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「今日からここでアルバイトさせていただきます。よろしくお願いします。」
丁寧に、はっきりとした声で話す彼女は、その声に似合うポニーテールをしていた。高すぎるとも低すぎるとも言えない丁度いいくらいの高さのポニーテール。世間的に割と可愛い方に属するんだろう。そう言ったあと女の子は深々のとお辞儀をして、何をしたらいいのかなど店長と話している。こんな可愛いこと働けるのはラッキーだ。
その女の子は動物の専門学校にかよっているらしい。まあ、ペットショップにアルバイトにくるくらいなので、動物が好きなんだろう。俺とその女の子は、基本的には魚コーナーを担当することになった。日によってその女の子だけ小動物、爬虫類コーナーも担当するらしい。
俺は友達が少ないほうなので、自分からその女の子に話しかけに行くことを避けていた。しかし、その女の子の方は、女の子らしく、おしゃべりが好きらしい。度々俺に話しかけては、俺の返事が曖昧なのにも関わらず、何かとニコニコと話を聞いてくれてる。「魚好きなんですか?」とか「何かほかに趣味はありますか?」とか「一番好きな魚はなんですか?」とか。そんなたわいもない質問と会話を繰り返した。
俺は小心者で、自分から話したり、誘ったり、出来ない。でも、できないとは思いたくなかった。俺はできないのではなく、やらないんだと、自分に言い聞かせたかった。俺には大阪に住んでいる彼女がいる。年に数回しか会えないけれど、彼女のことは好きだし、ずっと暇さえあれば電話している。彼女がいるから、女の子として仲良くなる必要は無いんだと、言い聞かせてきた。だから、その女の子が、「休みの日は何してるんですか?」と聞いてきた時は、すかさず、彼女と電話してると言い、彼女の存在を詳しく話すことにした。
そのバイトは俺もその女の子も、休日にしか入っていないので、その女の子と会うのは週に2回ほど。その女の子と一緒に働くようになって1ヶ月が過ぎた。俺はよく水槽を眺めた。別に魚を見ている訳では無い。彼女が隣にいるのに喋らないのは少し空気が重い気がした。俺は何かをしている、という言い訳が欲しかった。いつものごとく俺が水槽を眺めていると、その女の子がそばまで来たことが水槽に反射して見えた。それから少し声をかけていいものか考えているようだった。数秒後、その女の子は、こえをかけてきた。
「店長の連絡先教えて貰ってもいいでしょうか?」
内容は業務的なことだった。俺は少しだけ、体が重く感じられたが、快く了承し、店長の連絡先を教えてあげた。この店で働いているのは4人だけなので、店長ともう一人年配の人の連絡先もついでに教えた。普通の人ならここで、自分の連絡先も教えておくのだろうけど、無理だ。俺には出来ない。本当に彼女は怒るし、彼女にバレずとも罪悪感がある。いや、でも、果たして本当にそれだけか?本当はきっと連絡先を交換して下心があると思われたらどうしようとかいらないと思われたらどうしようとかそんな、しょうもないことが理由じゃないか。結局その日はその女の子の連絡先を聞くことは出来なかった。
その女の子は、水槽に向かう時、動物に向かう時、優しい顔をする。普段はどちらかというと、キリッとした印象をうける、しかし、動物と向き合っている時は優しい顔をみせる。それに俺は魅せられた。水槽の中のフィルター掃除をすると手が臭くなる。その事がその女の子にとっては面白かったらしく、掃除するたびに、とても臭くなったわ、匂ってみて。と俺の顔に手を近づける。そのたびに俺は不思議な気持ちになった。確かに魚臭い匂いはするものの、そこには確かに女の子の欠片が見えている。このなんとも言えない気持ちが、俺を少しずつ蝕んでいった。
彼女との会話で度々、バイト先の女の子の話が出るので、彼女も少し疑い始めた。彼女の前では女の子の話は控えようと思った。
女の子はバイト中によく鼻歌を歌っている。鼻歌というよりもむしろ、歌を歌っている。歌が好きらしい。それも至極楽しそうに歌っている。掃除をしながら、餌をあげながら、動物を撫でながら、歌っている。俺は女の子の小さな歌声を聞くのが好きだ。女の子が歌うとどんな曲も楽しく聞こえる。いや、楽しく歌っているのだ。女の子は少し自分の歌として曲調をアレンジしながら歌っている。そんなつもりはないのかもしれないが、俺にはそう聞こえる。
一緒に働き始めて5ヶ月が経った頃。女の子は2週間ほど田舎に行くらしい。締め作業が二人のバイト終わりにそんな話。
「だから、シフト分からなくて、写真送ってもらいたくて。LINE、教えてくれませんか?」
女の子は少し、躊躇いながら。それでいて、しっかりと俺には言いました。俺はびびってしまって。
「彼女が女の子のLINEとか嫌がるからなぁ」
なんて言ってしまう始末。いや本当に嫌がるんだけど。でも、LINE聞きたいし。女の子は俯いてから、にっこりとしてまた、口を開きました。
「じゃあ、いいです!また店長に電話していただけるように頼んでみますね。」