思いがけない再会と恋の終わり
迎えの馬車は、とても王家のお使いとは思えない質素なものだった。
ライジーアはびっくりしたものの、納得もした。
……人目を避けるなら、目立たないようにしないとね。
御者は騎士で、同乗者は女性騎士。どちらもちっともそれらしく見えない身なりだったが、れっきとした女王陛下直属の騎士で、現地に着くまでのライジーアの護衛だという。
「どうぞよろしくお願いします」
彼らに劣らず地味なドレスに地味な髪形、地味な化粧のライジーアが頭を下げる。荷物は旅行鞄一つだけ。まるで女家庭教師のような格好だ。両親には「ひどすぎる」と嘆かれたが、迎えの二人の粗末な身なりとは釣り合うので問題ないと思う。
「では行ってまいります」
正門まで見送りに出てくれた両親は心配そうで、いまからでも引き止めたいような顔をしていたが、ライジーアは「頑張ってくるから」と手を振って馬車に乗り込んだ。
馬車は半日走り続けた。途中一度だけ短い休憩を挟み、ひたすら走る。
時間の経過と共に建物の数が減り、人の数も減り、道が狭くなり、緑が濃くなった。
陽が傾き始めた頃は、深い森の中を、速度を落として進む。行き先を教えてもらえなかったため、ライジーアがちょっと不安な気持ちになってきたとき、突然視界が開けた。
「着きました。ここです」
女性騎士が車窓から外を指さす。
「正式名称ではありませんが、我々は『緊縛の塔』と呼んでおります」
確かに塔だった。窓のない円筒型の高い石の塔が空へとまっすぐに伸びて建っている。
……ちょっと恐ろしげ?
通称からして、『緊縛の塔』とはなんだか物々しい。
ライジーアは思わず両腕を擦った。怖くない、怖くない、と自分に言い聞かせる。
馬車は塔の扉の前で停止し、女性騎士がライジーアと手荷物を下ろす。その間、御者は扉を叩き、二、三のやりとりのあと、頑丈そうな扉がギィッと軋んだ音を立てて開く。
そして扉を潜るように頭を低くしながら出迎えに現れた人物を見て、ライジーアは仰天した。
……なんでレイがいるの!?
目の前に立ったのはレイノルズだった。紫を混ぜたような深い藍色の基本衣、つまり上下に分かれた服を着て革靴を履いている。とても社交界でモテまくる貴公子には見えないほど簡素だ。
……それでもやっぱり、レイは素敵ね。
どんな格好でも関係ない。少し長めに整えた金色の髪も、以前は優しくていまは冷たい青い眼も、すごく綺麗で、いつまでも眺めていたい気持ちになる。
……でもだめ。もう本当に、レイのことは諦めないと。
なにせライジーアはいま一八歳で、崖っぷち。今年こそ新しい夫候補を見つけて正式に婚約を交わさなければ、家名に泥を塗ってしまう。それは家族を大切に想う彼女の望むところではない。社交が嫌とか、苦手とか、本音では結婚なんてしたくないと思っていても、そんな勝手は許されないし、自分のためにもならないとわかっている。ライジーアだって、普通の女性並みに幸せになりたい。そのためにはやはり、ちゃんとした結婚相手が必要なのだ。
そんな具合に葛藤しているライジーアの前では、彼女の来訪を知らされていなかったのか、レイノルズも驚愕に大きく眼を瞠っていた。
「……なぜ君がここにいる? ここは君のような箱入りの伯爵令嬢が来る場所ではない。帰れよ」
カチンときた。
ライジーアは背筋を伸ばし、クッと顎を上げ、レイノルズを見つめて言い返す。
「……わたしは女王陛下のご要望にお応えして来たの。任命書もあるわ。責任者はどなた?」
そこへレイノルズの肩を掴み、彼を押し退けるように第二の人物が扉口に現れる。
「はいはーい、責任者はこの私。スウィンでーす。ようこそ緊縛の塔へ!」
軽薄な口調でライジーアの手を取り、指先に貴婦人への挨拶のキスを落としたのは、妙齢の美女だった。とても背が高く、ほぼレイノルズに匹敵する。胸も腰も豊かで、悔しいけどライジーアは完全に負けていた。
……綺麗な人。
女性としては規格外な高身長を含めて、圧倒されるほど華やかな美人だ。同性のライジーアすら、彼女の煽情的な眼つきや艶やかな薄い唇に眼を奪われてしまう。
スウィンの美貌に気圧されていると、ずいと前に出たレイノルズが手刀でライジーアの指を握ったままのスウィンの手を叩き落とす。
レイノルズの手加減なしの一撃にスウィンが悲鳴を上げる。
「いったあい。乱暴しないでよ、この毒舌男! 自慢のお肌に傷がついたら責任取らせるわよ」
スウィンの脅しに遭うも、レイノルズは薄ら笑いを浮かべて応えた。
「喜んで取りますが?」
「冗談! 私にそんな趣味はないっ。真顔で怖いこと言わないでちょうだい」
「……」
「笑顔で凄むの禁止。それと、さりげなく腕を引っ張るのもやめて。ち、わかったわよ。離れればいいんでしょ、離れれば。ほら、ちゃんと距離をとったわよ。これでいいでしょ」
喧嘩口調で話す二人を傍で眺めながら、ライジーアはずいぶん親しいんだな、と思った。こんな風に女性を雑に扱うレイノルズなど、ライジーアは知らない。
チクリと胸が痛む。
……もしかして、レイの好きな人って、この人?
社交場では一度も会ったことがない。
レイノルズの周囲にそれらしい女性が見当たらないことに、心のどこかで安堵していた。けれど、違った。ただライジーアが知らなかっただけで、特別な相手はいたのだ。
ショックだった。とてもショックで、頭がぼうっとした。
二年前、婚約破棄を告げられた日は涙が枯れるくらい泣いて、失恋を味わった。
だけど今度はあのときと違う。底知れない喪失感と、胸が一気に重たくなるほどの絶望が押し寄せる。
……これが現実なんだ。
いくら想い続けてもレイノルズの心は取り戻せない。
ライジーアは最後まで残っていた自分の中の恋心が、パリン、と砕け散る音を聞いた。
呆気なく。本当に呆気なく、初恋が終わる。
……でも、こんなものかもしれない。
そう認めた瞬間、忘れよう、とライジーアは覚悟を決めた。
悲しいけれどレイノルズは別の人を選んだ。彼のことは忘れて、自分が幸せになれる道を探そう。胸の痛みは簡単に消えると思えないけど、いつかは癒えるはず。そう信じるしかない。
……さようなら、レイ。
もう二度と「レイ」とは呼ばない。
ライジーアは幼馴染みでかつて婚約者だった彼に心の中でこっそり別れを告げた。寂しくて、切なくて、どうにもやりきれなかったが、諦めと敗北感が勝った。
……綺麗な人でよかった。それに明るくて、いい人そう。
今はまだ二人を祝福できそうにないし、いつまでもできないかもしれないけれど、それはそれで仕方ない。でも、もしかしたら長い時間が経てば、祝福は無理でも裏切りは許せるかもしれない。
たとえば、レイノルズよりもっと素敵な人が現れたら。
ライジーアは前向きに涙をのみ、スウィンに向き合いドレスを摘んでお辞儀した。
「……ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。初めまして、スウィン様。わたしは――」
「あ、ちょっと待った」
「はい?」
スウィンに途中で遮られて、ライジーアは垂れていた頭を上げる。