第三十七話 .Alice
アリスはちらとリリーを見るが、表情は強張り額には汗をかいている。痛々しいまでに緊張している彼女が、なにか発言をできる状態には見えなかった。話の内容はきちんと聞こえているのだろうか。リリーは頭がいい。口もよく回る。そして、人に対して狡猾だ。過去の経験から人の表情を読み取る癖を付けた。しかしそれは、主に一対一の対面でこそ発揮される。沢山の人に囲まれて、その中でどうこう言うというのは、彼女がもっとも苦手とするところだ。好奇の目で注目されたくない。それは、彼女が昔髪の毛のことで言われていたのにも原因はあるのだろう。
唾を飲み込む。仕方ない。アリスは立ち上がった。本来であれば口の回るリリーに話してもらいたい。実際、今日はそのためにリリーに来てもらった。しかし、だからといってこの状態で無理をさせて、かえって不利な状況になっても嬉しくはない。
アーロンがこちらを睨みつけている。立ち上がっている二人の間には、肌を刺すような空気があった。アリスは意を決し、口を開く。
「我々の当面の問題は、皆さんご存知の通り『猫事件』です。しかし、その前にこちらから提案させていただきたいことがあります」
女王ターラが首をかしげる。
「なに?」
「ミカフィエル共和国と、また一つの国に戻ることです」
アリスが端的に言い放つと、ざわっと会議室が小さくどよめいた。
「合併するということか……? 理由が掴めんな」
そう言ったのは準国事隊の隊長、ヘイデンだった。白髭を伸ばし、小さな丸眼鏡をかけ、顔の彫りが深い初老の男。リリーの父とともに座っている。準国事隊と聞いて思い浮かぶのは、やはり優秀な集団ということだろう。平均的な知能で、彼らに勝る者はいない。目を付けられたものは何もかも丸裸になってしまうという印象がある。それを束ねるこの男は、やはり只者ではないのだろう。睡眠時間が四時間もないとアリスは聞いたことがある。その倍も寝ている自分がおかしいのか、彼がおかしいのかは分からない。
彼は普段の会議では、あまり喋ることは無い。基本的には横のカールが準国事隊の代表として発言している。しかしそのヘイデンが、アリスに目を向けた。
アリスは、話術に自信がない。会話に駆け引きがあるということが、想像できない。左隣にいるサラももちろんそうだ。だからこそ、今日はリリーに来てもらった。……しかし、今の彼女の状態では、サラや自分とどっこいどっこいだ。アリスは考える。二進も三進も行かないのであれば、当たってどうこうするしかない。
「それは一一」
「私も納得致しかねます」
言いかけたところでしゃがれた声がそれを邪魔した。発言したのは王妃の横に座っているテッド一一お爺と呼ばれる執事長だ。
自分でやるしかないと決心し口を開いたところに横槍を刺され、アリスは内心で舌を打つ。とはいえ、この展開は――リリーが緊張で凝り固まっていること以外は――リリーの想像したシナリオ通りに動いている。アリスはリリーの横顔を見た。
「私も、きちんとした理由なしにそのような提案は認められないわ、アリス」
女王が言う。
「もちろんです」
この国の弱点は、我々やメイド、執事のような大した身分でないものに、国の方向を決める会議での発言権を認めてしまっていることだ、とリリーは言った。それは女王の目指す国のあり方に近づくものの、やはり問題は多い。その問題の一つを、利用するのだ、と。
「いま、このような状況にあるマクナイルが他の国家を抱えることが、なにか得になることがあるのだろうか? 損失ばかりが浮かぶ」
「全くその通りです。せっかく王国は平和だと言うのに」
ヘイデンとテッドが口々に言うので、アリスは話したいのに口をぱくぱくさせるしかない。勢いに任せてしまうのがいいのか、それとも慎重にいくのがよいのか、分からなくなっていく。いずれにしても、いま、我々には敵しかいない。
「……平和」
隣からぼそっと声が聞こえた。ターラがそれに反応する。
「リリー? なんて言ったの?」
全員の視線が、リリーに集まる。彼女は恐る恐る顔を上げて、絞るように訥々と言った。
「いまその平和が、脅かされているのではないですか」




