『災厄』への挑戦
会議終了を明日に控え、レイノルズはライジーアに声をかけられた。
「……後で少し、時間もらえる? レイノルズに話があるの」
レイノルズはぎくりとした。
この数日のライジーアの動向を見る限り、いい話とはとても思えない。自分の言動を振り返ってみても、つまらぬ嫉妬でやきもきする、格好悪い姿ばかり見せていた気がする。
……ジアにもう一度「大嫌い」と言われたら、私はもう生きていけない。
そのときは潔く身投げでもしようか、などと破滅思考に走ったレイノルズだが、ライジーアのお願いを断るわけにはいかない。仕方なく、頷く。彼女はニコリとする。可愛い。
夜、約束通りの時間に部屋を訪ねると、ライジーアは止める間もなく上へ向かった。
屋上に出る。空はよく晴れていて、大きな月が美しい。
ライジーアは物珍しそうに辺りを見回しながら先を行く。危なっかしい足取りに、レイノルズはハラハラしながら注意すると、彼女は「うん、気をつける」と素直に応じてくる。
見張りが見当たらず、レイノルズは怪訝な顔をした。最後の夜とはいえ、警戒を怠るのはまずいだろう。ただちにアズウィンに報告しないと、と思った矢先、第三者の視線を感じて振り返る。
入り口横に、アズウィンと側仕えの二人を見つけて戸惑う。訊けば、ライジーアが立ち会いを頼んだようだ。
「……どういうことだ? スウィンからなにを聞いた」
問い質すと、ライジーアはアズウィンからレイノルズの抱える事情を少なからず聞き出したらしい。
……アズウィン。いったいなにをどこまでジアに打ち明けたんだ!?
やはりなにがなんでも口を割らすべきだったか、と後悔しても後の祭り。
ライジーアはアズウィンを庇いつつ、レイノルズの押しつけがましかっただろう世話焼きを「ずっと守ってくれていた」などと言い、良い面ばかり評価してくる。
レイノルズとしては、感謝されるといたたまれない気持ちになる。ライジーアの世話は楽しく、役得だったし、彼女を守るのは他の誰にも譲れない自分の役目だと、勝手を通しただけだ。
それを主張しようとすれば、やはり口は真逆を述べる。
さぞつっけんどんな嫌味に聞こえただろうに、ライジーアはなぜかクスッと笑って言った。
「今のレイノルズの台詞を翻訳すると、『君が気にすることじゃない。私は君の世話ができて嬉しかったし、君を守るのは私の務めだよ』ってところでしょ? 違う?」
驚いた。
まるで心を読まれたかのように、かなり的確に心中を把握されている。
レイノルズの心に走った激震が伝わったようで、ライジーアは嬉しそうに続ける。
「……やっぱりそうなんだね。レイノルズの言葉は、曲解して受け取るのが正しいみたい」
その通りだが、しかしなぜ、ジアにそれがわかったのだろう?
うろたえるレイノルズを、確信を持った眼で見つめながら、ライジーアは例を挙げていく。
「――こんな風にね、わたしがレイノルズに言われたことをひっくり返してみたら、顔の表情や行動とぴったり一致するんだよ」
ひっくり返す――それは逆転の呪縛を解いて元の意図を明かすことに他ならず。
普通は、そんなことしない。
普通の人間は、そこまでしない。
そもそも、異常に気がつかなければできないことだ。
両親のように。アズウィンのように。
――まさか、ジア。君が気づいてくれるなんて思いもしなかった。
『災厄』について、アズウィンは肝心な点には触れていないはず。
資格喪失に繋がるからだ。
だとすれば、やはりライジーアは自力でその答えに辿り着いたのだ。
レイノルズの仮定を証明するかのように、ライジーアは『災厄』について触れる。
「レイノルズがおかしくなったのは『災厄』が原因で、わたしと婚約破棄したのも他に好きな人ができたわけじゃなくて、『災厄』のせいなんでしょ? あの日も本当は『災厄』の件を話し合いに来たんじゃないの?」
脳裏に蘇るのは、悪夢のような記憶。
愛しい婚約者から「大嫌い」と告げられた、二年前。
ライジーアを失い、義父とも義母とも呼べるはずだった人たちを失い、信頼は失墜し、両家の関係も断たれた――婚約破棄した日。
レイノルズは痛恨の面持ちで「そうだ」と答えたつもりが、「違う!」と声になる。
だがライジーアには、今度も通じていた。悲しみを瞳に灯して言う。
「『そうだ』だね。わたしね、あのときレイノルズの言ったこと、全部覚えてるよ。自分が言ったことも全部覚えてる。どんなに悲しかったか、胸の痛みも、覚えてる」
……私も覚えてるよ。
言葉が思うように操れず、苦しくて、気が変になりそうなほど辛くて、打ちのめされた。
あの日、あのときの、ライジーアの悲しみと憎しみに染まった眼と大粒の涙が忘れられない。
「だけどレイノルズは、わたし以上に辛かったんだよね。ごめんね、『大嫌い』なんて言わせちゃって。『大嫌い』なんて言って。――わたしが本当の気持ちを打ち明けていれば、二年間も無駄に苦しまなくて済んだのに」
……それは違う。君が謝ることはない。君はなにも悪くないのだから。
ただ、運が悪かったのだと思う。
『災厄』などと人知を超えた怪と遭遇したことが、悲運だった。
そう伝えようと言葉を選んでいた間を突いて、ライジーアが声の調子を明るくした。
「でも、もう大丈夫だよ。わたし、『災厄』がなにかわかったんだ。助けるよ。今度こそ、レイノルズのこと助けてあげる」
直感が、ざわりと疼く。
なにか嫌な感じがした。
「……なにをするつもりだ」
本当は「なにがわかったんだ」と訊いたつもりだった。
ライジーアがあどけなく笑う。
「『災厄』がなにか言い当てて、その影響下にあるレイノルズを丸ごと引き受けるよ」
「……は?」
語尾の「丸ごと」の意味がわからず、疑問符を飛ばしたレイノルズはハッとした。気がつけば、ライジーアとの距離がずいぶんと開いている。
ライジーアは、屋上の縁ギリギリに立っていた。
レイノルズの心臓が急激に速く打ち始め、緊張が全身に及ぶ。
……危ない。
少しでも均衡を崩せば、真っ逆さまに落ちる。この高さから落下すれば即死だ。
そんな際どい状況を自ら作ったライジーアが、月光を背中から浴びつつ、見惚れるほど綺麗に微笑む。
「――『災厄』は感情と真逆の言葉を強制するもの。感情を抑えることで強制力も抑えられて、感情を殺せば思うまま喋ることもできそう。って、レイノルズを見てて思ったの。どうかな、当たり?」
正解だ。
だが今はそんなことより、ライジーアの身に迫る危険の方が問題だ。
レイノルズはライジーアを刺激せず、安全策を取りたかったが、言葉に詰まる。
……なんと言えばいい? こっちにおいで、か。それとも、動くな、か?
迷って焦っている間にも、彼女は滔々と喋る。結婚相手が云々というくだりで、意識が彼女に向いた。
不意に、告白された。
「好きなの。レイのことが大好き。世界で一番大切。口が悪くてもいいよ。言葉が裏返しでも大丈夫。レイが優しいこと、ちゃんとわたし知ってるから。だから、わたしと結婚してください」
思いがけない言葉に、胸が震えた。
一度は「大嫌い」と振られ、二年間、碌に口も利かず、避けられていた。
それでも恋しくて、想う気持ちを捨てられず、諦め悪く、みっともないくらい足掻いていた。必死だった。真剣だった。
……いつだって、君が好きだった。
なにより「レイ」と愛称で呼ばれたことが嬉しい。
溢れる歓喜が、じわじわと押し寄せてくる。
「……ジア」
今の告白は、本気?
そう訊き返したいのに、それ以上の声が出ない。
呆然と佇むレイノルズの前で、ライジーアがゆっくりと両腕を水平に持ち上げる。
「――命を懸けて、好きって証明するよ」




