小さな決意と怒り顔の乱入者
「な、なにが間違いだったの……?」
思い通りにいかない歯痒さが滲む顔で、無念そうにスウィンは言った。
「すべてを知った私は、レイを救済する資格を失っていたんだ」
スウィンの落胆がひしひしと伝わってくる嘆きは、ライジーアの胸に迫った。尚更頭に血が上る。心臓も大変なことになっていて、今にも破裂するんじゃないかってくらい動悸が激しい。
助けたいのに助けられない、そんなスウィンの心の痛みは、とても他人事じゃないのだ。
ライジーアは血の巡りの悪い頭で必死に考えた。
「それって、ええと、つまり……レイノルズを助けたくても、助けるためには、解決方法を知っていたらだめってこと? なにも知らない状態で助けろって、そういうこと?」
「そういうこと」
途轍もない悪意を感じる。
身震いしながら、思いついたことを口にする。
「それってなんか、試されているような……まさか、試しているの?」
ライジーアがその旨を問うと、スウィンは首を縦に振り、解説してくれた。
レイノルズを苦しめる『災厄』を排除する策はあっても、その策を知る者は実行できない。
そしてその策を知らなくても、誰もが実行できるわけでもない。
挑めるのは、策を知らず、資格のある者だけ。
失敗すれば、当然ながら、罰が下る。
止めを刺すような警告に怖気づかなかった、と言ったら噓になる。
「それでも……やってくれる? レイを、助けてくれる?」
私の代わりに、とは口にしなかったけど、真剣な眼を見れば、スウィンの心に秘めた思いは十分に伝わった。
「これで私に話せることは全部打ち明けたよ。……どうする?」
……どうもこうもないでしょ。
決断を迫られるまでもない。
ライジーアは「やる」と一言答えた。
「レイノルズが苦しんでいるのに、放っておけないもの」
もっと格好いい返事ができればよかったが、言葉を選ぶ余裕がなかったライジーアは、単に思っていることを口にした。
だがライジーアの返答を聞いたスウィンは殊の外喜び、我が意を得たり、とばかりに微笑む。
「ああ、その言葉が聞きたかった」
深い安堵のこもった声が響く。
やにわに、スウィンの大きな手がライジーアの小さな手をガシッと掴む。逃がさないよ、とでも言いたげに強く握られて、魅力全開の美しい顔が至近距離まで詰めてくる。
不意打ちで迫られたライジーアは、同性相手でもドキドキした。
……き、綺麗ってすごいな。
一瞬で思考回路が奪われて、目の前の圧倒的美貌に見惚れてしまう。
スウィンは眼が潰れそうなほどキラキラした笑顔で言った。
「ライジーア、レイを救えるのはあなただけなんだ」
腰砕けになりそうなほどしっとりとした深い声で、断定的に「だけ」を強調する。
スウィンは先程までの葛藤と苦悩に満ちた深刻な空気を丸めてポイ捨てし、今度は名うての人タラシにでも化けたかのような、とびきりの甘さと押しの強さを前面に出してくる。煌く瞳は破壊力抜群だ。
「レイと話して。レイを助けてほしい。ライジーアならできるはずなんだ。私の見込み違いでなければきっと、いや必ず、成功するよ。それも難しく考える必要はなくて、解決方法はごく単純。古典的、と言ってもいいくらいだ。これ以上言うと資格喪失の境界線に引っかかると思うから、詳しくは説明できないけど、ライジーアがほんのちょっぴり勇気をもって、こんなふうに――って、あれ? どうしたの? 涙目になってるけど」
「だ、だって」
……近い! 近いから!
色気ダダ漏れの吐息がかかる距離で、そんなに熱く見つめられたら、誰だって骨抜きにされるよ!
……悔しいから、言わないけど。
色気過多なスウィンを涙目で見返し、ライジーアはさっきから気になっている件を口にした。
「なんか、スウィンの話し方がいつもと違うなって。声も普段より低くない?」
「そう? これが地声だよ。話し方は、ほら、本気で人に物を頼むのに女言葉はないかなって。真面目に話してみたんだけど、変だった?」
「ううん。変じゃないよ。ちょっと格好いい男の人みたいだけど、スウィンには似合ってる」
「格好いい男の人……はは、まーだわからないかー」
くつくつ笑うスウィンに、「なんで笑うの?」と訊いても笑ってばかりで答えてくれない。おまけに、掴まれている手を振り解きたいのに、一向に離してもらえない。
ライジーアがスウィンのバカ力に悪態を吐こうとしたそのとき、扉の向こうで、人の争う声が聞こえた。
スウィンが「来たな」と呟き、ライジーアの手を離す。それから壁際に立っていた側仕えの彼女に合図し、扉を開けるように指示する。
「ジア!」
勢いよく扉が開く。同時に飛び込んできたレイノルズが血相変えて叫ぶ。
レイノルズは本気で焦っていたようで、突然の彼の登場に眼を丸くするライジーアと、最初から両手を上げて降参の仕草をするスウィンの間に身体を割り込ませた。
ライジーアはレイノルズに思いっきり睨みつけられ、肩を掴まれかけたものの、彼は触れる寸前で思いとどまり、伸ばした指は拳の形に握り込まれる。
それから、雷撃のような一喝を食らう。
「この、バカ! ――面倒くさいから、部屋から出るなと言っただろう!」
脳天に響く怒号に、ライジーアはビクッとして縮こまった。
凄みのある眼で見下ろされ、ひたと見据えられる。レイノルズの眼つきが鋭すぎる。
「……なに、その顔」
「か、顔?」
「……瞼が腫れて、頬には涙の跡、唇は濡れているし、髪は乱れて、寝巻きもよれている」
一つ一つ気になる箇所を読み上げながら、レイノルズの声も表情も冷たく気色ばんでいく。
……こ、怖い。
全身から漂う怒気にあてられ、ライジーアは立ち竦む。なぜこんなに怒ってるのか、まったくわからない。空気を読まずに訊くのも、ちょっと勇気がいる。はっきり言って今すぐ逃げたい。
もう少しで恐怖のどん底に突き落とされる、という直前で、レイノルズは後ろを振り返り、スウィンに視線の刃を向ける。ライジーアはレイノルズの背中しか見えなかったが、その背中も燃え盛る炎の幻影が見えるくらい怒っていた。
いつの間にか、スウィンの背後には側仕えが二人、並んで立っている。
スウィンは無実を訴える囚人のように自己弁護を始めた。
「どうどう、落ち着いてー。落ち着いてー。私は無実ー。無実だよー」
「泣かせたな?」
「それは不可抗力。顔がクシャクシャなのはライジーアが顔を擦ったせいで、髪が乱れているのは私がちょっと撫でたから。寝巻きがよれたのはよろけた身体を支えて、少しの間だけど抱き留めていたため。手は出してない。本当に。ついでに言うと、一瞬も二人きりにはなっていない。ちゃんと側仕えの彼女も同席させたから」
「……なにを話した?」
「それは内緒」
ぴき、とレイノルズの激怒の針が限界まで振り切れた幻聴が聞こえた気がした。
「……いいだろう。身体に訊いてやる。今夜は寝られると思うなよ?」
ライジーアは固まった。
あまりにも堂々とスウィンを口説いているレイノルズの後ろ姿に愕然とする。
「私の腕の中で好きなだけ悶え苦しみ吐くといい。……来いよ、楽しみだ」
紛れもない、情事の誘い。
……恋人同士なんだから、夜を一緒に過ごすのは普通のことかもしれない。
だけど想像したら、すごく嫌で――。
二人の仲を見せつけられた気がして堪らなくなったライジーアは、思わず声を大にして言う。
「お、お邪魔虫は、消えるから! どうぞ二人で仲良く過ごしてください!!」
ライジーアは悪者の捨て台詞よろしくそう喚き、ついでに「レイノルズのバカあ!」と付け足して、ダッと部屋を飛び出す。途中で肩布を階段に落としたことにも気づかなかった。
ちょっぴり、後を追ってきてくれるかな、と期待した心はまんまと裏切られる。
ライジーアは自室に戻るとベッドに潜り込み、グスグスと泣きじゃくりながら一夜を明かした。