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Lily in Black  作者: 小佐内 美星
第二章 砂の踊り子
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第十三話 .Lily

 港町は近衛兵の管轄外で、普段は国衛軍という組織が警備をしている。彼女らの本拠地が港町にあるのだ。それ故、近衛兵のリリーにとっては、訪れるのが久しぶりだった。シャーリィは他の街に行くついでに通ることが多いようだった。


「……暑いね」


 橋を抜けた頃、リリーが言った。これから海に行くということになったところで、太陽がその力強さを主張し続けるのには変わりない。簡素な格好でいるので制服よりはましだけれど、じんわりと汗ばむのが分かった。


「サラの淹れたアイスコーヒーが飲みたいわね」


 シャーリィが言う。しかし、彼女が暑がっているようには見えなかった。お姫様としての立ち振舞いに秘訣があるのだろうか。姿勢が暑さにだらけることはないし、表情も涼しそうなままだった。リリーも真似して涼しい顔をしてみたが、物の数秒で暑さに顔が歪んだ。


 サラの淹れた冷たいものが飲みたい。これには大きく頷かなければならない。サラは王室に行けば必ず飲み物や菓子を出してくれるが、そのどれもが一級品だった。彼女の入れるココアを頭に思い浮かべると、口の中にその味が想像される。


 しかし、飲み物も食べ物も手作りとあっては、メイドの仕事量も半端ではない。メイドはサラも含めて、アナにせよ誰にせよ、ものすごくてきぱきと仕事をこなしている。そうでもしないと仕事が終わらないのだろう。改めて感心する一方で、ふと気になってシャーリィに問う。


「サラさんはともかく、お爺がなにか作ることってないの? 食べたことないけど」


 執事というのもメイドに似た役割を担うはずだし……と思ったが、幼い頃から世話になっているリリーも、彼の作る料理を食べたことがない。

 シャーリィから返ってきたのはきょとんとした顔だった。


「あの人は予定を管理しているだけでしょ?」

「あー、やっぱりそうなんだ。それはそれで完璧にやってるからすごいと思うけど」


 尊敬を口にしたが、シャーリィは「まあね」と簡単に言うだけだった。その予定管理に振り回されている張本人なのだから、思うところがあるのかもしれない。


 マクナイル城にいる執事は、現在二人ほどしかいない。


 その昔、王家に仕え代々武器を作る職人の一家がいたのだが、人口の増加や技術の普及などで大量生産が可能になり、その鍛冶屋の一家は没落した。それで見捨てたのでは無情だということで、執事として王家の世話をする名誉職を与えられたのだった。武器屋がそれで納得したのかと思うとどこか滑稽な笑い話に聞こえるが、何はともあれ、お爺はその一族の末裔なのである。だが彼には子供がおらず、最近新人を一人だけ募った。今は研修中で、なにかとばたばたしているらしい。王族一家全員の予定を一人ですべて管理するのは、なかなか大変なものだろう。


 次第に人影が少なくなってきて、視界の先に真っ白な世界が映った。港街が見えたのだ。その先には限界の見えない海が広がっている。まっすぐ行けば港町から漁港へ出ることができるが、リリーたちは左に逸れて並木道へと入っていった。


 木漏れ日が地面に落とす不規則な影の上を、二人は並んで歩いて行く。こっちに進むとほとんど人影がはなくなり、それゆえに、二人の足音がはっきりと聞こえるようになった。しばらく歩いて、二人はほとんど同時に歩みを止める。そして耳を澄ませた。


「波だ」


 カーテンを開け閉めする音に似た心地の良い音が聞こえていた。海の声の、波の音。それに気が付いて目を見合わせたあと、二人はまた歩き始める。次第に歩幅が広くなっていく。小走りになったかと思えば、次には走り出していた。


 手を繋いだまま、どちらかが速く行くのでも、遅く行くのでもなく風を切っていく。海の音とがどうしてこう気持ちを昂ぶらせるのだろうかと考える。あんなに広大なもの、手に負えないのに。


 並木道を抜けると砂利道が現れた。山に囲まれていて建物が何一つない静かなこの場所は海への近道だった。二人は右に曲がる。目に坂道が映った。進むに連れて、足元の砂利がだんだん細かな砂になっていく。心なしか香る潮。そこにいることを身体全部使って教えているのだ。


 逸る心を抑えながらも潰さないように、坂道を登っていく。ここを登ればそこから海が見える。二人は転ばないようにしっかりと地を踏んで、坂を登って、やがて頂上に辿り着いたとき、感嘆の息を吐いた。


「――海だわ」


 シャーリィが言ったのを聞いて、リリーは返事の代わりに手を握り直した。広い浜辺の先に、果てしなく海が堂々と存在している。青い海の上で、太陽の光が波に揺らされていた。向こうから運ばれてきた水は波打ち際で白くなって、また還っていく。海が青いのは、空の青を映し出しているからだという。海は世界で一番大きな鏡なのだ。


 しばらく坂の上から見る海から目を離せずにいたが、ここにいても触れることはできない。二人はほとんど同時に気づいて、坂道を下った。浜辺に足を踏み入れると、その瞬間に胸がいっぱいになるような、そんな感情に包まれる。足の沈む感覚。足の裏に細かい粒の一つ一つを感じる。歩きづらくて仕方がなくても関係なかった。噛みしめるように踏みしめる。ここは城からでも見られる。いつでも見られるのに、いざ来るのとでは迫力が違った。声が聞こえるからだろうか。潮を感じることができるからだろうか。それとも海のあまりの大きさに圧倒されてしまうからだろうか。


 リリーの手を離して、シャーリィが海へ寄っていって、足を踏み入れる。目を見開いたシャーリィが、リリーのことを見つめた。リリーは砂浜で待ちながら、シャーリィがなんと言うのかを考えた。


「……ひどくぬるいわ」

「えっ」

「すごいぬるいの」

「もっと気の効いた感想ないの?」

「入ってみなさいよ」


 リリーも同じように足を踏み入れてみると、シャーリィの言うように、想像していたよりも遥かにぬるい海がリリーを出迎えた。時折冷たく感じることもあるけれど、暑いからだろうか、そんなに冷やっこいわけではなかった。


「これじゃあ水をかけあっても盛り上がらないんじゃ……」

「着替え持ってきてないし、できればやらないのがいいんだけど……」


「せっかく来たんだし、たまには後先考えずにはしゃいだっていいと思わない? なんていうか、溜まってるのよね、鬱憤」シャーリィが水面を蹴る。


「鬱憤? なんか嫌なこととかあったの?」

「ほら、会食とか」


 言い切ったあと、シャーリィは小さく「まあ、それだけなんだけど」と、付け足した。


 下手したら聞き逃してしまいそうなほどの声量だったそれを、シャーリィは多分聞かせる気はなかったのだろうけれど、リリーの耳にはしっかりと届いていた。それを聞いて、シャーリィの顔から目が離せなくなってしまう。


 足元で波が揺れている。海に浸かった足は、油断するとさらわれてしまいそうだった。そんな小さな声で言って、誰に助けを求めてるの。


 それだけ、と彼女が言うのが気に食わなかった。きっと何気のない一言なのだろう。でも、やっぱり気に食わなかった。海水を蹴って水滴を煌めかせるシャーリィを見る。彼女は簡単に言ったけれど、堅苦しい場所に行って、王族としての役割を果たすことがどれだけ大変なことなのか、リリーには想像することもできない。相手がつまらないことを言っても、愛想よく笑うことしかできないのだろう。きっと辛くなるほど大変なことなのに、シャーリィは何気なく「それだけ」などと言ってしまうのだ。


 いつの間にか顔が俯いていて、水面を見つめていた。シャーリィは自分に、弱音を吐いてはくれないのだろうか。そう思ってシャーリィの方を見ようと顔を上げると、シャーリィの姿が見えなくなっていた。はっとして状況を掴もうとする。目の前に水が浮いていて、やがてそれが視界がそれを遮っていることに気がついた。


「あ」と言った瞬間に、顔に大量の水が降り掛かる。驚いてわたわたと顔の水を手で拭っていると、シャーリィの無邪気な笑い声が聞こえてきた。


「ほんと、なにか考えていると周りが見えないわね!」


 びたびたとリリーの身体から滴った水滴が落ちていく。唖然としたのは一瞬で、段々怒りがこみ上げてきた。リリーもぬるい海水を掬って、容赦なくシャーリィにかける。当然のように反撃が来て、お互いに替えの服なんて持ってきていないのにもかかわらず、着ている服がびしょびしょに濡れていく。


「シャーリィのことなのに!」

「あら、何を考えていたのかしら!」


 水がリリーの髪を濡らす。


「いや、言わない。もう言わない。もう知らない!」


 今度はシャーリィの髪が濡れた。


 でもそれだけじゃ物足りないような気がして、もう一度手のひらいっぱいに水を掬う。そして大声で言いながら、水をかけた。


 ――たまにはわたしに甘えてみろ、ばか!

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