第三話 .Lily
昼からの大会に向けて気合を入れ直すが、開催までにはまだ時間がある。それまでは通常業務だ。そちらもしっかりと行わなければならない。
「……さて」
アリスがいつもの場所に立つと、自然と近衛兵たちが綺麗に整列をした。
近衛兵の人数は多くない。元々はかつての王が趣味で集めた私兵が伝統化した組織と聞く。廃止しようとした歴代の王もいたようだが、まあ伝統だし、ということで残っている。仕事の少なさから見ても、かなり適当な組織だということが分かるだろう。いつものアリスの朝礼も、けして格式張ってはいなかった。
「えーみなさん、おはようございます。今日は大会がありますが、それまでは通常どおりです。いつものように、よろしくお願いします。もし何かあれば――」
「……アリス」
リリーは悪いと思いつつも、アリスの制服の裾を引っ張って喋っているアリスを制する。「一人足りない」
「ん?」
アリスはひとりひとり顔を見ていく。いち、にい、さん。近衛兵のみんなもそれぞれの顔をじろじろと見合っていた。確認し終わったのか、アリスは「ああ」と呟いて、次に「ミアがいない」と言った。
「誰か、なにか聞いていませんかねー」
ミアは夜間勤務だったはずだ。朝寝坊してしまっているということはないだろうから、何かしらあったのかもしれない。集団がざわざわし始めた頃に、後ろの方から「来た!」という声が聞こえ、皆一斉に階段の方へ注目する。その視線の先にいるのは確かにミアだった。けれど、様子が少しおかしい。もともと慌てやすい娘ではあるが、汗をかき、さらに呼吸まで乱して、どうやら表情も青ざめているように見えた。
「隊長!」
ミアは声を裏返しながら真っ先にアリスの元へ駆け寄ると、アリスの制服にしがみつき、落ち着こうとする間もなく「城下に、死体が!」と叫んだ。それを言うと力尽きたかのように体勢を崩し、アリスが慌ててその身体を支える。不安げな顔を見合わせて落ち着かない近衛兵に、アリスは声をかけた。
「どなたか、ミアを医務室へ。他の方は通常業務に。夜勤の方は、お疲れ様でした」アリスは人差し指で髪の毛をくるくると弄んで一寸考えたあと、リリーのことを申し訳なさそうな表情で見た。「リリー、来られる?」
行くほかないだろう。頷いて歩き始めた。
長い階段を下っていく。陽射しが照りつけてきて、制服の内側が汗ばんだ。城下のどこなのかをミアに聞くことはできなかったが、階段を降った先の一角に人集りができていたので、件の場所は幸いすぐに分かった。
場にはすでに、準国事隊と呼ばれる組織の人が来ている。準国事隊は国家の脳みそだ。その業務はこの国で起こった事件の調査から裁判まで多岐に渡る。事件が起こることは少ない国だが、いざというときのその活躍は凄まじい。だが、準国事隊には一定の自治が認められており、仕事の実態は組織の外からでは分かりにくい。
階段から見えた人集りは、ただの野次馬だった。アリスはその中に突っ込んでいき、そこにできた隙間を縫うようにしてリリーも付いていった。
「全員この場から離れてくださーい」
アリスが言うと、群衆は一斉に文句を垂れる。
「何があったんだよー」
「何かですよ、何か」
彼らは何が起こったのかは知らないようだった。アリスが適当に野次馬を諌めている間に、リリーは地面を調べている準隊の男性に声をかける。よかった、顔見知りだ。
「おはようございます。死体って聞いたんですけど」
「ああ、リリーちゃんか。その通りだ。普段ならどっちが先に解決するか勝負だってことになるが、今回ばかりはそう言っている余裕もない」
準国事隊に面識のある人は何人かいる。髭面の彼はそのうちの一人で、なにかとリリーと出くわすことが多かった。普段は朗らかな表情を浮かべているが、今日はそうではない。不可解そうな顔をして、顎で布を指し示す。布は控えめに膨らんでいて、その下に疑いようもなく何かがあることを示していた。
「見てもいいですか」
「だめとは言わんが、見ないほうがいいんじゃないか。俺と一緒にそれを見つけた近衛兵の嬢ちゃんが、顔真っ青にして今にも吐きそうになってたからな」
「ミアですね、その通りになっていました。まあ、許可をいただけなくても見るんですけど。なにか分かるかもしれないですし、失礼しますね」
膨らみが大きくないので、もしかしたら小さな子供が何かに巻き込まれたのかもしれない。リリーは覚悟して、死体にかかっている布をつまんで持ち上げ、周りの人に見られないように覗き込んだ。
見た。見たが、しかし、見ても、それが何であるのかが一瞬では理解できなかった。転がっているのはなんだろうとじっと見つめる。やがてその正体に気がついたとき、リリーは布から手を勢い良く離して、しばらく固まってしまった。理解をするのと気持ちが悪くなるのはほとんど同時であった。見えた光景がぐるぐると頭で繰り返される。
深呼吸して、心臓を落ち着かせる。
「だから見ないほうがいいって言ったのに。大丈夫か?」
リリーの様子を見ていた彼が呆れた声を出す。
「すみません。こんなだとは思わなくって……」
「現場では吐かないでくれよ」
降りてきた別に近衛兵に野次馬の対処を任せたアリスが、リリーの横に来た。
「大丈夫?」
アリスもまた布を摘んで持ち上げようとしたので、リリーは慌ててその手を掴んだ。
「あー、アリスは見ないほうがいいと思う」
アリスは怪訝な顔で首を傾げる。
「そんなこと言ったって、見なきゃ何にも分からないじゃない」
リリーと似たようなことを言って、アリスは布の下を覗き込む。そうして目を見開いたあと、すぐに布をもとに戻した。ほとんど硬直して、ようやく深呼吸をしたアリスの表情は、驚愕と怯懦に満ちていた。
「……あんたらばかなのかな」
準隊の男がまた呆れて言う。
リリーは笑って誤魔化す他なかった。しかしアリスはその男の言葉が聞こえていないかのように、放心したまま顔で「誰がこんなこと……」と呟いた。その声に怒りが含まれているのは明らかだった。この死体は、アリスにとっては特に衝撃的なものだったろう。
布に覆われた死体は、子供のものでも、ましてや人のものでもなかった。
数匹、見えた限りでは五匹ほどの――猫。頭部だけが切り取られて胴しか存在しない、猟奇的な大量の死体。
リリーもそうだが、とりわけアリスは小動物の類を好いている。精神的な衝撃は抑えきれなかったことだろう。しかし、驚きも落ち着き冷静に考えてみると、この事件の最大の奇怪さは、猫の大量の死体自体ではない。
「七年前の……、七年前の事件と同じだ」
リリーの考えていたことを、アリスが言う。
リリーは地面に覆いかぶされている布を見ながら、神妙に頷いた。そう、以前にも同じ事件がマクナイルで多発したのだ。
その時はまだ、聖域全体が一つの国だった。