とんでもない誤解
眼に飛び込んできた光景は、寝間着に肩布を重ねただけの薄着なライジーアと最初から両手を上げて『口説いてない』と無罪を主張するアズウィン。
密会してたとはいえ、情事に耽っていたという状況じゃないことは雰囲気でわかるが、それにしても不愉快だった。
レイノルズは「私以外の男と真夜中に会うな! 襲われたらどうする!?」と叫んだつもりが、焦りと心配と嫉妬にまみれていたためか、「このバカ!」から始まる怒号に変換されてしまう。おまけにライジーアの顔をよくよく見れば、涙の跡が目立った。
それを見た瞬間、身体の奥からむくりと起き上がったのは、抑え難く、うねる怒りだ。
だが密会の理由を問い詰めてもアズウィンは口を割らず、レイノルズは激怒に身を任せて「一晩かけても吐かせてやる」と脅しをかけて詰め寄った。
するとライジーアが大きな声で「お邪魔虫は消える」とかなんとか喚いて、身を翻して部屋を飛び出していく。それがいい。これからアズウィンを締め上げるので、そんな姿は見せたくない。数秒後、階段を駆け下りる足音と乱暴に扉が閉まる音が微かに聞こえてきた。
アズウィンが扉口を見つめて注意深く耳を澄ませるレイノルズの過保護ぶりに呆れながら言う。
「心配しなくても、レイに不利になるような話はしていないよ。ただ呪われた身の上では上手く説明できないことを私が代わりに教えてあげただけさ。ああそれと、一つだけ嘘をついた」
「嘘?」
「うん。レイが婚約破棄した本当の理由を私が知っていることについて、本人の口から教えてもらったわけじゃないって。私が自分で勝手に動いて調べたんだって言っておいたから、もしこの件が話題に出るようなことがあったら、口裏を合わせるように」
レイノルズは眉根をひそめて口を曲げた。
アズウィンは不審そうなレイノルズの表情に「察しが悪いなあ」とぼやいて、面倒くさそうに続きを喋る。
「あのね、こんな重要なことを婚約者の自分が知らないで友人の私が知らされていた、なんて事実をライジーア嬢が知ったらどう思う? 普通は傷つくよ。傷ついて落ち込む。もし私が彼女と同じ立場だったら、真っ先に知らせてほしかったって、間違いなくそう思うね」
指摘されるまで思い至らなかったレイノルズは、自らの不明を恥じた。
……確かに、その通りだ。もしジアと自分の立場が逆だったら、やはり最初に知りたかったと思うだろう。誰よりも頼りにしてほしいし、力になりたいと切に願うに違いない。
相手が大切な人であればあるほど、危機には駆けつけて助けとなりたい。それができなければ、おそらく自分を責めるだろうし、相手のことも詰ったり、恨んだりするはめになる。
ライジーアが苦しむのはレイノルズにとっても本意じゃなく。
嘘とはいえ、意味のある嘘をついたアズウィンの心配りに、レイノルズは頭の下がる思いだった。
徐々に怒りの熱が引いていく。レイノルズは冷静さを取り戻して言った。
「わかった。気遣い、感謝する」
アズウィンは上げていた手を下ろして、更なる助言を与えてくれる。
「責められたときは『言いたくても言えなかった。私も辛かったんだ』と正直に謝るといいよ」
レイノルズは神妙に頷きつつ、その一方で、先程見たライジーアの腫れぼったい顔を思い出してむかつく。
……心が狭いと罵られようと、どんな理由があろうと、ジアを泣かせたことは許せない。
無言のまま、腰に隠し持っていた護身用の短剣を鞘から抜き、身構える。
そんなレイノルズを前にして、アズウィンが乾いた笑いを浮かべて問う。
「えーと、レイ? な、なにかな。その短剣は」
レイノルズはわざと慇懃無礼な口調で答える。
「厚い友情の礼に、久々に剣の鍛練に付き合って差し上げますよ」
「そんな礼はいらない」
逃げようとするアズウィンの行く手を塞ぎ、凄みを帯びた笑みを向ける。
「遠慮するな。心配しなくても、多忙な王子殿下に怪我を負わせるようなヘマはしない」
アズウィンが引き攣った顔で、よせばいいのに、図星を指す。
「とかなんとか言って、ライジーア嬢を泣かせた私が許せないだけだろ!?」
レイノルズは口角を吊り上げて笑みを深め、沈黙で答える。
そうして一晩かけて、レイノルズは嫌がるアズウィンと延々斬り結んだ。
翌朝。
いつも通りライジーアの部屋を訪ねたレイノルズは扉口に立った彼女を見て唖然とした。
……な、なにがあったんだ!?
どこからどうみても、大号泣した顔。人相が変わるほど泣くなんて、よほどのことだ。
レイノルズは気が動転し、とりあえず湯と浴布を取りに走った。厨房に駆け込み、「湯と冷水!」とものすごい剣幕で叫び、食事の支度に忙しかった料理人たちをビビらせる。
それからライジーアの顔を見られるようにするため、温めたり、冷やしたりしながら、昨夜アズウィンにどんな話を聞かされたのか探りを入れる。
……もしかしたら、話だけじゃなく、なにかされたのか?
アズウィンに限って友達の想い人に手を出すはずはない。
しかし万一のこともあると考え訊いてみると、なぜか「ごめんなさい」と謝られた。
どうでもいい理由だったので謝罪は無視し、「隙がありすぎだ」と注意する。それが「身持ちが緩い」に変換されたが、まあこちらの言いたいことは伝わっているようなのでいいか、と納得したところで、とんでもない一言が耳に突き刺さった。
「……レイノルズの好きな人に、変なことなんてできないよ」
「は?」
ドスの利いた声が喉から飛び出る。いまなんて言った。好き? 誰が誰を?
ライジーアはおどおどと続ける。
「……好きなんでしょ? スウィンのこと」
私が好きなのは君だが!?
「好きに決まってる」
どの口が言う!? 私か! 私の口かー!
「うん、知ってる。恋人、なんだよね?」
違う! 誤解だ! 恋人!? 気色の悪い冗談はよせ!!
「そうだ」
認めてどうする!?
ライジーアはショックを隠せない様子で「えへへ」と笑うが、小さな肩は震えている。
レイノルズは蒼褪めた。頭を抱える。怒りと絶望でぶっ倒れそうだ。
逆転の呪縛に悶えるレイノルズに、更にライジーアが追い打ちをかける。
「だよね。そうじゃないかな、と思っていたんだ。二人ともすごくお似合いだよ。スウィンは綺麗でいい人だし、レイノルズのこと真剣に想ってくれているから、きっと、し、幸せになれるよ」
超ド級の止めを刺して、おまけに涙を堪えた健気な笑顔まで浮かべて、ライジーアが部屋を飛び出していく。
さすがに追いかける気力はなく、レイノルズはズルズルと床に崩れ落ちる。
……待て。いま、なにがあった? なぜ、どうして、あんなひどい誤解をしている?
そうしてハタと気づく。
……まさか、アズウィンの女装を真に受けているんじゃないだろうな?
あの無駄に完璧な女装は、アズウィンを知っている身からすれば気色悪いが、もし彼を知らない人間が見れば、滅多にいない美人、と評価されても不思議じゃない。
……あんなに近くで毎日接しながら、ジアはアズウィンが男だと知らないのだ。
レイノルズはすっくと立ち、そのままアズウィンの部屋に怒鳴り込んだ。