誤解の解消と嬉しい関係
そこまで言って、ハッとし、レイノルズを見る。次いでスウィンを見る。
ライジーアは蒼白になり、よろめいた。ベッドの縁に足がぶつかり、そのままへたり込む。頭の中が真っ白だ。ショックすぎて気が遠くなる。それでも一言、レイノルズに確認したい気持ちが喉元から込み上げてきた。
「……レ、レイ、レイノルズ、は、だ、だん、男性、が、好きな、男の人、だったの?」
自分で言っておきながら気絶しそうだ。
その一方で、もしこれで「そうだ」と肯定されようものなら、『婚約破棄された本当の理由』が『災厄』などのせいではなく、表沙汰にできない事情はわかる。わかりたくないけど、わかる。
……同性愛者だったら、わたしでは無理に決まってる。
ライジーアの脳裏に、昨夜の出来事が再現される。スウィンを熱烈に口説いていたレイノルズ。既に二人の仲は疑う余地もなかったが、今それが、禁断の関係だと知れた。
愕然としつつ、脳の一部の冷静な思考が囁く。「他の女の子に負けるより、いいじゃない」と。それがスウィンなら尚更だ。スウィンはいい人。素晴らしい人だ。とても勝てっこない。
人を好きになるのに性別は関係ない。ただ、頭ではそう思っていても、心がついていかない。
じわりと涙ぐむライジーアを見下ろして、顔を真っ赤にしたレイノルズが口を開く。
「そう――」
だ、と続くだろう台詞を、スウィンがレイノルズの口を掌で塞ぎ、強引に黙らせる。
「はい、待った。ややこしくなるから、レイは決着がつくまで喋らないように、とここに来る前に約束しただろ。もう忘れたの?」
スウィンに注意を受けて、レイノルズは迸る激情をむりやり押し殺すように、顔を背ける。
ベッドに座って呆けるライジーアに目線を合わせるため、スウィンは膝をついて屈み込む。
「私を見て、ライジーア。そう、いい子だね。あなたは本当に素直で、正直で、今後が心配になるくらい裏表のない女性だ」
側仕えの一人が、ボソッと付け足す。
「それに天然ボケで面白いよね」
もう一人の側仕えもこっそり漏らす。
「ぜひ姫様のご友人にお迎えしたいお嬢様ですね」
スウィンが側仕えたちに「うるさいから黙るように」と身振りして、話を続ける。
「どうもお互いの認識がずれているようだから、確認させてくれるかな。率直に訊くけど、ライジーアは私とレイの関係をどう思ってるの?」
答えをためらうライジーアに、真面目な顔で、スウィンが「ズバリ答えて」と後押ししてくる。
ライジーアは意を決して言った。
「恋人」
「ぷっ」
「ぶはっ」
いきなり側仕え二人が噴いた。
レイノルズはやり場のない感情をぶつけるように、壁に拳を叩きつける。
スウィンは指先まで綺麗な手で顔を覆い、肩を震わせ、笑い転げている。
ライジーアは、少し言葉が足りないかな、と思い、赤面しながら続けた。
「……ふ、ふか、深い仲の、だ、誰にも言えない、恋人同士。あ、でも、お似合いだよ」
スウィンが女性ではなく男性だったからといって、似合いじゃない、と態度を掌返すのは、不誠実だと思うのだ。
ライジーアとしては精一杯の返答だったが、次の瞬間、レイノルズの拳が唸り、二発目の打撃が壁を傷めつけた。とても痛そうだが、痛みよりも怒りが勝っているようで、顔が怖すぎる。下手に声などかけられない。
側仕えたちはいつの間にかレイノルズの左右に立ち、気の毒そうに彼の肩を叩いている。
スウィンはひとしきり笑った後、眦に浮いた涙を親指で拭いながら言った。
「……あいにく、私とレイの関係はそんな色っぽいものじゃないよ。ご期待に添えなくて申し訳ないけど、私たちは幼馴染みさ。昔まだ小さい頃、レイがあなたと会わない日が、私とレイの会う日だった。レイは当時から独占欲が強くて、私とあなたを絶対に会わせようとはしなかったけど、話は聞いていたよ。ライジーアがどんなに可愛いか、もううんざりするほど惚気られた。だからどうしても会ってみたくなって、一度だけって約束で紹介してもらったんだ。そうだったね、レイ?」
だがレイノルズは壁に背を押し付け、固く腕を組んでそっぽを向いて答えない。
ライジーアは半信半疑ながら、もっと話を聞きたい、と思い、身を乗り出した。
スウィンはレイノルズの態度を気にする様子もなく、まだまだ面白そうに喋る。
「長じてからは、私の公務の手伝いや雑用も引き受けてくれている。勿論、伯爵も了解の上で。お互い気の置けない仲なもので、こうして秘密会議の片棒も担いでもらっているというわけさ」
ライジーアはスウィンの淡々とした説明を聞きながら、ようやく頭が冷えてきた。
……もしかして、全部、わたしの早とちり?
それはそれで間が抜けている。
と、自分にがっかりしながらも、やはり嬉しい。二人が単なる幼馴染みと聞かされ、自然と顔がにやけてしまう。
……なぁんだ。恋人同士じゃなかったんだー。
気分は一気に、脳内お花畑である。
ポーッとするライジーアの前で、スウィンはやや幼い笑顔で言った。
「レイは私が取り繕わずに話せる、数少ない友人なんだ」
ライジーアはニコニコ笑いながら、頷いた。二人が恋情ではなく、友情で繋がっていると知ってとても嬉しい。自分のことのように、心の底から嬉しい。
ふと、昨夜のことが気にかかる。
「あれ? でも、じゃあ、昨夜のレイノルズの口説き文句はなんだったの?」
スウィンがちょっと考え、復唱する。
「『身体に訊いてやる』とか『今夜は寝られると思うなよ』だったっけ? あとは確か、腕の中で云々って言っていたね。あー、そうか。あの台詞を真に受けて『お邪魔虫は消えるから』に繋がったんだ?」
スウィンが苦笑する。
「あの状態で放置していくから、私はてっきりライジーアに見捨てられたと思っていたけれど、違ったわけね」
「どういうこと?」
「どうもこうもないよ。私が口を割らないものだから、一晩中、剣戟の鍛錬と小言三昧さ。おかげで寝不足だよ」
スウィンは恨みがましい眼つきでレイノルズを見遣っても、彼は知らんふりしている。
……わたし、あんなに泣いて損したかも。
今更である。
それでも、もう終わったことだし、とすぐに前向きになれるのはライジーアの強みだ。
「ところで、ライジーアはどうして私とレイが恋愛関係にあるなんて思ったの?」
ここで素早く、レイノルズがスウィンに向けて、鋭い視線を走らせる。
スウィンは面倒くさそうに言い直す。
「はいはい、『恋愛関係言うな』ってわけね。仕方ないじゃないか、ライジーアがそう疑っていたのは事実だし。まあ、ばかばかしい話だけどね」
ライジーアはムッとした。その『ばかばかしい話』の想像に散々苦しんだ身としては、ちっとも笑えない。つい、つっけんどんな口調で質問に答える。
「勘違いしたのは、スウィンが『レイ』って愛称で呼んでいたからよ。他にそう呼ぶ人、知らないもの。それに婚約破棄されるとき、レイノルズは心変わりしたって言ってた。他に好きな人ができたから、って……でも、社交界で特別扱いしている女性は見かけなかった。だからとても親しそうな二人を見て、好き同士なんだなあ、って思ったの。実際、お似合いだったし」
そこでスウィンはものすごく嫌そうな顔をした。レイノルズに至っては、殺気を放っている。二人の側仕えも悪寒がしたようで、しきりに腕をさすっていた。
スウィンは身の危険を感じたのか、首の後ろを撫でた。壁に凭れるレイノルズを一瞥し、凶悪な顰め面を見て「やれやれ」と嘆息して立つ。ライジーアと一定の距離を取りつつ、言う。
「悪いけど、その思い込みは今すぐ修正してほしい。いや、捨ててほしい。そろそろレイが限界だ。暴れて手が付けられなくなる前に、平和的に解決してしまおう」
「う、うん。でも、もうちゃんとわかったよ? レイノルズとスウィンは仲のいい幼馴染みだって」
「その認識に、私とレイの同性愛者疑惑も晴れた、と付け加えてほしいな」
「了解です」
ただ真面目に頷いただけなのに、スウィンは「うわ、可愛い」と呟いて口元を押さえた。
すかさずレイノルズが動き、スウィンとライジーアの隙間に横入りする。
「……スウィン」
「はいはい、他の男が褒めるのも嫌ってわけね。わかったよ。さて、では無事に誤解も解けたことだし、私たちは退散しようかな。お邪魔しました、と」
スウィンは茶化しながら言い、側仕え二人と共に出て行きかけて、扉口で立ち止まる。
「そうそう、レイは置いていくから、ライジーアはもう少しだけ話に付き合ってあげてよ。なにかどうしても訊きたいことがあるらしいから」




