第二十二話 .Lily
戻ってきたアリスは、その書類をテーブルに置くと、とんとんと指で叩いてリリーたちに見せた。
リリーはアリスの顔と置かれた書類を見比べて、なんの書類なのだろうかと、何枚かあるそれを手に持ちぺらぺらと捲ってみる。紙は全部で八枚、書類の上部には『出入国者表』と記載されていた。
「それだけで、過去七年分ある」
「これどうしたの?」
聞くと、アリスは扉の向こうを見つめるようにした。
「今の子に番兵から借りてきてもらった。あの子――ほら、エミリア。なかなか見込みがあるよ。リリーにはまだ及ばないけど、口が回る。まあこれに関しては普通に持ち出せたらしいけどね」
アリスは嬉しそうに言った。元々アリスにはあまり人事の能力というものがなく、先代の優秀な隊長からアリスに引き継がれる際、必死でその能力を受け継ごうと努力したらしいことを、リリーはその先代――今は夜勤で門を見張っているチェリから聞いていた。エミリアについては、とても愛嬌のある子だと思っている。笑顔が素敵なリリーの同期だ。
リリーは手元の紙を眺める。全員に見えるよう、テーブルの上に並べた。八枚で七年分。一枚の紙には十人までの名前が記載できるようだ。となれば、多くて八十名、少なくて七十一名の名前が乗っていることになるが、それが七年間にしては多いのか、それとも少ないのかリリーには分からなかった。
一枚目を見つめる。日付は七年前。一人目の旅行者は、前回の猫事件より数えて半年後にミカフィエルへと行っている。規定の三日以内に帰国しているようで、名前の横の「帰国印」に印が付けられていた。指をなぞらせていく。七年前は合計で八人、六年前は三十人、五年前は二十二人、四年前は十五人、三年前は十人――。そして二年前は、誰も旅行に出ていないらしい。日付が大きく飛んだかと思えば、一ヶ月前の日付が記載されていた。その日から今日までで、十人が旅行に出ている。八枚目はまだ埋まりきっておらず、五つ、枠が空いていた。
「どう?」
アリスに尋ねられ、リリーは書類に目を落としたまま答える。
「七年前はあんな事件があったから、八人という人数で収まっているけど、六年前は異常に増えてる。そこから三年前までにかけて徐々に減っていって、二年前にはぱたっと旅行者が止んでる。……かと思えば一ヶ月前を境に増え始めて今日に至る……と。変な動きかなって。ふつう、事件の記憶が薄れていくにつれて旅行者は増えていくと思うんだけど」
確認がてら人数の傾向を言うと、アリスもまたうーんと唸った。
「七年前も、少ないとはいえ、いるにはいるんだね。怖いもの知らずというか」
リリーは見えるはずもないミカフィエルを見るように、窓の外に目をやった。陽はとっくに暮れ、照明を点けていない家すらちらほらとある。もうそんな時間なのか。
もう一度紙に視線を戻した時、リリーは額に豆を投げつけられたかのように目を見開く。
「ミアがミカフィエルに行ってる」
ミア――先日猫死体を見て気を失い、現在はその時の精神的な衝撃から、リリーに対して休暇を申し出てきたあの近衛兵だ。旅行へ出ていると、確かにそこへ記載されている。
「旅行行ってたの? そんなこと言ってた?」
アリスも眉を顰め、紙面をじっと睨むようにする。リリーは考える必要もなくすぐに「そうとは言われなかった」と答えられた。休暇が欲しいとしか言っていなかっただろう。そして彼女は、リリーにそう言ったその日の夜に出て行っていた。許可をもらい、その後すぐに支度をしてミカフィエルへ向かったのだろうか。事件の起こったマクナイルより、ミカフィエルの方が安心できると感じたのかもしれない。アリスが息を呑むような声で言ったのは、そう考えているときだった。
「……まだ帰ってきてない」
リリーは帰国印の欄を見る。確かに印は付いていないが、ミアが出ていったのは二日前になっているので、明日までに帰って来れば期間内である。まだ丸一日もあるから、アリスが何をそんなに驚いているのか分からなかった。しかし、その言葉の意味を探ろうと紙面を見るうち、リリーもまたその書類が示す現実に気がついた。アリスはいまミアのことを言ったのではなかった。その上に書かれている名前、そのまた上、上、上。旅行へ行ったと記載されている氏名の横にあるはずの「帰国印」が、一切押されていなかったのだ。「あるはず」なのは、そう、彼らの出国日から本日までの日数が、既に三日を超えているから。




