厳しい現状
身が持たないので、裸上着の一件は忘れよう、と心に決めたレイノルズを、なにがいけないのかわからないらしいライジーアが、謝罪という形で話を蒸し返してくる。
……頼むから、刺激しないでくれ。
そうでなくとも、不埒な想像が頭から離れないのに。
レイノルズは己の邪念を必死に打ち消しながら、ライジーアには笑顔で凄んで見せた。男心の機微には疎いライジーアも、レイノルズがこの話題を嫌がっているとは察したようで、割とすんなり引き下がってくれる。
それでいい。この際、顔が怖かろうが我慢してもらおう。無自覚に男の欲を煽った彼女が悪い。……可愛いから、責められないが。
会議終了後、「なぜそこまで気合の入った女装をするのか」と不気味なほど完璧に化けたアズウィンが、ライジーアに差し入れと称して砂糖菓子を持ってきた。
アズウィンが無駄な色気でライジーアを唆し、口を開かせ、「あーん」と菓子を運ぼうとしたので、邪魔してやる。くどくど文句を言われたがレイノルズは毒味を理由に阻止し、中身を確かめてから普通に彼女へ手渡す。
……下手にちょっかいかけないで、傍についててほしい。
レイノルズはアズウィンに眼で合図し、ライジーアを託すと、厨房に下りて茶を淹れた。
夜、レイノルズが机に向かい本日分の報告書を作成していると、アズウィンがひょっこりと部屋を訪ねてきた。いつもならこの時間帯は明日の会議の準備のため忙しいはず、と不審に思う。見れば、常に二人揃っているべき側仕え兼護衛も一人足りない。
「なにかあったのか?」
レイノルズが警戒した声で問うと、アズウィンは「違うよ」と言って硝子の小瓶を机の隅に置く。
「過剰労働気味のレイに差し入れだよ。疲労回復薬。苦いけど、効くから就寝前に飲むといい」
「そうか」
「『ありがとう』だね。ところで、野暮と承知で訊くけど、ライジーア嬢と少しは進展あった?」
レイノルズはそっと視線を横に逸らした。
……進展どころか失言続きで、余計に信用を失っている。
とは言えない。言えば、アズウィンが「やっぱり援護は必要だよね」としたり顔でしゃしゃり出てくるに決まっている。そしてなにを喋るかわかったものではない。
空気を読んだのか、アズウィンは無言のレイノルズへ憐憫のまなざしを注いでくる。
「……その態度だと、世話ばかり焼いて、肝心の話はなにもしてなさそうだね」
図星である。
苦い顔をしたレイノルズにアズウィンが背を向けて言った。
「様子見をしているのだろうけれど、残された時間は少ないよ。口でうまく言えないのなら、態度で示さないと。こう言ってはなんだけど、ライジーア嬢、仕事は文句なしだけど成人女性としては勘が鈍いからね。レイも迂遠な真似はやめて、もっと直接的に接していくぐらいの気概は見せた方がいい」
「……例えば?」
問いかけられるとは思わなかったのか、アズウィンは肩越しに振り返る。やや意外そうに眼を瞠ってから、ちょっと笑って口を開く。
「怖い顔ばかりしていないで、笑ったり、照れたり、拗ねたりしてもいいんじゃないか、ってこと。たぶんレイは自重して表情を取り繕っているんだろうけど、傍から見るとかなり辛気臭いよ」
ずけずけと物を言って、アズウィンは部屋を出ていった。
レイノルズはペンを置き、椅子の背凭れに脱力して寄りかかる。眼を閉じて、アズウィンの助言を真摯に受け止め、自分なりに考えてみた。
……言葉と態度が不一致になるぞ。いいのか、それで。
ただでさえ、口では「面倒くさい」とぶつくさ言いながら、かなり好き放題している。ここが世間から隔絶された塔で王子殿下付きの役目持ちだから見逃されているものの、一般社会では、爵位持ちの男が婚約者でも恋人でもない未婚女性の身の回りの世話を焼くなど、非常識だ。
それはわかっている。わかっているがしかし、譲れなかった。
幸い、純朴なライジーアは深読みせずに甘受してくれている。だが、普通はあり得ない。
……あり得ないが、既に『災厄』という異様な怪に憑依された、あり得ない身だ。
それに今も、言葉と態度が一致しているとは言い難い。
レイノルズは、つれないことを言いながらニヤける自分を想像して気持ち悪くなった。
「笑う、か」
あの嵐の日、『災厄』と遭遇してからずっと、心の底から笑ったことがないレイノルズにとっては難題だ。
それでもライジーアが傍にいると気持ちが安らぐし、彼女の明るい瞳は心を軽くしてくれる。
ふと、思う。
会議終了がライジーアとの別れだ。すぐに社交シーズンに突入し、見合いを兼ねた舞踏会や晩餐会などの集まりが始まる。踊り、語らいながら、結婚相手を物色するのだ。
男は多少年を食っても身分や財力、権威があれば嫁探しには事欠かないが、女性は違う。適齢期を過ぎたというだけで、ケチがつく。いくらライジーアを溺愛している伯爵家でも、愛娘が『結婚相手も見つけられない、もてない令嬢』と見做されることは不本意だろう。必ず、今シーズン中に婚約までこぎつけるはず。
自分以外の、誰か他の男と。
レイノルズは拳を机に叩きつけた。ペンは跳ねて落ち、床に転がる。書類も散らかった。
……耐えられない。
内臓が焦げるような激情が沸き起こり、息が上がった。
いっそすべてをぶちまけて、ライジーアと彼女の両親に許しを乞うべきか、そう考えたことも一度や二度じゃない。
だが理性が待ったをかける。まともな親なら、人の理解の範疇を越えた怪異が粘着する男に可愛い娘をくれてやるはずもない、と思い至れば、諦めるしかなく。
そうかといって、ライジーアがこのままの自分を愛してくれる見込みはもっとない。あんなに失言を繰り返して、常に顰め面では、好かれようと思う方が図々しい。
レイノルズは失意のどん底で、それでもライジーアを想う。
……ジアは結婚について、どう思っているのだろう。
この二年の社交を見る限りでは、ライジーアと特別懇意にしている男はいなさそうだが、領地に戻った後のことまではわからない。
考えれば考えるほど悩ましく、レイノルズは悶々とした。
ややあって冷静さを取り戻し、ペンを拾う。不幸を嘆くばかりでは、事態は進まない。明日は時間を作りライジーアと話をしようと意志を固めて、おもむろに報告書の続きをやる。
そうして仕上げた報告書はすぐにアズウィンへ届け、一日の業務終了だ。
ところが、アズウィンは部屋に不在だった。怪訝に思い、レイノルズは一階に下りる。厠にもいない。夜の扉番を務める護衛に「変わりは?」と訊ねて異常がないことを確認すると、外の空気を吸いに五階へ行ったのかもしれない、とあたりをつける。
風で飛ばされても困るので、作った報告書は部屋に置き、レイノルズは上に向かった。
案の定、五階の一室の前に側仕えの一人を見つけ、安堵する。
「アズウィンは?」
「中にいますよ」
レイノルズが「入ってもいいか」と訊ねようとしたとき、アズウィンの笑い声と部屋で眠っているはずのライジーアの戸惑う声が微かに聞こえてきて驚く。
「まさか――ジアもいるのか」
「ええ。ご一緒です」
なぜ二人が? と疑問を口にするより先に身体が動いた。
レイノルズは部屋に入ろうとしたものの、側仕えが立ち塞がる。
「ちょっと待ってください。いま主人に了解を得ますんで」
「退け!」
「だから、ちょっと待てと言ってるでしょうが。主人がいいと言うまで、誰も中には通せないんです。痛い目に遭いたくなければ、さがってくださいって。手荒な真似はしたくないんですよ」
柄は悪いが腕のいい、護衛兼用の側仕えと頭に血が上ったレイノルズが声高に押し問答をしていると、扉が開く。
レイノルズは側仕えを押し退けて中に飛び込んだ。
「ジア!」




