呪縛
ライジーアと不本意な破局を迎えて以降、レイノルズは屋敷の書庫に引き籠っていた。
とにかく、あの黒髑髏について調べ、一日も早くこの呪いじみた悪影響を取り除かねばならない。そしてライジーアの誤解を解くのだ。それも早急に。他の男に奪われる前に、なんとしてでも。
寝食を惜しんで文献を漁るレイノルズを、社交シーズンを目前に控え、緊縛の塔から秘密裏に帰還したアズウィンが訪ねた。
「ライジーア嬢と婚約破棄した? レイ、気でも狂ったの?」
アズウィンは、傷心のレイノルズの口を強引に割らせ、開口一番そう言った。
まじまじと顔を見られ、レイノルズは神経を逆撫でされてイラッとし、言い返す。
「婚約破棄ぐらい、どうってことない。あの程度の令嬢ならすぐに代わりが見つかる」
口を開けばこのざまで、レイノルズの内心はこうである。
『婚約破棄したくてしたわけじゃない! ジアは誤解しているんだ!』
アズウィンは妙だな、という顔をした。納得がいかないのか、首を横に傾げて訊ねる。
「ふぅん。それ、本心?」
「もちろん、そうだ」
「だったら、私がライジーア嬢に言い寄ってもいいわけだ?」
反射的に気色ばみ、レイノルズはアズウィンに掴みかかっていた。
アズウィンは打てば響く反応で怒りをあらわにしたレイノルズの手を軽くはたく。
「……はいはい、冗談だよ。その様子だと、婚約破棄はしたくてしたわけじゃない、という理解で合ってるかい? ああ、返事はしなくていいから、合ってるなら頷いて」
レイノルズは忌々しそうにアズウィンを睨むと、彼の胸元から手を放し、一つ頷く。
アズウィンはよれた襟元を直し、空いている一人掛けのソファに適当に腰を下ろした。
「これから私が幾つか二者択一の質問をするから、『はい』だったら頷いて。『いいえ』だったら動かなくていい。了解?」
レイノルズは不機嫌面で頷く。
アズウィンは「耳は正常」と声に出して呟くと、些細な変化も見逃すまい、という眼でレイノルズを凝視した。
「では始めよう」と言って、アズウィンは次々に質問事項を上げていく。
頭は正常か、意識はあるか、喜怒哀楽の感情は持ってるか、身体の自由は利くか、記憶は確かか。
レイノルズはこれらすべての問いに頷いた。
「どこか悪いと思うところは? あるなら指で示して」
迷わず、口を指す。アズウィンも予想済みという調子で続ける。
「だろうね。思うように話すことはできる?」
レイノルズは動かない。
「できないわけね。では、普通に話すことは無理?」
レイノルズは動かない。
「不可能ではないのか。だったら、普通に話せるときと話せないときの違いの原因に心当たりは?」
レイノルズは動かない。
アズウィンは肘掛けに肘をつき、頬杖をついて眼を瞑る。しばらく黙考すると、瞼を開けてレイノルズをジロジロと見た。
「――レイ、なにか妙なもの拾わなかった? 祟りか、呪いか、悪霊か、憑き物か……そういう類のもの。隠してないで言いなよ」
ズバリと核心を突かれる。探るような強い視線に抗えず、レイノルズは渋々ながら胸の痣をアズウィンに見せた。ついでにこうなった経緯も説明する。
話を聞き終えるとアズウィンは険のある眼でレイノルズを睨み、荒々しい語気で言った。
「そんな目に遭っておきながら、なぜすぐに助けを求めてこないんだ。私はなあ、自分に都合のいいときだけ親友面するつもりはないぞ。困ったら、とっとと私を呼べ! 力になってやる」
アズウィンは本当に怒っているらしく、すごい剣幕でまくしたてられた。
レイノルズはその勢いに圧倒され、たじたじとなりつつ弁解する。
「いや……万一のことを考えたら、近寄ってはまずいかと思って」
「そういうのを、いらぬ気づかいと言うんだ。つべこべ言わずに一緒に来い。公爵家の総力を挙げて原因究明してやる」
その言葉に違わず、アズウィンは即時行動を起こした。
まず事件現場に放置してきた黒い骨を回収させ、心霊・怪奇現象や呪術などに詳しい研究者を集めて骨の調査に当たらせる。次に、公爵家の書庫はもとより、王宮書庫、国立図書館へ人を遣り、関連文献を捜索させ、古本収集家や珍本奇書の解読を趣味とする好事家などにも声をかけ、手広く情報収集を行う。他にも、歴史研究家や医療関係者に、過去にも同様の事例がありはしないか、また襲われた者の診療記録などは残っていないか、など情報提供を呼びかけた。
丸二年かけて調査した結果、黒髑髏は少なくとも一五〇年以上前から出没し、憑依しては人々を苦しめていた。被害に遭った者の体験手記、その家族や知人の手記、相談された医者や神秘学者たちによる研究記録などから判明した事実によると、黒髑髏は愛した女性に裏切られた男の死霊で、得られなかった真の愛を求めて徘徊しているらしい。
狙われるのは、愛する人がいる者。愛の真偽を試すため、感情に相反する言葉を強制し、混乱させ、破局の種を植えつける。呪縛から解放されるためには、愛する人から愛され、口づけを受けなければならない。そうでなければ、いつまでもそのままだ。
そしてこの事実を知ると、救済者となる資格を失う。
また、解放を宣言して失敗すれば、逆に取り憑かれる。
己に非がなくとも降りかかる不幸は、いつしか『災厄』と呼ばれるようになった。
「残酷すぎて、胸糞悪くなる」
調査結果に、アズウィンが毒づく。
「ある日突然、本当の気持ちが真逆の意図として伝われば、揉めるに決まっている。事情を説明したくとも、打ち明けてしまえば救済の道が断たれるとは、質が悪い。ええい、くそっ」
なんとかしてやりたくとも、自分ではどうにもならない。と苛立ちを募らせるアズウィンに、レイノルズは報告書の一部分を指して言った。
「――だがここに、『感情を抑えれば逆転の強制力も抑えられる』と書いてある。私は、できるだけ感情を殺すように努めるつもりだ」
アズウィンは痛ましいものを見る眼を向けてくる。幾分ためらってから、訊いてきた。
「ライジーア嬢のことはどうする。……諦めるの?」
レイノルズは顔を顰めた。感情を殺すと宣言したばかりなのに、ライジーアが関わるとどうしても冷静でいられない。
ライジーアと別れてもう二年が経った。
彼女が一六歳でデビューを果たした社交シーズンは、『婚約破棄直後で傷心のため』という理由で新たな縁談は断っていたようだ。
一七歳のときは、伯爵家の力とアズウィンの口添えもあり、裏から手を回してライジーアに近づく有力者たちへ悉く牽制をかけた。ときには実力行使で邪魔もした。他の男に微笑みかけている姿は、嫉妬ではらわたが煮えくり返った。
ある夜会では、眼が合ったら逃げられて、思わず追っていた。温室へ飛び込もうとしたので、慌てて引き止める。ライジーアは知らないだろうが、この手の夜の集まりは不埒な誘惑が多く、温室などは格好の密会場所だ。うっかり踏み込めば大惨事になる。或いは、口止めと称して引きずり込まれるだろう。
無垢な彼女をそんな目に遭わせてたまるものか。
だが例によって逆転の呪縛がレイノルズを苦しめる。
危ないから近づかないで、と伝えたいだけなのに、口から漏れるのは意地悪と侮辱の言葉。
案の定、ライジーアは怒って去ってしまう。
……こんなざまでは、愛する人に愛されて口づけを受けるなど、不可能だ。
レイノルズは途方に暮れる。
打つ手がないまま、ライジーアは一八の誕生日を迎え、社交シーズンは目前に迫っていた。