後ろから不意打ちと唐突な質問
レイノルズだけが部屋に居残り、沈黙が落ちると、途端に落ち着かなくなる。
ライジーアが二人きりを意識してソワソワしていると、レイノルズは少し冷静さを取り戻したのか、険悪な空気を和らげて言った。
「……外の空気を吸いにいこう。おいで」
手に角灯を持ったレイノルズの後を、ライジーアは素直についていく。
五階の空き部屋に入り、鉄製の壁掛け鉤に角灯をぶら下げると、レイノルズは掛け金を外して、窓を開けた。清涼な空気が一陣の風となって舞い込む。
ライジーアはレイノルズに手招かれて、窓辺に寄った。冷たい風が火照った肌に心地いい。気づかなかったけど、いっぺんに色々聞かされたせいで、ちょっと興奮状態にあったようだ。
しばらく風にあたっていると、寒くなった。ライジーアが思わず肩を丸めたところ、衣擦れの音がして、レイノルズに声をかけられる。
肩越しに振り返れば、レイノルズは脱いだ上着を差し出していた。
「風邪をひかれても面倒だ。着ろよ」
「でも、わたしが上着を借りたら、寒くない?」
「寒い」
だったら窓を閉めよう、と言いかけたところ、先手を取るように、レイノルズは自分の上着を強引にライジーアへ羽織らせて、そっと彼女の後ろに立った。
「だが……こうすれば、少しはましだ」
ライジーアの背後から覆いかぶさるように、レイノルズは窓枠に両手をかけて佇む。絶妙に近いが、触れてはいないギリギリの距離。もし今誰かが部屋に入ってきたら、レイノルズがライジーアを後ろから抱きしめているように見えるだろう。
……えええええ!? な、なんでこの体勢!?
不意打ちで、ドキドキする。危うく、心臓が口から飛び出るところだった。少し動けばくっつきそうで、すごく緊張する。骨ばった長い指とか、硬そうな腕とか、無駄に眼がいく。男の人なんだって意識したら、血が逆流しそうになった。もう今だけ石になるしかない。
ライジーアは「わたしは石、わたしは石」と心の裡でブツブツ唱えながら、また上着を借りちゃったな、と申し訳なく思う。その上着にはほんわり温もりが残っていて、レイノルズの匂いもした。ちょっと嗅ぐと、漂う香りは爽やかで、嫌味がない。
……香水をつけているとは思えないから、石鹸の匂いかなぁ。
そんなことを考えていたら、無性に恥ずかしくなった。黙っているのも気詰まりになってくる。注意を他に逸らそうと夜空を眺め、月を探すが、あいにく雲に隠れているようで見えない。
心臓の動悸は速くなるばかりだし、レイノルズの呼吸音すら気になって、ライジーアは内心とても焦りまくりながら、「なんでもいいからなにか話題!」と回転のよくない脳を叱咤する。
「そそそそそ、そういえば! 朝、なんでスウィンのこと好きって言ったの?」
「……それを今聞くか?」
「だって気になるよ。わたしが『恋人なんだよね?』って訊いたとき、すぐに否定してくれれば変な誤解なんてしなかったのに。それとも、冗談のつもりだった?」
それはそれで嫌だな、と思う。
ライジーアの知るレイノルズは、人を傷つけるような冗談を言ったりしない。
ややあって、レイノルズが重い口を開く。
「……私は君に、冗談しか言わない。なにもかも、嘘だ。だから、私の言葉を信じるな」
言っていることはひどいのに、地を這う声は辛そうだ。
ライジーアは身を捩って、レイノルズを見上げた。
目前にあるレイノルズの顔は、迷子のように頼りなげな表情を浮かべていて、暗い瞳は葛藤を滲ませ、苦しんでいる。
だがライジーアが手を伸ばして触れようとすると、接触を避けるようにレイノルズは身を引いた。無言で首を横に振り、詫びるように眼を伏せる。きつく結ばれた唇が痛々しい。
ライジーアはレイノルズの後ろめたそうな態度を見て、本音じゃない、と直感した。
……『災厄』がレイノルズを苛んでいるんだ。
無性に、腹が立った。
……『災厄』だかなんだか知らないけど、なんの権利があってレイノルズを苦しめるの。
ライジーアは肩から羽織った上着の前をギュッと握りながら、レイノルズに迫った。
「わたしになにか、できることはない?」
とりあえず、単刀直入に訊いてみる。
レイノルズは正面から詰問されるのは予想外だったのか、ちょっと驚いたようだ。そのため答えるまで一瞬の間が空く。
「なんのことだ」
とぼけても遅いよ、と見透かしながらライジーアはグイグイいく。
「レイノルズを助けたいの。とても苦しそうだから」
ライジーアが強気で前に出ると、レイノルズが遠慮気味に一歩下がる。
「……君にできることなど、ない」
「苦しい、っていうのは否定しないんだね」
嫌な点を突いたのか、レイノルズは端整な顔を僅かに歪めた。
ライジーアは考える。
スウィンには『レイと話して』とけしかけられたものの、レイノルズの口は固そうだ。協力の申し出もあっさりお断りされてしまった。
……どうしたらいいのかな。
スウィン曰く、『災厄』を退ける解決方法は、ごく単純で古典的。
……わたしができることで、単純で古典的な方法って、なに?
ライジーアはレイノルズをじっと見つめた。
――答えはたぶん、レイノルズ本人が持っている。
あと四日で正解を突き止めよう、とライジーアはひそかに決意する。
やる気と闘志を燃やし始めたライジーアを眺めて、レイノルズは億劫そうに口を開く。
「君に訊きたい」
静寂にポトリと落ちたレイノルズの声は、いやに響いた。
ライジーアはドキッとしながら、問い返す。
「な、なに?」
目の前のレイノルズは、いつになく歯切れが悪い。迷ったそぶりを見せてから言う。
「この会議が終わったら、社交シーズンだ。……君は今年一八歳だが、結婚、するのか?」
唐突な話題転換に、ライジーアはキョトンとした。一瞬思考が飛ぶ。
「え? えっと、え、結婚?」
「そうだよ。……するの?」
「あ、相手が見つかれば、する、と思う……」
ライジーアは伯爵家の一人娘だ。家督相続のことを考えれば、婿を取るか、養子を迎えるか、嫁にいって生まれた子供を実家に養子に出すか、いずれにしろ身の振り方はきちんと考えなければならない。
そしてそれは、レイノルズも同じ。
「レ、レイノルズは、どうするの? 結婚……するの?」
誰と? とは恐ろしくて訊けない。まだそれを聞く覚悟がない。勇気もない。
だがその心配は杞憂だった。
レイノルズはフッと自嘲気味に笑い、絶望を宿した眼をして、吐き捨てるように言った。
「……私が結婚なんて、奇跡でも起きない限り無理だろうな」
悲しい声に胸を突かれる。
それきりレイノルズは押し黙り、窓を閉めて角灯を鉤から外すと、気の利いたことがなにも言えずにめっきり落ち込むライジーアを部屋まで送ってくれた。