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大嫌い、からの逆転  作者: 安芸
解答編
26/33

世話役は譲れない

 それから五日間、ライジーアは仕事に没頭した。その集中力は凄まじく、レイノルズも呆気にとられたほどだ。速記者として優秀、と評判に違わず、二日目にはアズウィンの補助もいらなくなる。

 脇目もふらず資料を読み漁り、出席者たちを掴まえては声質や話し方の癖、発音など記憶し、清書は教えた通り一糸乱れぬ文字で、議事録は完璧に仕上げる。


 レイノルズはここに至るまでのライジーアの努力を思って、胸が熱くなった。一度やり始めたことは、一途に頑張る彼女のことだ。妥協を許さず、どこまでも真剣に学んだのだろう。そうでなければ、こんな熟練の書記のような仕事はできない。


 ……君のこういうところが好きだよ。


 健気で、ひたむきで。


 ……口に出しては言えないけれど。


 一心不乱に過去九年分の議事録を読み耽るライジーアの小さな背中を見つめ、切なく焦がれる想いを注ぐレイノルズの横で、アズウィンが無粋なことを言う。


「いいな」

「なにが」

「ライジーア嬢。今回限りの代理にするには惜しい。ぜひ、今後とも協力してもらいたいな」


 ……そう言い出すと思った。


 レイノルズは思いっきり嫌そうな顔でアズウィンに眼を遣った。

 長い付き合いだからわかる。一度こう言い出したら、よほどの事情がない限り、後には引かない。


「むりやりはよせ」


 努めて冷静に牽制しておく。アズウィンは軽い調子で応じる。


「わかってる。本人の意思を尊重した上で、然るべき対応をさせてもらうよ」


 やり手のアズウィンに眼をつけられたとも知らず、ライジーアはひたすら黙読した。


 寝食を惜しむライジーアが心配で、レイノルズはあれこれと世話を焼いた。

 食事をしようとしないライジーアの口元へ、一口大にちぎったパン、細切れにした肉や魚、野菜をゆっくりと順に運んで食べさせる。


 湯浴みの手伝いはさすがに無理だったので、せめて顔だけでも、と温めた(タオ)()で目元や額、頬、鼻筋、顎、と順に拭く。ライジーアはむずかったが、かまわず続けた。


 就寝時間をだいぶ過ぎても一向に眠ろうとしないので、強制的に文書を没収し、着替えを命じる。ベッドに参考資料を持ち込もうとしたので、それも没収し、寝かしつけた後、角灯(ランタン)の火を消す。抗議の声が上がったが無視した。


 無茶して身体を壊しでもしたら、本末転倒だ。自分が傍についていながら彼女が寝込むなど、あってはならない。


 そんな具合にレイノルズは付きっきりでライジーアの面倒をみた。

 書記としての務めとアズウィンの側近としての役割。二重の仕事に加え、ライジーアの世話があれば時間などいくらあっても足りない。レイノルズはとても忙しかった。


 見かねたアズウィンから、「部屋の掃除くらい、側仕えに任せればいい」と言われたが、断る。


「ジアをよく知りもしない赤の他人の手に委ねるなんて、できない」


 するとアズウィンは、「まるで子煩悩な母親のようだね」とからかうように笑ったが、レイノルズがクソ真面目な調子で「悪いか?」と言い返したら、絶句していた。


 ……どう思われてもかまうものか。ジアのためなら、なんでもする。


 そんな気持ちで彼女を支えながら、五日間が経った。

 ライジーアは我に返った瞬間、この五日間の記憶がないと言ってうろたえたが、レイノルズが動じなかったので、おとなしく食事を続けた。厨房へ料理を取りに席を外した隙をついて、アズウィンがライジーアに余計なことを話したようで詫びと礼を言われる。


 ……そんなに申し訳なさそうな顔をしないでくれ。


 迷惑だと思われなければ、それで十分だ。

 言葉にこそできないが、レイノルズは好きでライジーアの世話役を買って出ている。

 実際のところ、自分がしなければ他の誰かがやるわけで、それは少し考えただけでもざわりと胸が騒いだ。形容しがたい黒い感情が這い上ってくる。

 

 ただでさえ、この狭く窮屈な、閉鎖された塔に突如現れた、若く可愛いライジーアは注目の的だった。アズウィンが「彼女は私の知人なんだ」と暗に『手出し無用』を宣言してくれなければ大変なことになっていただろう。主にレイノルズが。


「レイノルズ様! 湯浴み用の湯を運ぶぐらい、俺がやりますよ」

「いえ、それは私が。側仕えの仕事ですから」


 そう声をかけてきたのは、どちらも真面目で仕事熱心な男たちだが、如何いかんせん、若い。おまけに塔に来てまだ日も浅く物慣れていないライジーアを心配しているのか、チラチラと様子見をしていることを、レイノルズは知っていた。

 レイノルズは湯を張った大きな盥を持ちながら、二人に微笑みかける。


「ありがとう。気持ちだけいただいておくよ」


 逆転の呪縛がなければ、「不用意に近づいたら、ただではおかないよ」とやんわり脅し文句を言えたのに、残念な。


 ……本当に油断も隙もない。


 ムカムカしながらライジーアの部屋に戻れば、驚いたことに、彼女が泣いていた。

 レイノルズは「なにかあったの?」訊こうとした矢先、ライジーアに「こっちに来ないで」と拒まれてしまう。

 ライジーアが「顔を見られたくない」と言うので、レイノルズは上着を脱ぎ、彼女の頭に被せた。顔を見ないように横抱きにしてベッドまで運ぶと、混乱した口調で「わたし、重たいのに!」と叫ぶ。


 ……重いわけがないだろ。君一人ぐらい、その気になれば担いで走れる。


 だが案の定、口をついて出た言葉は正反対で、レイノルズは内心頭を抱えた。女性に対し「重い」と言うなど罵詈雑言のなにものでもない。男として、恥である。


 ……くそっ、またか。これじゃあますます嫌われる。


 だったら口を利かなければいいものを、と思うのだが、ライジーアの傍にいると、それもなかなか難しい。どうしてか、優しい言葉をかけたり、触れたり、構いたくなるのだ。


 なにをされるのかとびくびくするライジーアに「足を貸せ」と告げ、やや強引にではあったが、彼女の足を湯で丁寧に洗ってやる。最初は怒っていたライジーアも徐々に落ち着きを取り戻す。


 ……もし困ったことや辛いことがあるなら、私に話してほしい。自分だけで抱えず、頼ってくれ。必ず君の力になるから。だから、一人で泣かないで。


 そう慰めたい気持ちも、やはりひねくれた言葉に変換される。

 ライジーアはなんて思っただろうか。よくは思わなかったに違いない。涙を流して泣くほど辛く、悲しんでいるというのに、「泣かれると面倒くさい」なんて冷たく突っ撥ねる男、誰だって嫌うに決まってる。

 レイノルズは自分に嫌気がさした。恥じる気持ちでいっぱいのままライジーアの部屋を出る。


 ……とうにわかってはいたが、この呪縛は心を抉る。


 感情とは真逆の言葉を強制される屈辱。苦しみ。この憤りをどう晴らせばいいのかわからない。


 ……陰惨な呪いだ。


 先に待つ結末は、悲劇しか想像できない。それもすぐ間近に迫っている。ライジーアは遅くとも来年の誕生日を迎えるまでには、新たな婚約者を決めているだろうから。

 レイノルズは荒んだ心境で残っていた仕事に始末をつけると、倒れるように眠った。



 翌朝、ライジーアが起きた気配を見計らって洗顔用の水を汲み、桶を持っていく。使用した(たらい)を片付けようとしたとき、貸した上着を返すと声をかけられた。昨夜の去り際の気まずい空気を思い起こされるのが嫌で、つい「着て遊んだりしなかっただろうな?」と軽口を叩くと、ライジーアの顔が真っ赤になった。この反応にはレイノルズの方が驚いた。


「……着たの?」

「……ちょっとだけ」


 恥ずかしそうに頬を赤らめ、眼を伏せるライジーアが愛くるしくて、微笑ましい。

 ここまでなら、まだ耐えられた。

 だが続きがあり、信じられない台詞が返ってくる。


「でも湯浴みした後で裸の上に着たから、大丈夫。汚してないよ」


 一瞬、頭が真っ白になった。

 理性や自制心がどこかに吹っ飛んで、ライジーアの白い裸身と、素肌にぶかぶかだろう自分の上着を着用した姿を想像してしまい、悶絶する。


 ―ーなんだ、それは!? 可愛すぎるだろう!? 私を殺す気か!?


 抑え難い劣情を催して、一気に顔が火照る。


 ……まずい。まずい。まずい。めちゃくちゃに甘やかしたい。


 レイノルズは人格崩壊寸前の危ういところで踏み止まり、無防備にしょぼくれるライジーアを涙目で睨み、「男をからかうな」とだけ注意した。

 上着は「返却不要」と突き返す。


 ……少しもったいなかったか、とチラッと思ったことはレイノルズだけの秘密だ。


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