挑発行為と怒りの大奮闘
「議題は、国家基本法の改正だ」
レイノルズは淡々と続ける。
「その草案を作るための秘密会議だよ。もう九年目で、会議に出席する顔ぶれもその都度違う。書記も専属ではなく入れ替え制で、私は今回が四度目の招集だ」
クラッと眩暈がして、ライジーアは机の縁に掴まった。座っていてよかったと思う。立っていたら、へたり込んでいたところだ。
「そ、そんな重要な会議に、わたしが同席していいの?」
「いいもなにも、ここまで話を聞いた以上は強制参加だ。誓約と宣誓にかけて、外部に漏らすなよ。攫われたくなければ、黙っておけ」
ライジーアは蒼褪めた顔でコクコクと頷いた。情報価値が高すぎる。
……道理で、口止めや警戒が厳重だと思った。
万一、会議の存在が公になれば、どんな邪魔や横やりが入るかわからない。全貌を知ろうと躍起になる人間が多々横行するだろう。そうなると会議の出席者が狙われる。すべてを記録した書記なんて、格好の標的だ。
……た、大変なこと、引き受けちゃった。
頭を抱えたライジーアだったが、レイノルズにコツコツと机を叩かれて顔を上げる。
「なに?」
「……私は君を頼るつもりはない。だから適当にやってくれれば、それでいい」
一瞬で、負けん気に火が点く。
ライジーアはギュッと拳を固めて、レイノルズをひたと見据えて言った。
「適当な仕事なんて、しないもの。わたしは女王陛下に顔向けできない卑怯な真似は、絶対に嫌よ」
「ああ、そう。では君の活躍を楽しみにしてる。せいぜい張り切りすぎて、倒れないようにね」
激励とは似ても似つかない嫌味たらしい言葉を残して、レイノルズが退室する。
ライジーアは対抗心に燃えていた。
……意地でも頑張ってやる。
そして必ず、レイノルズに「君は頼りになるね」って言わせてみせるんだから!
荷物整理を終えた頃、レイノルズが夕食を運んできてくれた。彼に使用人のような真似をさせるのは悪いので、「次からは自分で取りに行く」とライジーアが申し出ると、「君の世話は私がすると言ったはずだ」と突っぱねられてしまった。彼はその後も、食器を片付け、湯浴み用のお湯と盥を運び、飲用の水差しとグラスを持ってきた。就寝前にはわざわざ様子を見にくる徹底ぶりだ。
……ちょっと昔に戻ったみたい?
ライジーアは過保護だったレイノルズの少年時代を思い出して、クスッと笑う。
「恋心は忘れても、思い出ぐらいは覚えていてもいいよね……」
誰にともなく言い訳を口にして、ベッドに潜る。
その夜、ライジーアは夢を見た。幼い自分と幼いレイノルズが、手を繋いで陽だまりでまどろむ、懐かしくて幸せな、儚い夢だった。
翌日から、過酷な日々が始まった。
会議の出席者は、計六人。男女半々で、年齢は三〇代から七〇代までと幅広い。皆、質素な格好だ。貴族なら誰もが知ってる社交界の重鎮や司法の良心と呼ばれる賢者もいて、彼らに紹介されたライジーアは非常に緊張した。
会議する場所は二階の通路で、人数分の椅子を並べただけ。資料はその場で配り、会議後に回収されるらしい。
螺旋階段の近くに書記担当の席が設けられ、ライジーアとレイノルズ、それに監督官のスウィンが座る。机の上には筆記具一式が揃い、ライジーアは早速道具の感触を確かめた。
「ライジーアが慣れるまで、少しの間、私が補助に入るわ。一緒に頑張りましょうね?」
さりげなく助っ人宣言したスウィンを、ライジーアは驚きの眼で見る。
「スウィン、速記ができるの?」
「一応ね。前任者が倒れてから昨日までは、私がレイを手伝ってたの」
「だったら別に、わたしが来なくてもよかったんじゃ」
「でもずっとは無理。疲れちゃうから。それに可愛い女の子がいてくれた方が、嬉しいし」
「わたしはスウィンに可愛いって言われても、微妙かな。スウィンの方がずっと綺麗だもの」
ライジーアが真顔で言うと、スウィンは噴き出して笑った。
「やあだぁ、ライジーアったら正直者ねー。そっか、そっか。まだ気がついてないんだー」
「え? 気がつくってなに? わたしなにか見落としてる?」
追及しても、スウィンはニヤニヤするだけ。レイノルズに訊こうとしたら、「準備はできたのか」と長い指で時計を示された。
当然準備はできてるし、スウィンと話して肩の力も抜けた。
「いつでも始めて大丈夫」
ライジーアが筆記具を手に言うと、レイノルズは仕事の流れを説明し始める。
「先に君とスウィンが一五分、次に私が一五分。これを休憩まで繰り返す」
通常の時間配分だ。速記は非常に神経を使う。連続で動けるのは、一五分が限度。だから息継ぎするように交代で記録を続ける。交代中は、速記文字や符合を普通の文字に起こす作業をやる。そうしながらも、耳は澄ましておく。速記者は会議終了まで一瞬も休む暇がない。
スウィンが明るい調子で横から口を挟む。
「最初は全部聞き取れないだろうけど、気にしなくていいわよ。私がばっちり補助するわ」
ライジーアに向け軽くウィンクしたスウィンを不快そうに睨んで、レイノルズが続ける。
「いいか、余計なことを考えるな。聞き役に専念して道具に徹しろ」
「うん、わかってる」
まず出席者の声に惑わされないようにしないといけない。耳慣れない他者の声は聞き取りにくいので、集中力を消費する。だが耳にばかりかまけると、手が疎かになるので注意が必要だ。
耳と手の両方を連動させ、自らが筆記具と化すイメージで臨む。
ふと考える。
婚約破棄されて、花嫁修業もすっかりやる気をなくした。なにかに没頭していないと暇すぎて死にそうだったから、ひたすら勉強し、ついでに色々資格を取った。速記もその一つ。
……まさか失恋の反動で勉強したことが、国のために役立つとは思わなかったな。
人生って、なにが起こるかわからない。
……女王陛下の信頼に応えるためにも、力いっぱい頑張ろう。やるからには役立って、わたしがいてよかったとレイノルズに認めてもらうんだ。
そう決意したライジーアが「ふう」と深呼吸して、すぐ。
九時ちょうど。会議が始まった。
ライジーアは一点集中で机に向かう。
開始直後の冷静な空気は、一時間も経過すると跡形もなく吹っ飛んだ。自説が飛び交い、異論を唱え、資料を引き合いに出し、実例を挙げ、他国の法令を参考に持ち出す。
出席者全員が、真剣に意見をぶつけ合う。
その声を一つ一つ、迅速かつ丁寧に拾っていく。
一五分で交代。一息つく間もなく文字を起こし、一五分後に再び集中。
九〇分後、小休憩で水分補給し、すぐに再開。
昼休憩を挟み、午後の討議開始。
小休憩で糖分をとり、後は一六時まで白熱した議論が延々と続く。
会議終了後もライジーアとレイノルズはその場に残り、記録を清書して、議事録を完成させる。
書類をまとめ、スウィンに提出して作業終了。
仕事が終われば、夕食と湯浴み。就寝までの僅かな時間だけが自由。
――そんな塔での生活も、気がつけば五日が過ぎていた。