第二十一話 .Lily
ご飯を全部食べたリリーたちは、アリスの部屋へと来ていた。厳密には、アリスの部屋の前だ。「散らかってるから! すぐに片付けるから! 待ってて!」と言い残したアリスは、そそくさと部屋に入ると、中で暴れているかのような音を出し始めた。三人は廊下でその音を聞きながら待ちぼうけをしているところなのだ。
「遅いですね」
サラが愚痴をこぼす。ごめんなさい。アリスの趣味を隠すためにも、もう少し待ってあげてください。彼女はいまぬいぐるみを隠しているんです。
横では、ヘイリーが窓から空を見上げていた。廊下が明るいので、星をよく見ることはできない。彼に近寄っていって、目線を合わせる。
「ここはどう? 居心地は」
話しかけられたヘイリーは一度びくっと華奢な身体を震わせたが、ゆっくりと首を振る。まっすぐにこっちを見た瞳はすでに腫れが引いていて、そのおかげで一際くりっとした双眸は、いっそう女の子のように見えた。
「みなさん優しくて、頼りになって、居心地はとてもいいです。いつまでもここにいたくなります。……うちは、裕福ではなかったから、高価な食事も、ふかふかの寝床も、たくさんの本もありませんでした。ここは、いいところです」
「でも、自分の家のほうがいいよね」
そう語りかけると、ヘイリーは少し俯いて、こくりと頷いた。
ようやくアリスの部屋の扉が開いて、「入って」と促される。アリスに続いて順番に、部屋の中に入っていく。
「まあ、適当に座ってよ」
そう案内する彼女の額には、汗が浮かんでいた。サラがテーブルを囲む椅子に、ヘイリーがその横に座った。アリスの部屋は片付いていて、簡素という一言で表される。しかし普段はこうじゃないはずだ。いま、クローゼットの向こうにはぬいぐるみが押し込まれているはずである。彼女は、そう、アリスは……女の子らしい趣味を持っているのだ。それなのに、それに気が付かないものたちは、アリスを男のようで女らしさの欠片もないとのたまう。
誰か、アリスのこういう可愛らしい一面に気がついてくれないものだろうか。
そんな純粋でまっすぐな気持ちを心のなかで叫んでいると、唐突にアリスがリリーの右手を掴んだ。はっとして自分の手を伸ばした先を見ると、クローゼットの取っ手がある。気持ちが先行するあまり、開けてはならない箱を開けてしまいそうになっていたのだった。
「……何してんの? リリー」
「あ、いえ、お気になさらず……」
……まあ、アリスがひたむきに隠しているのだから、誰も気付かなくて当然だろう。きっとアリスもそれを望んではいない。一度掴まれただけなのに痛む右手をさすりながら、リリーも椅子に座った。
アリスも席につき「さて――」と切り出す。「さっきの話を続けようか」
それをきっかけにして三人がリリーに目を向けるが、ここにきてリリーは考え直していた。
「さっきの二人の会話を聞いて、考えていたことよりももっとしなきゃならないことがある気がしてて……」
食堂で聞いた会話。確信はないとはいえ、アナが関わっているという部分は放っておくことができない。サラにやってもらおうとしていたことが変わってくるのだ。元々は、王室でターラやヘレナが何かに勘付かないかを見守っていてもらい後で報告してもらう予定だった。リリーが俯いて悩んでいると、アリスが声を発する。
「慎重に考えるのがいいよ。待ってるから。あ、いや、まだ考えなくてもいいかな」
リリーは顔を上げてアリスを見る。彼女は指で前髪をくるくるといじりながらまるで興味のなさそうな態度をしている。だが、これはアリスが人の話を聞いたり考え事をしているときの仕草だ。
「どういうこと?」
「実はね、臨時会議が三日後に開かれることになっててさ」
臨時会議。リリーはその言葉を聞いて、改めて事の重大さを強く感じた。マクナイル城では、月に二度ほどの頻度で定例会議が開かれる。国の中枢組織の長とその補佐を呼んで開かれる会議だ。会議の種類にはもう一つ、臨時会議というものがある。一番最近に開かれたのは七年前、国が分割される際に開かれたのだった。つまり緊急を要し、さらに国を左右するような際に開かれる枢要的な会議である。
この臨時会議が開かれる、ということは、多くの所謂偉い人たちが、先の猫事件に対して緊急を要すると判断したことになる。そしてその主催をするターラもまたそれを承認したことになるから、とても簡単な話ではない。この前の定例会議の際、リリーはアリスに「旅行を禁止させないで」と頼んだ。恐らくその定例会議でも事件の話は出ただろう。しかしこうしてまた臨時会議が開かれるとなれば、その会議はあまり建設的でなかったに違いない。旅行についてのお触れが出されていないところを見ると、アリスはリリーの言ったことをきちんと通してくれたのだろうけど。
「猫事件を受けてのそれぞれの意見、つまり、今後どうするかとか、そういうことを決めるのが主題みたい。だからそれまでに何か分からないかなって、私なりにも動いてるんだけど――」
アリスが言っている最中に、部屋の扉が三度叩かれた。なんだろうと思ってそちらに首を巡らせると、すぐにアリスが歩いて行く。
扉が開き、アリスは向こうの人物と何事かを話し始めるが、声は聞こえても内容までは聞き取れない。アリスの向こうにちらりと見慣れた近衛兵の白いワンピース型の制服が見えるから、近衛兵であることは間違いないだろう。二、三言交わした後、アリスは手を振って、近衛兵は扉の向こうに消える。戻ってくるアリスの手には、何らかの書類が握られていた。




