本当の姿と本当の名前
扉がノックされ、開けるとレイノルズが立っていた。
「入っていいか」
「うん。どうぞ」
何気ないやり取りで、レイノルズと、スウィンによく似た美貌の男性と、スウィンの側仕えの女性二人がぞろぞろと部屋に入ってくる。
客用の椅子などはないので、自然と立ち話になった。
ライジーアはレイノルズが同行した男性を紹介してくれるのをじっと待った。あまりジロジロと見るのも失礼だったが、眼が合うと、彼はニコッと笑ってくれたので、感じのいい人だなあ、と思う。華やかな雰囲気や顔立ち、髪は短いが、スラッとした容姿はスウィンとそっくりだ。
……スウィンのお兄さんかな?
長すぎるくらい長い間があってもレイノルズはなにも言わない。
やむを得ず、ライジーアは自分から挨拶することにした。お辞儀して口を開く。
「初めまして。ここで速記者を務めております、ライジーアと申します」
口上が終わりもしないうちに、スウィン似の男性が噴き出した。レイノルズの肩に手を置き、「あははははは」と身を捩って大笑いしている。側仕え二人は彼を細目で見つめ、子供の粗相を責めるような冷たい視線を注ぐ。
「いやいやいや、初めてじゃないでしょ。毎日会っているじゃないか」
「え?」
「私さ、ライジーア。スウィンだよ」
「ええ――っ!?」
ライジーアは淑女にあるまじき仰天の雄叫びを上げて、あんぐりと口を開けた。
「だだだだだって、どっからどう見ても男性ですけど!?」
「そりゃ正真正銘、男だからねぇ」
「でででででも、昨日までは女性だったでしょ!?」
「女装だよ。なにぶん、『私』がここにいるのは政策上、都合悪くて。かといって、この秘密会議を仕切る人間が立場の弱い者でも困るしね。会議の重要性はわかるでしょ?」
ライジーアは頷いた。スウィンの言葉に真剣に耳を傾ける。
「他人の揚げ足を取るのが上手な人間って、どこにでもいるから。そういう輩に余計な勘繰りをされないためにも、『私』は本来いるべき場所にいる必要があるし、同時に、もしこちらでなんらかの不測の事態が起きて、『私』がいては困る状況に陥っても、『私』がいなければいい」
「それで、女装……?」
「まあ正しくは、変装? 私の姉上に化けているつもりなんだよね。で、姉上が私の代理を務めているんだ。勿論、事情を知る人間だけで周囲を固めて、体調不良のため面会謝絶を謳ってね。本当は姉上がここに滞在できればこんな面倒くさい手間をかけなくても済んだんだけど――」
スウィンの口調が愚痴になりかけたところで、二人の側仕えが口出しした。
「なにをおっしゃいます。姫様にこのような僻地で不便極まりない暮らしなど無理でございます」
「同意。そもそも姫様がこんななんにもない場所で、軟禁生活に長く耐えられるとは思えない」
味方になってくれない側仕えたちに、スウィンは諦めたように肩を竦める。
「ほら、こんな調子で姉の側仕え親衛隊が出張ってきてさあ、私に選択の余地はなくなったわけ。まあ、今回に限ってはライジーアに再会できたから、良しとするけどね」
スウィンが甘く微笑み、警戒心を起こさせないゆっくりとした足運びで、ライジーアとの距離を詰める。
「塔で会う前にも、一度会ってるんだよ。思い出せない?」
ライジーアは、確か前にも同じことを言われたっけ、とよく考えてみる。
「……ごめんなさい。思い出せない」
「これでも、わからない?」
スウィンは額に垂れていた前髪を掻き上げて後ろに流し、撫でつけて、隠れていた耳も出す。それから非の打ち所がないほど優雅な動作で身を屈め、ライジーアの手を掬って、指先に口づけた。
「『ようやくお目にかかれましたね。我が親友の最愛殿』」
その瞬間、忘却の彼方にあった記憶が一気に蘇った。
「ヴェブリー公爵王子アズウィン殿下……!」
ライジーアは膝を折り、慌てて臣下の礼を取った。頭の中は大パニックだ。
現在の女王マリエンヌは彼の曾祖母にあたり、王位継承権は、彼の祖父、彼の父、彼の兄、彼の姉、に続き、第五位。――王太子直系の王族だ。
彼とは一度、まだレイノルズと婚約中だったときに、伯爵家でレイノルズの婚約者として紹介されたことがある。
……全然わからなかった。
ライジーアはブルブル震えた。気づかなかったとはいえ、それでは済まされない。軽口など叩いていい相手ではなかった。これまでの非礼を謝罪したくとも、許可がなければ口さえ利けない。
……どうしよう。どうすればいいの?
身の置き所なく、ぐるぐると思考の迷子になり、内心でどっと冷や汗をかいているライジーアの前で、スウィンが溜め息を吐き、顔を上げるように言う。
「あのね、最初に言ったように、ここでは身分も肩書きも名声も必要なし。私はただのスウィンで、あなたはただのライジーア。他の皆もそう。各々、個人の役割をまっとうするのが仕事。だから今まで通りに振る舞うように。無論、私もそうする。いいね? はい、返事」
そんなことを言われても、とライジーアは返答に詰まる。
……今更かもしれないけど、今まで通りってそれ、不敬罪にあたるよね?
ライジーアは助けを求めてレイノルズを見た。
だがレイノルズは無愛想に頷くだけ。スウィンはニコニコしているが、笑顔から口答えは却下、と無言の説得を仕掛けてくる。ライジーアは迷った末に、決断した。
「……はい」
「聞こえないなあ。やり直し」
「はい!」
するとスウィンは「うん、いい返事」と言って満足そうに笑い、ライジーアを立たせる。
「ごめんねー、びっくりさせちゃって。私はライジーアが気づかないようなら、別にそれはそれでいいかと思ってたんだけど」
そこで「ちっともよくない」と言わんばかりの形相で、レイノルズがスウィンを睨む。
「……こんな調子で、レイが朝っぱらから血相変えて怒鳴り込んできたものだから、仕方なく」
まだ衝撃から立ち直れないライジーアは、無意識のうちにスウィンと距離を取って、ぼんやりと訊き返す。
「レイノルズはなぜ怒っているんですか?」
「こら、敬語になってる。普通に、だよ。はい、言い直し」
ライジーアは部屋に入ってきてから一言も口を利かないレイノルズを、不審そうに見て訊いた。
「……レイノルズはなんで怒ってるの?」
「ライジーアがとんでもない誤解をしてるから」
「とんでもない誤解?」