疑惑は晴れたものの
「なにもするな! ジアが私たちを恋仲と認めているぞ。誤解でもなんでもないのでそのまま放っておく。彼女の認知の要因は完璧すぎる女装だが、問題ない!」
食後のお茶を飲みながら、側仕え二人と共に本日の議題内容を確認していたアズウィンは、全身から怒気をダダ漏れさせたレイノルズの登場にポカンとした。
数秒後、翻訳する。
「『どうにかしろ! ジアが私たちを恋仲と勘違いしている。さっさと誤解を解け。彼女の勘違いの原因は私の女装だ、早急に彼女の前で男と証明しろ』と、こんなところかな。なにがあったの、なんて訊かないけど、はいはい、わかったよ。今日の夕食前にでも、時間を作ろう」
そろそろ潮時だしね、とアズウィンは呟く。
その口調から、アズウィンはライジーアに『女性』だと誤認されていることを知っていたようだ。
……まるで気がついていなかった間抜けは私だけか。
ライジーアの身の回りの世話と安全に心血を注いだ結果、肝心な点は見落としていたらしい。
どれだけ無能なのか、と己を罵倒する一方で、黙っていたアズウィンを小憎たらしく思う。
レイノルズの非難のこもった冷たい視線を浴びて、アズウィンが弁解する。
「わざわざ男だと言って、ライジーア嬢が私に惚れたら困ると思ったんだよ。この美貌だし、血統もいいからね。まあ、すぐにそんな心配は無用とわかったけど、一度言いそびれるとなかなかねぇ。それに女性同士という扱いも割とおもしろ……悪くなかったから」
レイノルズは「面白い」と言いかけたアズウィンを殺気立った眼で睨んだ。
昼食まで待って、ライジーアに話しかける。
「今日、仕事が終わったら話がある」
そう告げると、驚いたことにライジーアからも同じく「わたしも話がある」と言われた。
……あまりいい予感はしない。
それでもライジーアの希望を無下になどできないので、頷いておく。
余計なことを考えないよう、集中して議事録をまとめてから、アズウィンを迎えにいった。
久々に眼にする、見慣れた姿に嘆息する。地味な装いだが、顔の造りや漂う色気が派手なので、キラキラしい空気はそのままだ。
「前もって言っておくけど、レイは私が『いい』というまで口を利かないように」
「しかし」
「決着がつくまでは黙っていなさい。いいね」
有無を言わさずやり込められる。
不承不承、頷いてレイノルズはアズウィンと側仕え二人を伴ってライジーアの部屋を訪ねた。
初め、ライジーアはアズウィンが本当に誰かわからないようで、おっとりと微笑んでいた。
……可愛いけど、頼むから、もっとよく見てくれないか。
そしてアズウィンの正体に気づかないまま挨拶し、我慢しきれなくなったアズウィンが爆笑して名乗ると、ライジーアは「ええ――っ!?」と素っ頓狂な喚声を上げた。
ついでに記憶を取り戻し、アズウィンの身分が王子殿下だと知って大パニックに陥っている。
アズウィンに「今まで通りに振る舞うように」と言われて困り、助けを求めるように視線で縋られた。
レイノルズはよほど「騙されていたのだから、怒っていい」と背中を押してやりたかったが、感情が高ぶっている今、きっと言葉は反転するに違いないので諦め、ただ頷く。
その次の瞬間、ライジーアはハッとした顔つきになった。レイノルズとアズウィンを見て、蒼褪め、よろける。血の気の失せた顔色からして、ろくでもない想像をしているようだ。
……今度はなんだ!? なにを考えている!?
胸が悪くなるような、嫌な予感しかしない。
ややあって戦々恐々と身構えるレイノルズの耳に届いた、か細い声。
「……レ、レイ、レイノルズ、は、だ、だん、男性、が、好きな、男の人、だったの?」
そんなわけがあるかー!!
今こそ声を大にして否定の言葉を叫びたいレイノルズは、憤怒に顔を紅潮させた。
ところがまたしても、立ちはだかる忌々しい呪いの壁。
「そう――」
意に反して「そうだ」と認めかけたレイノルズの口に、焦ったアズウィンが飛びつく。
間一髪、レイノルズの声は遮られる。悔しいが、助かった。
と思いきや、アズウィンとレイノルズとの関係をどう思っているのか、と質問されると、ライジーアは真面目な顔で答えた。
「恋人」
そんなわけがあるかあああああっ!!
斜め上どころか天空を突破する問題発言に、レイノルズを除く三人は腹を抱えて笑った。
ライジーアは可愛らしく赤面しつつ、「深い仲の恋人同士」だの「お似合いだよ」とかなんとか懸命に『同性愛でも大丈夫』的な応援姿勢を見せているが、ありがたくもなんともない。
……なぜそんな見解になるんだ!? どこをどう見れば、私たちが恋仲だと疑える!?
煮え滾る怒りを拳に込めて、レイノルズは壁に八つ当たりした。痛いが、どうでもいい。喚きたい。思いっきり喚きたい。私はアズウィンのことなどなんとも思ってない。私が好きなのは、君だと。君だけが大事なのだと叫びたい。叫びたいが、しかし。
……我慢だ。耐えろ。今ここで口を開けば、また大惨事になる。
レイノルズとて、少しは学習しているのだ。もう二度と、彼女に「大嫌い」などと告げたくない。
全身を震わせて諸々に耐えるレイノルズに同情したのか、側仕えたちが慰めるように肩をポンと叩く。だが癒されない。
……いいかげんにしろ。早く話せ!
レイノルズの無言の訴えが通じたのか、アズウィンは笑うのをやめ、「幼馴染みだ」と説明し、同性愛者疑惑も払拭してもらう。
素直なライジーアはアズウィンの言葉を疑うことなく信じ込み、「了解です」と頷いた。そのしぐさが妙に可愛い。するとアズウィンも同じことを思ったのか、「うわ、可愛い」と素で呟く。
レイノルズは嫉妬した。自分は思っても言えないのに、アズウィンだけ狡いだろう、と羨んでしまう。とっさに二人の間に割り込み、アズウィンの視界からライジーアを隠す。
アズウィンは「嫉妬深いなあ」という眼でレイノルズを見遣ったものの、気を利かせ、側仕えを連れて部屋を出ていく。
ようやく静かになった。
レイノルズは気を落ち着かせ、「外の空気を吸いに行こう」とライジーアを五階へ誘う。
空き部屋に入り、窓を開けてライジーアを手招く。不用心じゃないか、と心配になるほど警戒心の乏しいライジーアは抵抗もなくレイノルズの傍へ来て、窓辺に立った。
冷たい夜風が身体に充満していた熱を冷ましていく。
ところが風にあたりすぎたのか、ライジーアが寒そうに腕を擦った。
風邪をひいたら大変だ、と思い、すぐさまレイノルズは上着を脱ぎ、ライジーアに差し出す。彼女は遠慮気味に「寒くない?」と訊いてきた。「寒くないよ」と答えたつもりが、「寒い」と捻じ曲がる。感じの悪い男でごめん、と心の中で謝りながら、レイノルズはライジーアの背中を覆うように立つ。両手を窓枠に添えれば、動けないだろう。
……伝わらないかな。私の気持ちが君にあると。
すぐ間近にいるライジーアが愛おしくて、堪らない。触れたいが、触れられない距離。これがライジーアとの今の関係だ。
黙っていたら、唐突にライジーアに問い質された。「なんでスウィンのこと好きって言ったの?」なんて、レイノルズにとってはかなりどうでもいいことを真剣な調子で突っ込んでくる。「冗談のつもりだった?」と悲しげな顔をされてしまい、胸が痛んだ。
……私は君にこんな性質の悪い冗談など言わない。なにもかも、本当だよ。どうか私を信じてほしい。
そう伝えたいのに、覚悟はしていたものの、やはり紡がれる言葉は真逆で辛い。
散々な冷たい台詞を聞かされ、さぞや嫌な思いをしているだろう、と滅入ったレイノルズに、ライジーアの心配そうな声が届く。
「わたしになにか、できることはない?」