第四話 .Lily
いつも通り平和だったある日のことである。街の外れのゴミ捨て場で、悲鳴が響いた。農家の主婦によって、猫の死体が発見されたのだ。それがまさに、いま目の前にあるような首を切り落とされたような殺され方をしたもので、その発見を皮切りにして、茂みや森の奥など、普段人目につかないような場所で、残酷な死に方をした猫の死体が見つかっていった。
リリーはその時のことを思い出しながら、もう一度深呼吸した。こういう時、恐怖や怒りのような感情は思考の邪魔にしかならない。
「すいません、もう一回失礼します」猫の死体にかかった布に手を伸ばしかけて、苦い顔をしているアリスに目をやる。「ごめんアリス、申し訳ないけど、向こうの人たちからこっちを見えないようにしてくれる?」
アリスははっとして、リリーの言うとおりにしてくれる。それを確認してから、リリーはもう一度中を覗き込んだ。さっき見たものと変わりはない。数はちょうど五匹。首から上がないことは共通しているが、断面の角度が様々だし、小さくはあるが骨にひびが入っている。包丁やナイフではだめだ。斧かなにか、重いもので一思いにやられている。
リリーは布を一旦戻して、集まっている人々のほうに問いかける。
「すみません、誰か、大きめな布の袋は持っていませんか。お返しできませんが、どなたかお優しい方……」
リリーが言うと、我先にと人々が家から布袋を持ってくる。そのうちからちょうどいいものを受け取ろうとして、それを持ってきた男の人がひょいとリリーの届かないところへ袋を持ち上げた。
「おっとリリーちゃん」
「あの……」
背伸びをして手を伸ばすが、男の身長には敵わなかった。不服の表情で睨みつけると、彼は不敵に笑う。
「なにがあったか教えてくれよ。それが条件だ。ありゃなんだ?」
……我々天使は、事件そのものに対する耐性がないに等しい。死体なんてもってのほかだ。準国事隊や国衛軍の人々なら死体を見ることもあるだろう。何らかの事故に巻き込まれた人や、単純に息を引き取った方々のものを多く見る機会があるのだから。一方で、近衛兵や国民に関してはそうではない。
今も彼らはすぐそこで何があったのか教えろと騒いでいるが、きっと何かの催しだと思っているに違いない。実際に見せてみたら、彼らのほとんどは卒倒するか逃げるか泣き出すかだ。怒りだすかもしれない。
「大量の――」
「大量の?」
大衆がしんと静まり返って、リリーの次の言葉を待つ。リリーは努めて神妙な面持ちで、重々しく宣言した。
「排泄物です」
「なんだよ!」
芝居さながらに両手を上げて肩をすくめた男に続いて、大衆に落胆の色が広がっていく。大量の排泄物にがっかりした人々が一人また一人と散っていき。辺りはすこしばかり静かになった。
「袋、ありがたくちょうだいしますね」
「ああ、今度お礼してくれよ。デートで許してやる」
「ああ、いいですね。お兄さんはデートの相手、わたしで嬉しいですね。わたし、裁判を見に行きたいです」
「…………」
袋をくれた男まで去っていくと、リリーはまだ少しばかり残っている人々から見えないよう、慎重に、袋に首から上のない猫を入れていく作業に入った。
「おいおい……ばかと天才は紙一重ってのはほんとうだな、アリスちゃん」
「私はこういう時のリリーがこの世でいちばん怖いです」
「同感だな。で、それにはどういう意味があるんだ?」
死体を入れ終え、リリーはそれを持ち上げる。最初は入り口の部分を握って数歩歩き、次は肩に担いで同じように歩く。両手で持つ、抱き抱える、肩から下げる、様々な方法で同じことを繰り返した後、それを順隊の男に手渡す。
「もう大丈夫です、持ち帰ってください」
「ああ、ただ分かったことがあれば教えてもらう。今回ばかりはいつもの『秘密です』じゃ困っちまう。可愛い顔で言ったってだめだぜ」
「分かってますよ。いくら首から上がないとは言っても、猫なら頭の占める重さは人間のように極端ではありません。胴体だけの猫五匹なら米俵半分くらいの重さかと考えましたが、やはりそのくらいですね。子供、あるいは非力な女性には運べないでしょう」
「多少工夫すれば難しくないんじゃないか?」
「はい、一つずつ潰していきましょう」リリーは人差し指を立て、彼らに説明していく。アリスも順隊の彼も興味深い顔でリリーのことを見ている。「まず死体の体表面には引きずられたような跡はありませんでした。仮に袋の中であったとしても、相当短い距離ならともかく、重さがあるので引きずられれば毛が抜けたり皮膚が禿げたりするでしょう。長い距離を引きずって運んだということはありません。それに、地面に跡が付くのも避けたいでしょう。そして、一匹ずつ運んだ可能性もありません。死体の様子を思い出してほしいんですが、全て丸くなった状態で硬直していましたよね。いまわたしが手渡したような袋に詰め込んで、一度に運ぶためだと思います、昨晩は雨でしたからね。ちなみに、ここに死体が置かれたのは発見から二時間以上前、四十時間以内です」
「どうして?」
アリスが問う。
「気温や環境にもよるけど、この時期ならそのくらいの時間で間違いなく死後硬直する。今朝発見されたわけだから置かれたのは確実に夜中。昼勤は城下を常に徘徊してるけど、夜勤は三時間に一回と決めてる。ミアが走って帰ってきたのは七時十分頃。つまり四時から七時の間が犯行期間。そして雨が上がる。この詳しい時間は、チェリさんにでも聞こう。いつ猫に手をかけたかは四十時間以内ということしか分からないけれど、それはあまり問題ではないと思う。つまり絞られる犯人像は――」
「あー待ってくれ! 俺にも順隊の面目ってものがある! 要するに、犯人は子供や非力なものではないな? 袋に五匹まとめて運ぶってことは、おそらく住処は離れている。もし近場なら、一匹ずつ運べる。そうだな? 犯人はつまり、米俵半分ほどの重さを持ってそこそこの距離を移動する体力や力がある者だ。大人の男と考えるのが妥当だな」
「妥当といえば妥当ですが、まだ消えていない選択肢があります。複数犯です。子供であろうと非力な人であろうと、二人がかりあるいは三人がかりなら運ぶ事は可能です。とまあ色々言いましたが、準隊のおじさん、まだまだ甘いですね」
リリーがふふんと胸を張って挑発すると、準隊の男は唇を突き出し不満を露わにした。
「なんだい、教えてくれよ」
「昨晩の雨が功を奏しましたね。足跡がわずかですが残ってるんですよ」
そう言うと、今度は彼がリリーをばかにするようにして笑った。
「確かにうまいこと残っちゃいるが、数が多すぎる」
実際、彼の言うとおり石畳の上にはたくさんの足跡が付いていた。雨で地面がぬかるみそれを踏んだ足跡が、雨に流されず乾燥して残っているのだ。もちろんそこにはぬかるみを踏んだリリーたちのものもある。けれど、数が多かろうと問題ではない。リリーはそのうちの一つを指差す。
「アリス、この足跡を踏んでみてくれる?」
アリスは言われたとおり、まずはかかとの位置を合わせたあと、ゆっくりとそれに重ねていく。
「あ、ぴったり」
「おじさんはこれ」
「……ほんとうだな」
「そして、これがわたし」
この場にいる三人の足跡が判明する。すると今度見えてくるのは、他にもさらに三人分の足跡があるということだった。
「この小さな足跡はミアのかな。城の方角を向いたつま先だけのものがあるから、ここから走って行ったんだと思う。つまりここには誰のものか判別できない足跡が二人分ある。それを見るに、子供のものは間違いなく存在しない。そして、女性のものも。つまり犯人は確実に大人の男。一人か二人かはここからじゃ分からないけど」
アリスが小さく感嘆の声をあげる。
「感心した。でもそれなら、わざわざ袋の重さを確認してみる必要はなかったんじゃない?」
「本当ならそうなんだけどね。もしここに雪の上にできるような完璧な足跡があれば、犯人の身長から体重まで推理できたんだけど、ここにあるのはそこまで鮮明じゃない。大人の男ということくらいしか分からないから、袋の重さを確認して健康体かどうかくらいは調べたかったんだよ」
犯人像がおおまかに掴めたところで、城の方から知っている顔が降りてくるのが見えた。その彼はリリーたちに気がつくと、中年男性然とした小太りの体を弾ませて小走りで近づいてくる。
「ああ、ここにおられましたか」
「どうしたの、お爺」
アリスがその彼にそっけなく問うと、お爺と呼ばれたその男は厳しい表情をした。彼はマクナイル城で執事長を勤めているいわばお偉い様だ。シャーリィの世話役もしており、昔からシャーリィと仲の良かったリリーとの面識も深い。身長も高ければ顔の彫りも深いので厳格な印象を与えるが、その印象に違わず礼儀や作法には厳しく、以前のリリーもよく叱られたものだった。とは言うものの城の中では「お爺」と呼ばれてそれなりに人望がある。
「姫様の護衛の仕事をお忘れですかな、アリス様」
「いやあ忘れちゃいないって。朝に聞かされてたからね。リリー、ここはもう大丈夫?」
アリスに問われて、死体の置いてあった場所に目をやる。別段、ここでこれ以上したいことがあるわけでもなく、調べるべきことが残っているようにも思えない。リリーは一寸悩んだあと、死体の入った袋を重そうに抱えている準隊のおじさんのほうを向く。
「準隊としては、事件の公表はどうするつもりですか?」
「もちろん公表しない。上もそう言うだろうさ。七年前の事件の再来となっちゃ、国民も穏やかじゃないからな。騒ぎになりかねん。リリーちゃんもそう思うだろう。よし、じゃあ女王さまに君たちで伝えておいてくれ。我々の名前を出しても構わない。まあ、リリーちゃんなら問題はないだろうがね」