部嘘だったのかという的外れの考えに支配されてしまったのだ。だから、自分の資質とか考えの甘さについてまで考え出した。やめてしまおうかと。でもターラ自身が言っていたように、彼女はリリーを否定する気は毛頭ないはずなのだ。単に、リリーの身の危険や精神的な部分を案じてくれただけだった。その心配はありがたい。でも、やはりやめないだろう。簡単にやめるには、思い出がありすぎる。この決心が同時に、シャーリィと今後結ばれない事を意味していたとしても、後悔はしないだろう。きっと。今後また似たようなことで悩んで、また同じようにこうして自己解決することもあるのだろう。シャーリィは怒っているだろうか、呆れているだろうか。次に会った時になにを言われてもしょうがないな、と諦めるようにため息をついた。
ベッドから這い上がり、勿体無くてまだ使っていなかった日記帳を手に取る。机に向かって座り、それを眺めた。シャーリィに買ってもらった日記帳。表紙には小さな花の絵がちりばめられていて、薄い朱色の表紙が目を引く。その表紙を丁寧に開くと、ペンを右手に握る。右上に日付を書き、一文字ずつ書き入れていく。今まで習慣づけていた日記。日記帳をなくなってから、しばらく放置してしまっていた。結局、どうして無くなったのかは分からないままだ。
ペン先が左から右へと走っていくと、螺旋に沿った文字が頁を埋めていく。今日のことは、書くのがつらかった。しかし、そういう日こそ残しておかねばならないのだろうと思う。風化されていい記憶などないのだ。つらかろうと、喜ばしかろうと。
ペンを置いて、背中を反らす。一息ついて頁を見ると、空白だった紙面は文字で埋まっている。こんなものでいいだろう。そろそろ寝ようと立ち上がり、ベッドに向かおうとしたところで、日記帳を隠さなければと思い出し、机に戻ろうとして、今度はすぐに立ち止まった。
ふと、疑問が頭をよぎる。部屋から日記帳が消えたこともおかしな話ではあるが、自分は何故、日記帳を押入れの奥に隠していたのだろう。部屋に誰かを入れることはほとんどないし、もし見られたくないのなら、隠すのは招待した時だけでいいはずだ。
ああ……この感じ。
夕食の記憶が曖昧になっていたときと同じ感覚だ。一部分が剥がれてしまっている絵画を見ているときのような、気持ちの悪い感情。
なぜいつも、日記帳を、それも入念に隠していたのだろう?




