相思相愛と大嫌い、からの最愛
レイノルズも小さく息を吐き、身体の力を抜いて微笑む。
「ああ……ありがとう。スウィンにも色々世話になったね。感謝してるよ」
すると途端にスウィンはげっそりした顔つきになって、苛立たしげに前髪を掻き上げた。
「うわ、その穏便な口調。早速猫かぶりかー。ライジーア、ちょうどいい機会だから教えてあげる。この男、あなたの前の顔と普段の顔と別物だから。極端に違うから」
「どう違うの?」
「優しくない。優しいのはライジーアだけ――って、痛いな! なにするんだよ、もう」
レイノルズはにこやかに微笑みながら、スウィンの額を中指で弾いた。
「いや、虫がいたから」
「嘘つけ」
「あれ、もう一匹見つけた」
「よさないか!」
慌てて逃げるスウィンにレイノルズが「フン」と鼻で嗤う。
ライジーアは、仲良しさんだなあ、とほのぼのした気分で二人を眺めつつ、クスクス笑う。
スウィンは途端にばかばかしくなったのか、二人の側仕えに合図して踵を返した。
「明日も早いし、私はお先に失礼するよ。二人も適当に切り上げて休みなさい。じゃあね」
「スウィン、ありがとう!」
「こちらこそ、助かったよ。私の親友を末永くよろしく」
小粋に片目を瞑ってスウィンが立ち去る。
屋上の扉が音を立てて閉じると、静かになった。
ライジーアはもぞもぞと身動ぎして、レイノルズから離れようとしたのだが、彼は絶妙な加減で腕に力を入れ、拘束を解いてくれない。
「あの……は、離して?」
「可愛いから嫌」
「か……」
ライジーアは絶句した。蕩けそうな甘い瞳で見つめられ、体温がぐんぐんと急上昇していく。
「耳まで真っ赤。ああ可愛い。可愛すぎて困る。抱き潰してしまいたい」
そこでチュッと頭のてっぺんにキスを落とされて、ライジーアは悶える。この二年間の『冷たく意地悪なレイノルズ』からの豹変っぷりに、とてもじゃないが、心臓がもたない。
……でも、温かい。
ライジーアはちょっと首だけ上向けて、レイノルズに訊ねた。
「結局、『災厄』ってなんだったの?」
レイノルズはあまり答えたくなさそうだったが、それでも教えてくれた。
「黒い骨の死霊……昔、愛した女性にとても残酷な裏切りをされた男の成れの果て、みたいでね。あちこちうろついては誰かに憑依して、愛が満たされたら離れて、また別の人間に憑く。そんなことをずっと繰り返している。自我のない、ただ、ひどく恨む気持ちだけが強く残っていたな」
「……なんだか可哀想だね」
思わず同情してライジーアが眉尻を下げると、レイノルズは溜め息を吐いて首を横に振った。
「なんの関係もないのに、とばっちりを受けた私や君の方が可哀想だよ。おかげで二年間も君に嫌われて過ごした。ひどい話だ」
それもそうかも、とライジーアは思い直す。そしてレイノルズの胸を手で押して上半身を起こすと、二年前の心ない対応をもう一度謝った。
「――婚約破棄した日、いつものレイじゃないって気づいてあげられなくて、ごめんなさい」
「君が謝ることじゃない。どうしようもないことだった。私の身に起きたことがなんなのか、さっぱりわからなかったのだから。両親でさえ、急に口汚くなった私を持て余したくらいだ。他にどんな悪影響があるか見当もつかなくて、とにかく原因が究明されるまではしばらく会わない方がいいと思った。それで君に事情を説明に行ったら、『婚約破棄』なんて言葉が飛び出て驚いたよ」
「わたしもびっくりした」
「びっくりさせてごめん。本当に悪かった。あのときの君の泣き顔は眼に焼き付いている……どうか一生かけて償わせてほしい」
ライジーアは「ふふ」と笑った。
「仲直りね?」
「君が許してくれるなら」
「もちろん許すよ。だってレイは悪くない。被害者だもの」
本当のことを言っただけなのに、レイノルズは泣きそうな顔をして、両手でライジーアの頬を包み、額をコツンと合わせた。
「君は私に甘いよ。もし私が君に『婚約破棄してください』なんて言われたら、きっと気が変になる。絶対に許さないし、逃げられるくらいなら――いや、やめておこう」
途中で言葉を切ったレイノルズは、ちょっと悪い顔になっていた。
だがすぐに甘い笑みを浮かべて、ライジーアの目元に唇を寄せる。まるで二年間の空白期間を埋めるように、惜しみなく好意を伝えてくる。
「今、私はとても嬉しいんだよ。最高に気分がいいんだ。なぜかわかる? あの化け物から解放されただけじゃない。君が私を好きって言ってくれた。てっきり君には嫌われたとばかり思っていたのに――まだこんな私を想っていてくれたなんて、信じられなかったよ。ありがとう、ジア」
レイノルズがあんまり幸福そうに笑うので、ライジーアの脆い涙腺はあっさり決壊した。ポロポロと眼から涙が溢れ、止まらない。
……しつこく片想いしていてよかった。
この恋を諦めないで本当によかった。
心からそう思ったらますます涙が止まらなくなり、ライジーアは本格的に号泣した。
涙と鼻水でグチャグチャになり、かなりみっともない顔だと思うのに、レイノルズの眼は節穴のようで、「可愛い可愛い」と呪文のように耳元で囁かれ続けた。
ようやく涙が引っ込むと、レイノルズは「よしよし」と頭を撫でて、ハンカチで顔全体を拭き、背中をポンポンと叩いてくれた。
「落ち着いたところで、聞いてくれる?」
「うん」
レイノルズに、そっと手を握られる。
ライジーアはそれだけで全身が温かくなった。
「君の求婚を受けるよ」
「レイ……!」
「だけど一度婚約破棄をしているし、私は君のご両親を怒らせている。両家の仲も断絶したままだから説得しなければいけないし、爵位継承の件で煩雑な手続きが必要になる。まあそっちはアズウィン殿下のお力を借りるとして、とにかく、多少の時間はかかると思う。それでも必ず私は君を妻にする。今度は私が君に正々堂々、結婚を申し込みに行く。それまで待っていてくれる?」
声にならないほど嬉しくて、せっかく止まった涙がまた溢れてしまう。
……わたし、こんなに泣き虫だったっけ?
自分の知らない自分を発見しつつ、ライジーアは小声で「ずっと待ってる」と返事した。
レイノルズが満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう。君の最愛ケーキを食べられる日が、今から楽しみだな」
「えへへ……が、頑張って、おいしいケーキが作れるように練習しておくね」
思わず照れて、ライジーアは泣きながら笑って言った。
レイノルズも嬉しそうで、あまり見たことがない無邪気な笑顔を返してくれる。
……うわ、可愛い。
破壊力抜群の好きな人の笑顔にやられて、ライジーアはすっかりのぼせてしまう。
そんなライジーアの心情には気づかないようで、レイノルズは月の位置を横目で見遣り、残念そうに言った。
「名残惜しいけど、そろそろ私たちも部屋に戻ろうか」
「そ、そうだね。明日は最終日だし、ががが、頑張ろう!」
「ん。頼りにしてる」
サラッと告げられた一言は、ライジーアの初日の誓いが叶った瞬間だった。
「ほ、本当に言われちゃった……」
「なに?」
訊き返してきたレイノルズに「なんでもない」と答えつつ、ライジーアはかなり満足だった。
レイノルズがゆっくりと先に立ち、ライジーアの手を取って立たせてくれる。そのまま手を繋いで歩き始める。レイノルズの手は大きくて、ライジーアの手を完全に包む。安心感たっぷりだ。
つい、ニヤニヤしてしまう。
「ジア」
優しい愛情のこもった声に呼ばれ、ドキッとして上を向くと、レイノルズの唇が額に触れた。
「愛してる。私の最愛」
これにて本編完結です。次話から視点変更の解答編を数話UP予定です。




