私は君に恋をしている
レイノルズには幼馴染みが二人いた。
一人は生まれる前からの、可愛い可愛い婚約者。二歳年下の女の子、ライジーア。
もう一人は、五歳のとき父と出席した王宮の園遊会で出会った、アズウィン殿下。
もちろん、あらゆる意味で会って楽しいのはライジーアだ。いつだって手放しで訪問を歓迎してくれるし、どこへ行くにもついてくるので可愛くて堪らない。手土産の花や本、お菓子をあげると無邪気に喜び、おやつは「あーん、だよ?」と勧めると素直に口を開けてくれるのでちょっとした餌付け気分さえ味わえる。昼寝のときは腕枕で添い寝をしてあげると、軽い重みが心地よくて、ついつい一緒に眠った。花冠を作って被せてあげたときは、ずっとクルクル回っていた。
あどけない笑顔で全幅の信頼を寄せてくる小さな婚約者に溺れ、独占欲と執着心が湧くのはすぐのこと。
ライジーアはレイノルズ自慢の『素直な可愛い婚約者』だったのだ。
伯爵家の跡取り息子として育てられたレイノルズは、幼少より冷めていた。基本的に大人の言うことをよく聞く、模範的な貴族の子息を演じていた。常に二〇人以上の家庭教師から学んで教養を身につけ、父と親しい騎士から基礎運動や乗馬、武芸実技の訓練を受ける。宮廷作法や社交術は特に念入りに時間をかけて習得した。
どれもこれも、ライジーアと一日も早く結婚するための努力だ。目標は、彼女が社交界デビューを無事果たし、デビュタントとして女王陛下にご挨拶し、成人と認められた直後がいい。それまでになんとしても彼女の父から結婚の許可をもらえるよう、人間的に優れ、社会的に認められた男になる必要があった。
父は「そう急がなくとも、おまえの婚約者なのだから」と暢気に構えているが、レイノルズは「甘い」と睨んでいた。ライジーアは年を追うごとに綺麗になっていく。曰く、「レイに相応しい淑女になるの!」と頑張った成果らしく、それ自体は理性が吹っ飛びそうになるくらい嬉しいのだが、如何せん、他の男の眼を無駄に惹く。これが腹立たしい。ものすごく腹立たしい。
なにより油断できない相手が、アズウィンだった。
ウェブリー公爵の第三子で、王位継承権第五位。王太子直系の由緒正しき血筋。正真正銘の王子殿下だ。それも同い年な上、徹底した王族教育を受けてきただけあって、頭脳は明晰、剣術も「守られる身でありながらなぜそこまで!?」と思えるほど腕が立ち、高貴な身分にありがちな高慢さや我儘も見られない。華やかな容姿に人好きのする天性の朗らかさは人望を集め、表向きは、たいした人気者である。
そのアズウィンが、レイノルズが溺愛する婚約者に一目会わせろとうるさい。
適当な理由をつけては断り、適当な理由がなくても「嫌だ」の一点張りで断り続けたが、ついにあるとき、「会わせないと押しかける」といい笑顔で脅迫された。
アズウィンとは、初対面が五歳。王家主催の園遊会へ父と一緒に参加したものの、これが思った以上につまらなかった。
優雅で退屈な会も半ばに差しかかったとき、ちょっとした騒ぎが起こる。子供同士の喧嘩だ。レイノルズは関わり合いになるつもりなどなかったので、そっとその場を離れようとしたのだが、頭に血が上った一人がテーブルに残っていたケーキを皿ごと投げた。それが運悪く、アズウィンへと飛んでいく。咄嗟に、身体が動いた。気が付けばアズウィンを庇っていて、生クリームがべったりと服を汚している。場は、シン、と水を打ったように静まり返った。
レイノルズは表情一つ変えず、騒ぎ立てなかった。
「見苦しい格好になりましたので、本日はこれで失礼させていただきます」
五歳児にしては可愛げのない挨拶をして、その場を辞す。すぐに父も後を追ってきた。
「殿下を庇うとはよくやった。それに文句一つ言わず、我慢したのは偉いぞ」
感心したように褒める父の顔は誇らしげである。
だがレイノルズは「早退するいい口実ができた」程度のことしか思わなかった。
後に王家の園遊会で騒ぎを起こしたと責任問題が取り沙汰されたが、一番被害を被ったレイノルズの「子供同士の喧嘩です。大人が目くじらを立てなくてもよいのではないでしょうか」という一言を主催者側が受け入れ、おかげで処罰される者はなく、伯爵家、及びレイノルズの評判は格段に上昇した。
そしてこの園遊会での出来事をきっかけに、アズウィンとの接触が増えた。ことあるごとにレイノルズを呼び出したり、伯爵家を訪ねてきたり、遊びに、勉強に、社会見学に、茶会に、狩猟に、武術稽古に、乗馬に、悪巧みに、はたと気が付けばアズウィンの公務の一端を担い、面倒な雑用を押し付けられていた。
レイノルズが一五のとき、庭の木陰でライジーアに求婚した。
「一六歳になったら、私の花嫁になってくれる?」
ライジーアは最初ポカンと口を開け、みるみるうちに真っ赤になると、「はい」と小さく頷いて、瞳を潤ませながら嬉しそうに笑って言った。
「わたし頑張って早く大人になるから、他の人を好きにならないで待っててね」
あんまり可愛いことを言うので、つい、抱き寄せてしまった。
「……ならないよ。君の他に誰も、好きになんてならない。私は君に恋をしているのだから」
そう言ってレイノルズが笑いかけると、ライジーアから「わたしもレイのことが大好き」と不意打ちで囁かれ、危うくその場から攫いたい衝動に駆られたほど参った。
アズウィンに牽制の意味を多分に込めてその旨を報告すると、「何度も言ってるけど、そろそろ私にも紹介してほしいね」と再三に渡り、要求された。
このときも断るつもりだったのに、アズウィンに先手を打たれる。
「会わせないと押しかける。いいの?」
「よくない」
「じゃ、会わせて。大丈夫、レイの最愛殿に手を出すほど、私は命知らずじゃないよ」
「……一度だけだからな。あと、ジアに色目を使ったり、余計なことを言ったら、私とは二度と会えないと思え」
暗に、友達辞めてやる、と告げておく。
人当たりよく、人に好かれやすい性質の割に、アズウィンは周囲に人を置きたがらない。レイノルズの知る限り、愛称で呼ぶのも、隙を見せるのも、ぐうたらな態度で接するのも、自分だけだ。
「それは困る。レイに捨てられたら私の公務は誰がやるんだい」
「自分でやれ!」
「わかってる。冗談だよ。安心しなさい、親友の婚約者に挨拶するだけだから」
「誰が親友だ」
「え? レイだよ。私、他に友達いないしね。取り巻きはたくさんいるけど」
平坦な調子でサラッと己の立場の難しさを暴露するアズウィンに、上手い返し言葉が見つからず、レイノルズは渋面のまま、彼の予定表の空きを確認した。
そして来る日、アズウィンとライジーアを引き合わせる。
アズウィンは髪を綺麗に後ろに撫でつけ、いかにも『人気者の王子殿下』という一部の隙もない格好で颯爽と現れた。人タラシの甘い笑顔を浮かべて、優雅に身を屈め、ライジーアの手を掬って指先に軽く口づける。
「ようやくお目にかかれましたね。我が親友の最愛殿」
レイノルズは、やりすぎだ! と内心でアズウィンを罵る。
ライジーアの反応が心配でハラハラしながら眼を遣れば、彼女はキラキラしいアズウィンに見惚れていた。だがアズウィンの身分を知ると、面白いくらい動揺し、跪いて臣下の礼を取る。
その後はぴったりとレイノルズから離れず、アズウィンに惹かれた様子もなかったので、「さすがは私のジア」とひそかに惚れ直す。アズウィンもライジーアの距離の置き方が王族に対する礼儀に適っていると認めた上で、「素直そうな、いい子だね」と褒めていた。
どうやらアズウィンはライジーアを気に入ったようで、「彼女ともぜひ友達になりたい」と言い、やたらと彼の屋敷に招待したがったが、レイノルズは凍てつく笑顔で却下した。
やはり一日も早く結婚しよう、と日々決意を固めながら、その日を迎える。
ライジーアの一六歳の誕生日が近づき、社交界デビューも迫っていた。両家の内々の話し合いで、ライジーアが無事成人した暁には、一年以内に結婚式を挙げられるよう、準備を進める方向で意見がまとまった。事件が起きたのは、それから間もなくだった。




