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Lily in Black  作者: 小佐内 美星
第二章 砂の踊り子
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第十一話 .Lily

 カーテンが開いたままの窓から、一切の眠気を感じることのできない身体に陽射しが照りつけてくる。リリーは力任せにカーテンを閉めた。


 一睡もできなかった。


 記憶の経路を順に辿っていっても、最後まで思い出すことはなく、ただ時間をいたずらに空費しただけだったのだ。わかったのは、どうすることもできないということだけ。日記のことも気がかりだった。昨晩から今まで悩み抜き、部屋を歩き回ったり風呂でも入って気分を晴らそうともしたが、すべては無為に終わった。


 突っ伏していたベッドから起き上がる。


 クローゼットの中から、適当に服を見繕う。着替え終わって鏡を覗くと、そこにはまるで近衛兵だとは思えないような格好の自分が立っていて、思わず笑いたいんだか悲しいんだか分からない顔をした。以前事件を解決したとき、服屋から贈ってもらった服。ハイウエストの紺のスカートと、白のシャツ、今まで着る暇がなかった。


 今日も仕事が待っているが、気分が乗らない。心のなかでみんなに謝りながらそっと廊下を覗き込む。誰も廊下にいないことを確認すると、靴を履いて廊下に出た。


 更衣室の鍵だけはきちんと開けておいたあと、リリーは廊下の窓から下を見た。目に馴染んだ使われない裏庭がそこにあり、芝生が広がり生い茂っている。リリーは窓から身を乗り出し、窓枠を手で掴んで身体を支える。


 二階の高さ、そこそこ。リリーは「せーの」と気合を入れて、飛んだ。耳にごおっと風を切る音。空中にいる時間はそんなに長くなかった。衝撃を受けないよううまいこと着地して、体勢を取り直す。


 正面から出れば人がいるから、抜け出すにはここしかなかった。このまま街に出て気分転換でもしよう。近衛兵たちから身を隠しながらではあるけれど……。


 と、そう思っていたのだが、視界の端に暖かな日差しが当たる芝生が映り込み、ここにきて今まで来なかった眠気がやってきたのだろうか、あるいは二階から飛び降りたことで多少すっきりしたのだろうか。リリーはいつの間にか、ふらっと芝生に吸い込まれるようにして倒れ込んでいた。


「あったか」


 空は雲一つない快晴で、抜けるような青がリリーの目の前を染める。今まで鳴りを潜めていた睡魔の主張が強くなるのを感じて、段々夢と現実の境界がはっきりとしなくなってきた。


「やあリリー、睡魔だ」

「待ってたあ」


 リリーは睡魔を大歓迎した。それはもう歓迎した。テーブルにクロスをかけ、ワイングラスを並べて、食べきれないほどのごちそうも目の前に広がっている、睡魔もリリーも喜んだ。


 パーティーが現実で行われているのか、夢の中で行われているのかが分からなくなり、強制されるようにして瞼が閉じる。気持ちのいい微睡み、心地の良い温度、全てが快適だった。太陽の光が瞼の裏を黄色く染め、血の赤もまた透けて見える。


 しかし、不意にその色たちが消えた。リリーの上に影が落ちて、視界を暗くしたのだ。雲はなかったはずなのに、一体なにが太陽の光を妨げたのだろう。むっと腹の立つ気持ちと、気になってもやもやとする気持ちが混ざり合って、めんどくさがりながら眠い目をこすった。そーっと目を開ける。そして、心臓がばくりと大きく跳ねた。ぬっと人影が覗きこんでいる。


 覗き――えっ、覗き込まれてる!


「え、だれ、だれ」


 呂律がうまく回らない。まだ夢の中なんだろうか? いや、あまりの驚きに眠気はすでに飛んでいっているはずだった。身体はなお寝そべっているので逃げることもできず、心臓がずっと高く鳴っている。逆光でうまくその人の顔は見えず、身に及ぶ危険を覚悟した。しかし、段々目が慣れてくると、長い髪が揺れているのが分かった。……女の子? ミルクティーで染めたような髪色、長くてすらっとした……綺麗な……。


「あっ」


 リリーはその影の正体が誰なのかようやく分かって、勢い良く起き上がった。


「シャーリィ!」


 声を高くして名を呼ぶ。今度は別の理由で心臓が跳ねていた。


 勢いよく起き上がると、シャーリィの顔が目の前に来た。鼻が触れんばかりの距離でも、リリーはもはやそれを意に介さなかった。目の前にいる彼女が本物で、本当にここに存在しているのか、夢の続きではないかと確認することに忙しかったのだ。


「こんなところでおさぼり? 近衛兵さん」


 シャーリィは悪戯な笑みを浮かべて、リリーを見下ろしている。その手が優しくリリーの頬に触れた。リリーは目を丸くして彼女を見ることしかできなかった。長い髪が風に揺れる。届くはずがない香りが漂ってくるように。彼女の声をはっきりと聞く事ができる。まだ幼さが残るようで、一切の曇りのない正直な声、これが現実でなければなにが現実になるのだ。


「シャーリィこそ、どうしてこんなところに」


 興奮が収まらないリリーの様子を見て、楽しそうに彼女は笑っている。その姿は向日葵が笑っているようだった。


 ターラとヘレナの間に産まれた、マクナイル王国の姫君シャーリィ・シーワイト。とうぜん神聖出産によって産まれたのだが、顔つきや仕草は両親にそっくりだ。茶色の瞳を持つ魅力的な目はどちらかと言えばターラの切れ長なものに似ている気がするが、そこにヘレナの穏やかさが加わったのか、瞳から冷たい印象を受けることはあまりない。他の部分も同じように、ターラの涼しい表情とヘレナの暖かい表情を足して二で割って幼くしたらシャーリィになりそうだ。


 背はあまり高くない。リリーよりも少し低いくらいだろうか。身体も脚も細くて、胸はそこそこ。今日は空色の簡素なドレスを身に着けていて、着飾らない肩掛けバッグをかけていた。近衛兵としての面影のないリリーと同じように、姫君の面影がない格好をしている。普通の女子だ。   


 彼女を目で追って、強く確信した。シャーリィはそこにいる。近くにいるのになかなか会えない女の子。ほとんど一年ぶりの再会に、リリーの気持ちは高鳴り続けていた。


「私もさぼり。どこかのお偉いさんと会食の予定が入っていたんだけど、面倒になったから抜け出してきちゃった」

「お姫様がそんなことしていいの?」


 リリーが問うと、シャーリィはふてくされたようにそっぽを向く。


「私は好きでお姫様になったわけじゃないのよ。毎日のように知らない人と食事だなんて冗談じゃないもの」


 幼さの残る顔がむっとなっている。シャーリィが食事の約束を蹴ったことよりも、それで怒られてしまわないかがリリーには心配だったのだが――これ以上追求する必要もないだろう。リリーはシャーリィのそんな横顔を見て目を細める。


「ところで」シャーリィがぐいっと近寄ってくる。「今日ひまなんでしょ? どこか行きましょうよ」

「え、わたしなんの準備もしてないけど」


「あらそう? 十分かわいいと思うけど。ほら行きましょ、誰かに見つかる前に!」


 言うが早いか、リリーの手は捕まえられて引っ張られる。つんのめりそうになりながらも表情を緩めたリリーは彼女に付いていくことにした。もとより、それ以外の選択肢はないようなものだ。


 城の脇から城下町への階段を降りていく。さすがに危ないのでここで手を握られることはなかったが、階段を下って城下に着いたらまた手が繋がれた。


 空にはやはり雲がなく、強くなり始めた陽光を遮るものは何一つない。それなのに、身体に当たる日差しよりも、繋いでいる左手のほうが熱かった。手に汗をかいていないだろうか。シャーリィは暑くないのだろうか。涼しい顔をしてほんの少し前を歩くシャーリィの横顔を何度も見て、その度にまた体温が上がるようなきがした。心は高ぶる。ほとんど一年ぶりの再会に。今日は誰にも邪魔をされず遊ぶことができる。会話はなかったけれど、繋がれた手だけで十分だった。

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