冷たい幼馴染みと二人きりで気まずいわたし
「名乗るのは名前だけにしてね。家名は伏せておいて。この塔の中では優先されるべきは個と公益性なの。それを妨げるものは持ち込まない。身分も肩書きも名声も、必要なし。余計な詮索もだめ。ただ国への献身だけが求められるの。どう、了解?」
ライジーアはちょっと考えた。
……つまり、面倒くさいことは抜きにして、一個人として働けということよね。
自分なりに理解して、ライジーアは頷く。
「女王陛下の名の下に、了解です」
スウィンが満足そうにニッコリ笑う。
「では改めて、お名前を伺いましょうか」
「ライジーアと申します」
「知ってるわ」
「え、知ってる?」
思わぬことを言われて、ライジーアはキョトンとする。
スウィンは意味ありげに微笑むと、ライジーアの手を掴み、塔の中へと導いていく。
「会ったのも初めてじゃない。前にも一度、会ってるわ。ね、ライジーアって呼んでいい? 私のことはスウィンでいいわ。様はいらない。丁寧語も結構よ。レイ、ボケっと突っ立ってないで彼女の荷物を中へ運んでちょうだい。ライジーア、一緒に来て。部屋に案内するから」
問答無用で引っ張られるまま、ライジーアは扉を潜り、塔へ入った。
塔の中は中央に石の螺旋階段があり、その周囲に小部屋が幾つかある造りになっている。
スウィンはライジーアの手を引きつつ、はきはきと喋りながら螺旋階段を上っていく。
「部屋分けだけど、一階は護衛と側仕え、二階と三階が関係者、四階が私たち。地下は厨房や食糧庫だから、立ち入らないで。最上階の五階は出入り自由よ。窓があるから、息抜きに使って。あとは屋上だけど、見張りに使うし、柵がなくて危険だから、一人では絶対に立ち入らないでね。どうしても行きたくなったら私に声をかけて? 付き合うわ」
そこで肩越しに振り返り、スウィンが軽くウィンクする。そんな仕草が堂に入っていて、よく似合う。
……大人の女性だな。
自分にはない魅力にちょっとドキドキした。スウィンは色っぽい。気さくで、親切で、綺麗な上に色気もあるなんて、レイノルズが惹かれるのも無理はない、と納得してしまう。
……レイって、呼んでた。
それはまだレイノルズが婚約者だったとき、ライジーアだけが独占して呼べる彼の愛称だった。
スウィンが「レイ」と呼び名を許されているなら、それはつまり、そういうことなのだろう。
……寂しいなんて、思っちゃだめ。もう忘れるって、決めたんだから。
ライジーアは頭を強く振って、レイノルズを思考から追い出す。
「はい、到着っと」
運動不足のせいか、ここまで上がるだけでも疲れた。スウィンは平気そうなので、少し悔しい。
四階には部屋が三つあり、その一つに案内される。中は狭く、通風孔はあるけど、窓はない。家具も少なく、ベッドと小さな物入れ、それに机と椅子、角灯、簡易便器だけ。
「さ、ここがライジーアの部屋。狭いでしょうけど、我慢してね。寝具は新しいものだし、掃除も終わっているわ。大部屋がないから食事は各自部屋でとることになってる。お風呂はないけど、湯浴み用のお湯を夕食後に運ばせるから、それを使って。手洗い場と厠は共用で一階。他にもなにか入用なものがあれば遠慮なく言ってちょうだい。できるだけの便宜は図るわ」
「ありがとう、スウィン」
「どういたしまして。こちらの都合で協力してもらうんだもの、このくらいは当然よ」
ライジーアはスウィンから背後のレイノルズに視線を遣って、口を開く。
「……レイノルズ様も、荷物を運んでくださってありがとうございます」
なんて呼べばいいのかためらって、結局、名前に様付けで呼んでみた。
それを聞いたレイノルズの眉がピクリと動く。
「……スウィンを呼び捨てておきながら、私を『様』付けとは嫌味か?」
レイノルズにきつく睨まれて、ライジーアは怯んだ。
「嫌味だなんて、どうしてそう悪く受け取るの? わたしはただお礼を言っただけでしょ」
「口先だけの礼などいらないね」
思わずムッとする。
雰囲気がピリピリしかけたそのとき、スウィンが「喧嘩しないで」と仲裁に入った。
「ごめんねー、ライジーア。この男、ほんっとうに口が悪いけど気にしないで。それにさっきも言ったけど、ここでは敬称も丁寧語もなし。仕事以外はできるだけ楽に過ごして。なにせこれから二週間はこの塔に拘束されるんだから、心に余裕を持たないと自滅しちゃうわよ?」
仕事、と聞いてライジーアはハッとした。
レイノルズとの再会にばかり気を取られていたが、肝心の仕事内容をまだ聞いていない。
「あの、スウィン。わたしはここでなにをするの?」
「それはレイから説明させるわ。私は席を外すけど、なにか変な真似をされたら叫んでね? 飛んできて、奴の大事なアレをぶった切ってやるから」
ライジーアが「『アレ』ってなに?」と疑問を口にするより先に、レイノルズが動いた。
レイノルズの右手がヒュッと唸り、スウィンの喉を鷲掴みにする。
「やあスウィン、喉の調子が悪そうだな。潰せば直るか?」
「つ、潰したら声が出せなくなるでしょ!?」
突然の暴力に慌てたライジーアが咄嗟にレイノルズの手に触れると、彼はピタリと止まり、おとなしく指の力をゆるめる。
窒息の危機から脱したスウィンが「ケホッ」と軽く咳き込みながら、小声で漏らす。
「……さすがレイの最愛。手綱を握ってるねぇ」
「え?」
「いや、こっちの話。あー、苦し。邪魔者は消えるから、ライジーア、レイをよろしく」
……邪魔者? スウィンが? なんで?
そもそもよろしくされる側は、わたしじゃないのかな? と訝るライジーアをよそに、スウィンはレイノルズの耳元でなにか囁いてから、片手を上げて出て行った。
扉が閉まり、部屋で二人きりになる。
第三者がいない場所で完全に二人だけになるなんて、もう久しくなかったことだ。
レイノルズが困ったような顔で、一言呟く。
「……手」
ライジーアはレイノルズの手を押さえたままだった。
「あ。ご、ごめんなさい」
慌てて手を引く。
レイノルズはライジーアが触れた右手の甲をじっと見つめたまま黙っている。
居心地の悪さを感じて、ライジーアは一歩後ろに下がった。
するとなにが気に障ったのか、レイノルズは厳しい表情で一歩分の距離を詰めてくる。
ライジーアはまた下がり、レイノルズが前に出る。
後ろに下がること五歩目で、ライジーアの背中が扉にぶつかった。レイノルズの左腕が伸びて、トン、と扉につく。