「ふあ!?」な事態と芽生えた疑問
反射的に叫び、ライジーアは両腕を交差して顔が見えないよう隠す。
「だ、だめ。こっちに来ないで」
「……理由は?」
「今は顔を見られたくないの」
だから出て行って、と続けようとしたライジーアの目の前で、レイノルズはいきなり上着を脱いだ。彼は袖なしの短衣姿になると、大股でライジーアとの距離を詰め、彼女の頭に脱いだ上着をバサッと被せる。
「ひゃっ!?」
「……見なければいいんだな」
ぶっきらぼうな口調で呟くと、眼を白黒させるライジーアをレイノルズは下から掬い上げるように横に抱きかかえた。
急に足裏が床を離れ、身体が宙に浮く。ライジーアは仰天して「ふあ!?」と間抜けな声を出した。
「え、な、ちょ、レイノルズ!?」
「黙ってろ。舌を噛むぞ」
突飛なレイノルズの行動に混乱し、ライジーアは思わず叫ぶ。
「わたし、重たいのに!」
「ああ、重たいな。腕が折れそうだ」
こっちは心が折れそうだよ、と半泣きになるライジーアをレイノルズは軽々とベッドに運んだ。次に彼は盥をベッド脇まで移動させ、大きな浴布を用意し、床に片膝をつく。
「足を貸せ」
一瞬、本気で意味が分からなかった。眼を点にし、ライジーアは「あし?」と小首を傾げた。
ところが短気なレイノルズは凄みを帯びた声で、「二度言わせたら……」と脅しをかけてくる。
身の危険を感じたライジーアは淑女の慎みを一旦脇に置いておき、横を向いて、短靴と綿の長靴下を脱ぐ。
「裸足になったら、湯につけろ。濡れるからドレスの裾を少し持ち上げておけ」
「え、えと、でも、あの」
「二度言わせたら……」
「わかりました! つけます!」
思い切って、生足をさらす。とんだ破廉恥行為だ。恥ずかしくてたまらない。婚約者でも夫でもない人に足を見せるなんて、自分の大胆さに眩暈がする。
羞恥心で頭が沸騰しそうな状態のライジーアを、更なる驚愕が襲う。
足に、レイノルズの手が触れた。
「――!?」
条件反射で引こうとした足を、だが容赦なく掴まれてしまう。そのままゆっくりと、湯で洗われる。
「悲鳴を上げてもいいが、見られて恥ずかしいのは君だ」
レイノルズの忠告で、喉元まで出かかっていた悲鳴を飲み込む。
ライジーアは上着に隠れ、怨念を込めてレイノルズを睨んだ。なんの説明もなくこんな行為を強いるのは、てっきり辱めだと思って頭にきたのだ。
けれど、視線を手元に落とすレイノルズの表情は予想と違っていた。意地悪くも、からかうでもなく、静かで、優しい。落ち着いてよく見れば、掌に湯を掬う仕草も、軽く撫でる手つきも、とても丁寧で悪意など一片も感じられない。むしろ、温かな気遣いを感じる。
……気持ちいい。
レイノルズが濡れた足を浴布で拭い終える頃には、ライジーアの昂っていた感情も凪いでいた。
「ほら、後は自分でやれ」
照れくさいのか、わざと乱暴に浴布をポイと投げて寄こす。
「使い終わった湯はそのままでいい。明日私が回収するから、余計なことはするな。それと」
声が途切れる。
先が気になったライジーアは、ちょっとだけ上着を持ち上げて、レイノルズの様子を窺う。
レイノルズは綺麗な薄い唇に親指をあて、口にすべきかどうか、悩む顔をしていた。
ややあって彼はクルッと背を向け、感情を削いだ声で、素っ気なく言う。
「もし、なにか不満や文句があるなら、私にぶつけろ。気分が悪くて、君では手に負えないと思ったら、いつでも呼べ。……陰で一人泣かれると、面倒くさいんだ」
レイノルズの足音が離れていく。続けて、扉が閉まる音。
ライジーアは被っていた上着をノロノロと取った。
……泣いてるところ見られたみたいだけど、深く追及されなくてよかった。
下手な言い訳が通用するとは思えないし、それ以上に、本当の気持ちを暴露するなんて無理だ。
「はぁ……もう少し上手に感情を隠せるようにしないとだめね」
上辺を取り繕う振る舞い、というものが、昔からどうも苦手だ。貴族社会では致命的とも言える弱点で、ライジーア自身、改善しようと努力はしている。
それでも伯爵令嬢らしく外見を武装しているときは、結構イケるのだ。伊達に品格と教養を磨いてきたわけではない。人前で求められる淑女らしさは、及第点より上のはず。
しかし生来呑気な性質なので、普段はあまりピシッとしていない。
そのピシッとしていない悪い面が、ここでは全部表に出てしまっている。
……家名も身分もなし、身なりも適当以下で、気楽に過ごせ、なんて言われたら油断するでしょ。
それも夜を除いては、ほぼ一緒にいる相手が気心の知れた元婚約者なんて。どうやったって、素が出る。隠しておきたい気持ちを見せないようにするだけで、精一杯だ。
ライジーアは溜め息を吐いて上着を脇に置いた。白い湯気の立つ盥を見て、そちらに気を移す。
「冷めないうちに使わせてもらおう……」
温かいお湯でゆっくりと身体を拭き、髪を洗う。髪は汚れていた。どうやら五日間、湯浴みはしなかったらしい。
……わたし、臭かったかも。
仮にも伯爵令嬢が、臭いまま人前に出るなんて恥である。
大いに反省しながら、ライジーアは去り際のレイノルズの台詞を追想した。
……わかりにくい言い回しだったけれど、あれは慰めだったと思う。
身体を綺麗に拭いた後、ライジーアはレイノルズの上着に手を伸ばした。悪戯心から着てみる。ぶかぶかだ。見た目より鍛えているのかもしれない。
「レイノルズって、口は悪いけど親切だよね」
なにげなく口から漏れた感想に、ふと、違和感を覚える。
最初は「あれ?」と頭になにかが引っかかったように感じただけだった。
だがすぐに「親切?」と繰り返し呟いて、ライジーアは首を捻る。
「……大嫌いなわたし相手に?」
おかしいだろう、と思う。
「辻褄合わなくない……?」
ライジーアは真剣になって、塔でのレイノルズの言動を思い起こす。
勝手に人を抱き上げて「重たい」と文句を言っていた割には、なんの苦もなく歩いていた。
この大きな盥だって、湯を張った状態では相当重いし、四階まで上るのは大変だろう。
給仕のときも、温かい物や冷たい物を取りにいちいち往復していた。
差し入れの本も、私物を貸してくれた。
部屋を見回せば、ベッドメイキングは丁寧にされていたし、掃除も済んでる。角灯の油を足したとも言っていた。そしてこの上着……。
徐々に、バラバラだった小さな情報が集まり、曇っていた思考が明確になっていく。
そして到達した、結論という名の、疑問。
「普通、後輩の指導でここまでする……?」