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Lily in Black  作者: 小佐内 美星
第四章 壁に這う
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第二十四話 .Lily

 ――――……レースのカーテンがひらひらと揺れていて、その影が瞼の裏で行ったり来たりするので、リリーは目を覚ました。


 いつもとは違う部屋で迎える朝というのは、言い知れぬ新鮮さがある。特にいつもと違うのは、自分が起きても部屋にはまだ眠っている人がいて、その人が無防備にも寝顔でいることだろう。いつもは一人で起きて一人で支度をして、すっかり目を覚ましたみんなと顔を合わせるので、久しぶりに人の部屋で朝を迎えると、なんとも言えぬ暖かさを感じる。


 部屋はほの明るく、カーテンの隙間からほんのすこし差し込む光だけが部屋の状況を把握させた。リリーはベッドに寝かされていたらしい。横を見ると、掛け布団に抱きつくような格好で、アリスが寝息を立てていた。起きているときは見せないような女の子らしい寝姿に思わず頬が緩んだリリーは、悪戯心で、昨晩されたようにアリスの金髪を触ってみる。


 そのまっすぐ伸びる毛は絹の布のように指腹をすべり、綺麗な金髪は見ているだけで、高価な宝石を見ている時のうっとりとした気味を感じる。なるほど、頭を撫でるという行為は撫でる方も撫でられる方も落ち着くんだ。ということが分かって、何故アリスがリリーの頭を触りたがるのかという謎が解けた。そのままアリスの頭を撫でつけながらソファーの方を見やると、ヘイリーは昨晩の位置で眠っていて、サラの姿は見当たらなかった。何処かに行ってしまったかと扉の方を見ると、キッチンの流し台の前にその姿を見つける。ベッドから立ち上がり、アリスを起こさないようにそちらへと向かうと、サラの前には何やらたくさんの食材や調味料を用意してあり、彼女は落ち着いた表情で作業をしていた。


「おはようございます」


 サラに背中から話しかける。彼女は振り返ってリリーを見つけると、小さく頷いた。


「おはようございます、リリー様。昨晩はすみません……先に眠ってしまっていたみたいで」

「いえいえ、サラさんも疲れてますもんね」


 サラは首を横に振って、流し台に向き直る。


「どうぞ、よければ使ってください」


 またこっちを振り向いてサラが差し出して手の上には、濡らした柔らかそうな布がいつの間にか用意されていた。リリーはお礼を言ってそれを受け取り、顔を拭く。濡れた布で顔を拭くと、少し暑かった身体が冷めていく。拭き終わってサラを見ると、料理の合間に食器を洗っているようだった。昨晩使ったカップ類だ。


「ごめんなさい、それ、わたしがやれば良かったんですけど……」


 手を動かしながらサラが答える。


「いいえ、わたくしは慣れてますから。それを言うなら、アリスがやればいいんです」


 リリーは気持ちよさそうに眠るアリスを見て、ふっと笑みをこぼす。


 サラの手際のその一つ一つは、まるで何かの曲芸を見ているかのようだった。いくつかのことを同時に進行していて、さらにリリーがやるよりも完璧に素早く済ませる。彼女の実家は小さな飲食店だと聞く。幼い頃から家の手伝いをしていたらしいけれど、それだけ長い間家事をやっていたら、サラのように完璧にこなすことができるようになるのだろうか。シャーリィはあまりそういうことが得意じゃなさそうだし、もし二人で暮らすとなったら家事は自分だなと妄想してみる。


「へへ」

「ん? どうかしましたか」

「あっ、いえ! なんでもありません!」


 リリーはサラが作っているものが何であるかを考えながら、暇ができたので軽い運動を始める。腰や背中の関節が音を立てるのが気持ちいい。指を重ねて頭の上に持ち上げて脱力すると、身体の緊張が一気に解けていった。


「しかし、アリスのやったらやりっぱなしも治りませんね」


 リリーが軽い運動を終え、暇つぶしに逆立ちをしながらぼーっとしていると、サラがぽつりと呟いた。独り言のようにも聞こえたけれど、アリスに対して言っているようでもあった。そして、その言葉に引っかかりを覚える。


「やったらやりっぱなし……」


 口の中で反芻してみると、やはりと言ったように思いつく。「そういえば、食事のあとに食器類をどうしていたかも覚えてない。


「例の……記憶ですか?」


 サラに問われ、こくりと頷く。


「アリスは家事が苦手だし、今言ったみたいに物をそのままにしておくことが多いじゃないですか。それにわたしにも、覚えがないんですよね」


 サラは考える素振りをしたが、ついには首を傾げるだけだった。リリーは逆立ちのせいでくらくらしてきたので、ころんと床に寝そべった。


 調理、食器洗い、つまりは家事。大抵の場合それらは習慣付いているもので、もしかしたらそれは当たり前のことすぎて昨日のことでさえ覚えていないということもあるかもしれない。しかし、やはりおかしかった。特徴のない習慣が記憶に残りにくいということはあるかもしれない。が、もし習慣的にやっているなら習慣的にやっているということを自分は知っていなければいけない。けれどそれがなかった。つまりリリーは、そしていつも共に夕食を食べているアリスも、習慣的にそれらをやっていたことはない。

 

 であれば、やっていたのは自分たちではなく誰か、自分でもアリスでもない別の人なのではないか。となると、失ったのは特定の人に関する記憶ということになる。……とはいえ、毎日の家事をしてくれるようなお人好しなどこの世に存在するとは思えなかった。自分たちが貴族か何かならまだしも、職業を除けばただの一般人なのだし。しかし、失っている記憶という点に関して言えば、我々やヘイリーの記憶の失い方というのは至って不可思議なもので、それを鑑みれば、失っているのが誰かの記憶といってもおかしい気はしなかった。


 そう思慮に耽っていると、もぞもぞとヘイリーが起き上がってきた。サラに挨拶をしたあとリリーが床に寝そべっていることに気がついて、ぺこりと頭を下げる。なんだかだらしない格好を見せてしまった。ごまかすように、微笑んでそれに返す。


「よく眠れた?」


 彼はにこりと笑う。


「はい、おかげさまで」


 そう言って椅子を引いて座り、サラが料理している姿を、暇そうに眺めていた。リリーもまた上の空で、食器同士がぶつかり合う金属的な音や、ヘイリーが咳払いしたりするのを聴いていると、今度はベッドの方がもぞもぞと動き出した。


「……なに、もうみんな起きてるの」


 おばけみたいな動きで目覚めてきたアリスは、「ん~」と怠そうな声を上げながら伸びをした。リリーはようやく立ち上がって、アリスに「おはよう」と声をかける。右手を顔の横でひらひらとさせて、アリスが応えるのを見て、リリーは彼女の横を通り過ぎ、ベッドの向こう側のカーテンを開く。目が眩んでしまいそうになるほどの陽光が入り込み、部屋の中が瞬く間に光に包まれる、アリスは眩しそうに、眠気眼を手のひらで覆った。


「できましたよ、どうぞ」


 ちょうどその時に、サラの料理が出来上がった。先程からいい匂いが立ち込めていたので、お腹と背中がくっついた上にねじれ返りそうだったのだ。踊るような足取りで食卓へ向かうと、器用に何枚ものお皿を持ったサラがそれらをテーブルに置いた。


 そしてその豪華な朝ごはんに、リリーを含む三人はごくりと唾を飲み込むのを我慢することができなかった。陽光に照らされ、まるで黄金のように輝くそれはフレンチトーストだ。装飾店の宝石類のように煌めく色とりどりのトッピングがその周囲に惜しみなく置かれ、ほかほかと立つ湯気に乗せられて甘い匂いが鼻孔をくすぐる。ジャムや、チョコや、甘いもの以外にも、チーズやハムまで、ほかにもたくさん――リリーはよだれが垂れていることに気がついていなかった。傑作なのはアリスだ。甘いものに目がない彼女は今にも何よりも鋭い目付きでその品々を見つめていた。


「お、おいくらですか?」


 昂奮したリリーが尋ねると、サラはほんのりと笑って首を傾げた。


「お代はもちろんいただきません。どうぞ召し上がれ」


 サラのその一言で、全員が一斉に手を出した。競争しなくとも量は十分なほどに用意されているが、みな気が急くのを抑えられない。主食はたった一品のフレンチトーストだが、それを彩る様々なトッピングのおかげで食べても食べても飽きず、またトッピングを付けずに食べてみてもミルクの甘みが舌を滑り、口の中がパレードを開催しているようだった。目の前のヘイリーは恍惚の表情を浮かべているし、横のアリスは次から次へと無言で口に運んでいた。


 一方でサラは自分の料理には興味がないのか、黙々とそれらを口に運んでいき、一足先に口を拭き、リリー達が食べ終わるのを待っていた。


 やがてヘイリーが満足そうに椅子に背をもたれ、リリーが手を合わせてお辞儀をし、アリスが席を立ち部屋を出ていった。テーブルの上にあった結構な量の食事は綺麗に平らげられ、アリスが席を外している間に、残った食器をサラが片付ける。リリーも台所に食器類を運ぶのを手伝い、テーブルが綺麗になる。サラが食器洗いを終えて一息ついたところで、アリスが戻ってきた。


「ちゃちゃっと朝礼済ませてきたよ」

「ありがとう。シャーリィも今日は出かけないの?」

「大丈夫みたい」


 リリーはともかく、アリスが朝礼を休んだのではターラの耳に入りかねない。とりあえずは普段どおりに過ごすことが重要だろう。


「じゃあリリー、おねがい」


 頷き、全員が席についているのを確認してから、話す順序を考えつつ口を開く。

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